第42話
ゴミを捨て、清掃用具入に箒とちりとりを戻すと、スーツ姿の男性――教師だろう――が入ってきた。
教師は、教室を見回すと、「はぁー」とため息を吐き、「白石君またですか」と、呟いた。
犬山もまた机をだめにしたと言っていたし、机を粉砕させたのは、これが初めてじゃないのだろう。
教師は白石から視線を外すと、今度は私を見てくる。
守衛と同じ目で。
私を敵とみなした視線を送ってきた。
職員室へ挨拶に行くのをとめてくれた犬山に感謝した。
こんな目を何人にも向けられたら、私の心は耐えられそうになかった。
「……授業を始めます。一時間目に出なかった犬山さんと転入生は本日のプリントを取りに来てください。あと、犬山さんは授業の進め方を転入生に教えてあげてください。席はそれまでは犬山さんの隣で行なう事を許可します」
教師は機械的に指示を送ると、「教科書百八十七ページを開いてください」と、チャイムが鳴る前だというのに、授業を開始した。
「エリちんこっちっすよ」と、私を席に手招きすると、犬山は教卓に向った。
ちなみに席は白石の後ろで、鶴賀の前の席だ。居心地は最悪だった。
犬山が戻ってくると、手にした分厚いプリントを私の机の上に置いた。
「今日のプリントっすよ」
今日のプリント?
えっ?
間違いなく五十枚はあるんですけど……。
今週のプリントと言い間違ったんじゃないかと、聞き返したいが、プリントの束の右上に、今日の日付の判子が押されているので、間違いなさそうだった。
「教科書は二十三番のロッカーに入っているっすから、分からなくなったら見てやると良いっすよ。うちが教えられるところは教えるっすけど、うち馬鹿っすから、期待はしないでくださいっす」
「分かりました」と答え、潜入捜査の一環だと思い、プリントに目を通す。
「……」
開始二秒で私は固まった。
一枚目のプリントは数学のものらしいが、数式の中にΣと書かれていた。
これってなんだ?
「犬山さん……これってなんですか?」
わからないところは聞けと言われていたので、聞いてみる。
「えっ? シグマっすけど……」
当たり前のように言われた。
と言うよりもどこか引いた感じがする。
えっ?
引かれるような質問をしているのか?
それすらも私には分からなかった……。
義務教育の途中で裏の世界に飛び込み、それ以来、必要最低限の知識しか学んでこなかった私にとって、応法学園の学習は難易度が高すぎた。
私って馬鹿だったのか……。
馬鹿と言うことを露見させたくない私は、「ですよね」と、忘れている風を装いもう一度プリントに目を通す。
Σも分からなければ、式の最後に書かれたK=1の意味も分からなかった。
私って馬鹿だったのか……泣きそうです。
「エリちん……一時間に十枚はやらないと、今日の分終らない……あれっ? 泣いてるんすか?」
「泣いてないです。目に鉛筆の芯が刺さっただけなので、気にしないで下さい……」
「……失明するっすよ……」
ドン引きする犬山を他所に、自力では無理だと判断した私は、教科書を取りにロッカーに向った。
二十三番の扉を見つけると、キーンコーンカーンコーンと授業開始のチャイムが鳴った。
七時間ある授業のうち、二時間目が始まったばかりだというのに、帰りたい気持でいっぱいになった。
殺人鬼がいるクラスの中で、私はもっと恐ろしいもの、勉強と戦いだした……。




