第1話
車のブレーキ音が聴こえ、私はそっとカーテンを開けた。
向かいのビルの入り口に黒いワンボックスカーが止まっているのが見えた。
エンジン音が止み、運転席から髪を薄い茶色に染めた二十歳ほどの男が降りてくると、後部座席のドアを開けた。中からは髪をオールバックにした、スーツ姿の男が降りてきた。
年の頃は四十代ほどだろうか、オフィス街で見れば景色に溶け込むようなありふれたサラリーマンに見える服装だが、廃ビルの立ち並ぶこの路地では、違和感を覚える格好だった。
私は足元に置いたリュックから携帯を取り出し、仲介屋から送られてきたメールを開き、添付されている画像を確認した。
画面には、画質の粗い一人の男の写真が映し出された。男は自衛官の制服を着ている坊主頭の二十代後半から三十代ほどの若い男だった。目つきは鋭いものの、りりしい顔立ちをした青年。写真は今から十年以上前のものらしいので、今の年齢は四十代といったところだろう。
オールバックの男と画像の男を見比べてみる。オールバックと坊主、スーツと制服の違いはあるが、ターゲットの男、運び屋の弘前勇二に間違いはなさそうだった。
弘前は辺りを数度見回し、胸ポケットから携帯を取り出すと、耳に当てた。
声は聞えないが、口元が動くのが分かった。誰かに電話をしているのだろう。
電話を終らせ携帯を胸ポケットにしまうと、ビルの中から四人の男達が駆け出してきた。どうやらこの男達を電話で呼んだようだ。
男達はワンボックスカーのバックドアを開け、トランクルームから一メートル四方はある段ボール箱を取り出し、よたよたとした足取りで、ビルの中に運び込んでいった。
弘前は全てのダンボールが運び込まれたのを確認すると、また辺りを見回し、自身もビルの中に消えていった。
「……さてと……始めましょうか」
私は呟き携帯で電話をかけた。
トゥルートゥルーピッ。ツーコールで相手が出る。
「ターゲット弘前勇二含め六人が建物内に入るのを確認しました。目標はまもなく三階のオフィスに着くはずですので、今から百二十秒後にミッションを開始してください。ミッション内容の再確認をします。弘前勇二含め、オフィス内の人員六名の抹殺。もし想定した人数よりも人員がいた場合、その者も抹殺してください。そして殺し方は重火器の仕様は不可。相手に重火器を使用させるのも不可との事です。それでは開始十秒前です」
そこまで私は一息で言うと、すぅっと鼻で息を吸い、「刑……御武運を……」と、続けた瞬間、電話口から『ガチャッ、ガンッ』と金属音が聞えた。
扉の錠を壊し、中に踏み入った音だろう。
『なっ、なんだこッ―――がぁッ!』
低い男の声が怒声から、短い悲鳴へと変わる。
『吉岡、おいッ銃を取れッぁぁぁぁぁぁぁぁぁ』
続いて二人目の悲鳴が響いた。
『何だよ、こいつはぁぁぁぁぁがぁぁぁぁぁぁ』
三人目の悲鳴。断末魔が聞える。
『あぁっ、あぁっ、あぁぁぁぁぁかッ』
四人目。
『まっ、待てよ。俺達に何のうらっぎゃっ』
恨みがと言おうとした男の悲鳴が聞えた。五人目。
『このやろっ―――ぎゃぁぁぁッ―――腕がぁぁぁウデがぁぁぁぁぁぁぁッ』
六人目の悲鳴。少しハスキーな声だった。
『なんなんだ。なんなんだよお前はぁぁぁぁぁぁ。ぐっ、うらぁぁぁぁぁぁ』
ハスキーな声が大きくなる。
だだだっと、駆けてくる音も聞える。電話に近づいて来ているからか声も大きく聞える。
ガキンッと金属同士がぶつかり合う音が聞える。さらにキンッと先程よりも高い音が聞えると、ガチャンガチャンッと、鈍い金属音聞えた。
刑かハスキーな声の男のどちらかの武器が落ちた音だろう。音しか聞えないが、目を閉じて聞き入ると、刑の動きが、場景が浮かび上がってくる。
『――――――待ってくれ。何だ、金か? 金が欲しいのか? それとも銃か? やるよ。腐るほどあるんだ、お前にやるからっ』
命乞いをする男の声が部屋に響く。他の物音は聞えてはこない。
『なっ欲しいだろ? お前が欲しいだけやるから――――――んがぁっ』
短い悲鳴の後、どさっと崩れ落ちる音がすると数秒間の静寂が部屋を支配し、またガチャンガチャンと鈍い金属音が耳に届いた。
そしてまた、場を静寂が支配した。
「――――――刑、終りましたか?」
『……』
返事はなく静寂が続く。
私は終ったと判断し、話を進めた。
「武器は私が回収しますので、その場に捨てて行って結構です。返り血を浴びたなら衣類も着替えて置いて行ってください」
話しながら、私はバックを背負い、潜伏している部屋を片付け始める。
この部屋は、現在入居者のほとんどいないアパートの一室であり、弘前の動向を確認するために、三日前から張り込んでいる部屋だ。
持ち込んだ物はなにもなく、携帯食の袋と新聞やゴミが多少あるくらいだった。私はゴミを全てまとめ、リュックに入れる。
「私は今から後始末をしますので、先に雛鳥に戻っていてください」
『――――――プッ――――――ツーツーツー』
刑からの返事はなく、通話は終った。
そこで私は受話器から耳を離した。画面には通話時間、四分八秒との表記が残されていた。
ふうーっと一息つき、通話の切れている電話に向かい、「ご無事で何よりです。刑」と呟き、部屋を後にした。