第152話
「もう行くのかな?」
「ああ。僕はもう行くよ。次に会う時には刑が強くなっている事を祈っているよ」
「響君に言っておくよ。そろそろ銃のトラウマを克服する時期だってね」
その日向子の一言に僕はぼそりと呟いた。「……やっぱりね」
日向子は今はしがない仲介屋と言っているが、元NESTの創始者であり、その影響力は今でも絶大である。
そんな日向子の子飼いの情報屋の腕も、この世界では最高峰のモノだろう。
そんな日向子が応報学園に通っている犬山明日葉の正体を知らないはずがないんだ。
犬山明日葉が鷹弓の十翼であることを知らないはずがないんだ。
十翼である犬山明日葉の獲物が……デリンジャー――銃――であることを知らないはずないんだ。
日向子は……大嘘つきは初めから知っていたんだろう。
十翼がいるかどうかは半信半疑と日向子は言っていたが初めから知っていた。
応法学園の生き残り、犬山明日葉は十翼の一人で、銃を武器として戦う人間だと。
銃にトラウマがある――まあ、トラウマの正体は僕なんだけれどね――刑では勝つ事が出来ず、敗れ……僕が表れてしまうとね。
「依頼を受けたその時からこの結末は見えていたんだろう?」
「何のことかなー?」と、無邪気な笑みで日向子はとぼけると、「そうそう」と言い、僕に札束を一つ投げ渡した。
僕はそれをキャッチする。
札束は一束で帯がされているので百万円だろう。
「餞別だよ。大事に使うんだよー」と、弾むような声で言ってきた。
「餞別? 違うだろ。これは、エリハからだまし取ったお金だろ」
僕の言葉に日向子はにやにやと笑みを浮かべる。「何の事かなー?」
僕はその質問に答えずに、自分の考えが正しかったことに気付いた。
やっぱりね。日向子は初めからすべて気づいていた。
そしてこの結末に向かうように……刑の暗殺依頼をNESTに出した。
政府が依頼したように別の仲介屋を経由して。
昂弥を刑が殺しても、明日葉と刑を殺し合わせるために。
刑が敗れて、僕が表れるように。
全ての罪を僕が被り……刑から離れなければならない状況を作るために。
食えない女だ。
僕は席を立つと、扉に向かい歩を進める。
そして、扉に手を伸ばし、ふと聞き忘れたことがあると思い、振り替える。
「日向子やっぱりもう一つだけ聞いてもいいかい?」
「うん? 何かなー? 年齢以外なら何でも答えるよ。たははははは」
「日向子にとって……命とは何かな?」
と、昨日エリハが皆に聞いた質問を投げかける。
日向子は瞳に面白いと言葉を宿し、答えを口にした。「私にとっての命とは……秤に狙われるものかなー」と。
「……面白いね」と、僕。
つまり日向子はこう言いたいのだろう。
刑に殺されたいのなら……私を殺せと。
僕を殺して、刑が自害すると言うことだけはさせない。
その為にならどんな手でも使うと。
どんなに手を汚そうが構わないと。
今回のように。
今回の結末のように。
それが嫌なら……自分を殺しに来いと。
僕が日向子の言葉に満足し、扉を押すと、「秤。やっぱり訂正していい?」と、言葉を投げかけて来た。
「……なんだい?」
と、僕はわずかに開いた扉を閉め振り替える。
「私の命は……」
と、そこで言葉を止め表情を消した。
「この巣で生きる、すべての雛鳥達だよ」
その言葉には弾むような抑揚もなく、ただ単に静な響きがあった。
「ふっ」と、僕は一度笑い、「面白いね」と、心の底から真実の言葉を述べた。
自分ではなく、自分のもとに――巣に――集う雛達が命と言った。
巣を――NEST――を捨てたこの女が命と言えるもの、それは刑であり、亜弥であり、頼流であり、抱える多くの殺し屋達なんだろう。
それを守るためになら……どんなに手を汚してもかなわない。
その為になら……僕の命などどうなろうと構わない。
その為になら……自分の命など、どうなろうが構わない。
「面白い答えだね。だったら僕は……刑に殺されるために……刑という名の雛鳥に殺されるために……この巣の主を殺そう」
そこで、僕は口角が歪むほど笑みを浮かべ、「刑が僕を殺せるほど強くなったその日にね」と、続けた。
「私は殺されないよ。雛鳥達を守るために……その日が来たら私が秤を殺す」
と、日向子は僕を今にも殺すという殺気を放ち言った。
その日がいつになるかはわからないが。
三日後になるか、三ヶ月後になるか、はたまた三年後になるかは分からないが、僕はその日を心の底から楽しみにしているという思いを込めてこう言った。
「それじゃあ、またね」と。
重い扉を開き、外に一歩踏み出すと、僕の背に向かい日向子は言った。
「またねー」と。
日向子は覚悟しているのだろう。
いつ来るのか分からないその日ではあるが、必ず訪れると。
アスファルトを踏みしめながら僕は喫茶雛鳥から離れていく。
日向子は僕がその日まで死なないだろうと思っているのであろう。
喫茶雛鳥の外から、僕が出てくるのを待ち伏せていた、NESTの刺客だろうが、鳳凰會の刺客であろうが、僕を殺すことが出来ないであろうと。
僕は太ももにつけたホルスターから二丁のコルトを抜き出す。
「それでは……僕と君達の命を秤にかけよう。死ぬのは君達か、それとも僕か」
秤は即座に傾き、命の重さが量られた。
落ち葉のように、アスファルトを血で染めた刺客達を背に僕は歩を進めた。
返り血ひとつ浴びずに、新緑の葉のように僕は力強く歩を進める。
いずれ訪れるであろう、刑に殺される日を心待ちにしながら。
この綺麗な身が、赤く染まり、地面を彩る落ち葉へと変わる日を夢見ながら。