第55話
「じゃあ続けるぞ。白石が親父を殴ろうと、振りかぶったら、『お前は何をしに来たんだ』って、親父が聞いたんだよ。それも全然びびった様子もなく。それで『ダチを返せ』って白石が言ったら、頬をビンタして『男なら手前の拳を振るう相手を間違えるんじゃねえ』って言い放ったんだよ」
「人にビンタされるなんて産まれて初めてだったけど、あれは効いたな。痛みはないんだけど、心に響いたって感じでさ」と、頬に手をあて白石が言った。
「それで本宅に攫ったガキを連れてきて、事情を説明させたんだよ。白石はダチを殴って、親父に土下座して謝ったよ。こいつらは馬鹿でどうしようもないやつだけど、怪我だけはさせないでくれ、代わりに俺がなんでもするからってな。親父はガキ一人一人に慰謝料三十万払わせて、手打ちにしたよ。ただ白石だけは金じゃなく、俺のダチになれって要求だったんだよな」
「ダチにですか」
「ああ。その時は親父が何を考えているかわかんなかったよ。組員二十人以上ぶん殴ったやつをダチにするなんて意味のわかんない要求するなんて、当時の俺じゃ理解できるはずねえよな」
当時の鶴賀には分からなかった。つまり、「今は分かるんですか?」
鶴賀は、フッとシニカルに笑い、「古い任侠道は、義理と人情なんだよ。ダチの為に危険を顧みずに乗り込んでくる。金儲けの方法しか考えてなかった俺に、本当の任侠道を白石から学んでもらいたかったんだとよ」と言うと、鶴賀は天を仰いだ。
口元には笑みがこぼれていた。
……いい話だった。
家でこの話を聞いていたら、感動して泣いていたかもしれないな……。
「その後夕飯を組員と一緒に食っていたら、白石の両親が他界していることが分かったから、うちに住み込んで、学校も応法学園に転校することになり、今に至るって感じだな」
話し終えたのか、鶴賀は口をつぐんだ。
聞き手に回っていた私は、久方ぶりに口を開いた。
「白石さんのご両親は亡くなっていたんですか」
話しにくい質問だろうというのに、「父ちゃんも母ちゃんも俺が産まれて直ぐに事故で死んだみたいなんだよな」と、サラッと話した。
「失礼ですが、白石さんは施設で暮らしていたんですか?」
両親がいないと聞き、私の脳裏に一つの考えが浮かんだ。
白石の強さの理由は、そこにあるんじゃないか?
普通の人間にはヤクザの護衛二十人を殴り倒すことなど不可能だろう。
格闘技を極めた人間だって、素手で武装しているだろう精鋭二十人を倒す。
そんなの不可能だ。
いや、少し違うか……。
格闘技を極めただけの、表の世界の人間には、不可能だ。に訂正しよう。
そんなことが可能なのは、裏の世界のプロ中のプロの一掴みの人間だけだろう。
裏の世界の人間は二つに分けることが出来る。
裏の世界に足を踏み入れた人間と、裏の世界に生まれた人間の二つに。
前者はヤクザになったものや、殺し屋の道に足を踏み入れたもの。私がそうだ。
私は殺し屋を殺すために、裏の世界に足を踏み入れた。
後者は鶴賀や犬山がそうだろう。
ヤクザの家に生まれた鶴賀や組織の訓練所にいた犬山が。
組織の殺し屋の多くは孤児らしい。
養護施設から組織が善悪の分別もつかない子供を引き取り、殺し屋に育て上げる。
おぞましい話だ。
人を殺してはいけない。
誰もが知っている常識だ。
幼稚園や小学校で、又は親から教えられ学ぶこと。
教わった記憶がなくても、必ず脳に刷り込まれていることだ。
その常識があるから、人を殺す事を躊躇ってしまう。
殺した後も罪悪感に支配されてしまう。
殺しに慣れたと思っても、悪夢に苛まされてしまうものだ。
心の底にこびり付いて、決して消えることのない、人が人として生きていく楔だ。
もう七十三人を殺している刑だって、声もなく泣き、眠れぬ夜を過ごしていると、響さんに聞いている。
けれど、組織によって育てられた子の脳には、楔は打ち込まれていない。
人を殺してはいけないと刷り込まれずに、間逆のことが刷り込まれている。
人は……殺すべきだと。
人は悪を行うものだから、救うためにも殺すべきだと。悪人によって虐げられる人を救うためにも……殺すべきだと。
歪んだ楔が打ち込まれている。
反吐が出る教えだ。
表の世界で生きてきた私にとって、想像することすらできない、馬鹿げた教えだ。
けれど……その教えで生きてきた人間は確かにいる。
笑顔で人を殺す人間は確かに……いた。
殺すのは救済だと、あの燕尾服の男は言っていた。
歪んだ楔を打ち込まれた人間は、殺す事を戸惑わない。
歪んだ楔を打ち込まれた人間は、剣筋が鈍らない。
歪んだ楔を打ち込まれた人間は、後悔することすらない。
戸惑わないから、鈍らないから、後悔しないから、強い。
心の枷など何もないのだから。
化け物といわれる白石の強さの理由もそこにあるじゃないかと私は考えた。
けれど答えは、「じいちゃんと二人で暮らしてたぞ」だった。
私の予想はことごとく外れるな……。




