第47話
私には死ぬ覚悟は……ない。
それが答えだ。
「死ぬ覚悟もなくこの仕事をしているんですか?」
血と恨みで心が汚れようと、やらなければならないことがある。
死ぬべき人間だとしても、殺らなければいけないやつがいる。
「はい」と答え、犬山の瞳を見つめる。
死ぬ覚悟のない私を蔑んだ目で見つめている。
人を殺す立場にいながら、自分が死ぬ事を受け入れようとしない私を、見下す瞳。
そんな瞳で見ないで欲しいと、思わず口から出そうになったが、私はグッと飲み込み、その瞳を受け入れた。
甘いのは私だ。
殺し屋失格なのも私だ。
けれど私はまだ死ねない。
死ぬ覚悟なんて持ちたくない。
死ぬ覚悟なんて……持てない。
「今はまだ……死ねません」
地べたを這いつくばっても、泥水を啜ってでも、生き延びなければならない。
あいつを殺すまでは……。
「……」
犬山は口をポカーンと明け、感心したのか、呆れたのか分からないような表情を見せたが、もう蔑んだ目はしていなかった。
犬山は口を閉じると、「くっくっく」と、シニカルに笑い、「今はっすか。面白いっすね」と言った。
「それじゃあ、うちもエリちんを、殺させるわけにはいかないっすね。一緒にアヤちん達とお昼にするっすか?」
「……」
身の安全を確保するためには、犬山と一緒に行動するのが一番安全だろう。
犬山の強さは自分の目で確認した。
間違いなく強者だ。
けれど、私はその申し出を断わった。
「いいえ。今日は鶴賀さんのところに行きます」
さっきまでは殺人鬼と一緒になるかもしれないという思いで、犬山に助けを求めた私だが、今は事件解決のためにも、話を聞かねばならないという思いに駆られていた。
犬山がいては話せない事――容疑者の一人がいては出来ない話もあるだろう。
覚悟を決めた今、思考がスムーズに働いていくのが分かった。
恐怖と言う名の堰に止められる事無く、清流のように流れていく。
死ぬ覚悟はしないけれど、死なない覚悟は決った。
「もしやばくなったら、直ぐうちを呼んでくださいっす」と言うと、犬山は携帯の番号を言った。
私はその十一桁の数字を暗証しながら、携帯電話に登録する。
「電話が来たら、ヒーローよろしく、ヒロインを助けにいくっすよ」
「私がヒロインですか?」と、聞くと思わず笑ってしまいそうになる。
私はヒロインとは最も遠い存在だと思った。
そもそも私に配役なんてあるのか?
この事件が物語だとするなら、刑が主役で、殺人鬼が悪役なんだろう。
そして、生存者がメインキャストに名を連ねるだろう。
私はと言うと、主役が来るまで場つなぎをする脇役でしかないんだろう。
登場人物紹介でも名のあがらないような脇役だ。
そもそも主役がヒーローなんて決ってはいない。
刑は殺し屋。
生存者も人殺し達。
この話にヒーローはいない。
「私にヒロインなんて大役勤められませんよ。私は殺し屋のパートナー。悪役の手下。三下でしかありませんよ」
そう、悪役――犬山に言う。
「エリちんが三下なら……それを助けに行くうちは、悪の組織の幹部ってとこっすかね」
戯言を語り合い、二人でククックと、笑いを堪えあう。
私も犬山も、事件の犯人も刑も、他の生存者達もみんなみんな悪役なんだ。
誰が死んでも結末は一緒。
この世から人殺しが一人減る。
ハッピーエンドだ。
私が死ねば、刑は誰も殺さない。
犬山が死ねば、組織の殺し屋が一人減る。
犯人が死ねば、学園でこれ以上の人が死ぬことはない。
みんな死ぬべきなんだ。
今すぐ校舎が倒壊して、みんな死ぬべきなんだ。
「あははははっ」
堪えきれなくなり私は笑ってしまう。
目じりに溜まった、涙を拭い、「さっき今は死ねないと言いましたよね?」と言う。
「言ったっすね」
「死ぬ覚悟は出来ていないですけど、死ぬべきだとは思っています」
「死ぬべきっすか」
今は死ねない。
けれど……。
「私にはやらなければならない事があります。それをやり遂げたら、私は……死のうと思います」
刑があいつを殺したら……私は死のう。
「それまでは死ねない……死なないってことっすか」
「都合がいいですか?」
人の命は奪うが。唐突に人生の終焉を齎すと言うのに、自分だけは満足しながら死のうとする。
都合のいいことだ。
「都合がいいすね」
と、犬山。言葉とは裏腹に、嫌味な感じはしなかった。
「私……都合のいい女ですからね」
私は笑って答えた。




