第151話
「日向子、一つだけいいかい?」
表情を変える事無く話し続けていた僕は、その時始めて顔に感情の色を出した。
神妙な面持ちをした僕に、「うん?」と、缶コーヒーに口をつけながら日向子は小首を傾げた。
「どうしたの? そんな人間臭い顔して」
人間臭いか。
そんな言葉初めて言われたな。
僕は物心付いたときにはこの暴力と殺戮が支配する裏の世界にいた。
幼い頃の思い出を辿っても、普通の少年少女のようなかくれんぼをして遊んだ記憶も、鬼ごっこをして遊んだ記憶もないな。
ターゲットから隠れて暗殺した記憶と、ターゲットを追いかけ惨殺した記憶しかない。
他のどの殺し屋よりも早くに僕の才能は開花したという。
善悪の区別が付くより早く、喜怒哀楽の意味を知るよりも早く、僕は人殺しになり、生を刈り取って生きてきた。
だからなんだろうか。
僕は未だに命と言うものが何かを知らない。
人を殺す事は救済だと教えられても、当たり前に殺し続けた過去がある以上ピンと来ることはなかった。
そりゃそうだ。
救済と言うのならば、その人を救うことになる。
けれど、僕にはなぜ救わなければならないのか理解できないのだから。
人を殺す事はいけないことだとテレビで言っていたが、当たり前のように殺し続けた過去がある以上、ピンと来ることはなかった。
そりゃそうだ。
命はたった一つのかけがえのないものだと聞かされても、かけがえのないものだから大事にしないといけないと言う意味を僕は理解できなかったのだから。
命とは何なのか?
僕はそれが知りたい。
あんなにも脆く、あんなにも軽いものだというのに、全ての人間に平等に与えられたもの。
命は奪って良いのか?
命は奪ってはいけないのか?
命は奪うべきものなのか?
命は守るべきものなのか?
僕はその答えが知りたい。
知りたい。
十年以上の年月を殺しに費やし、あまたの命を奪い、答えを求め続けた僕はいつしか化け物と呼ばれるようになった。
答えを求め、生を奪う人間を殺し、生に執着する人間を殺してきた。
姫路組の組長を殺しても答えは見つからなかった。
加賀美円を殺しても答えは見つからなかった。
けれど、僕は出会った。
裏の世界に、深遠に生きる人間の間で育ちながらも、表の世界しか知らない少女に。
誰よりも濃い裏の血を身に宿しながら、表の世界の常識を脳に宿した少女に。
親元に行きたいたいと死を願いながら、親を殺した殺し屋に復讐したいという思いを持つ少女に。
彼女の生は、彼女の命は秤に乗せられ葛藤をしながらも、揺れるだけでどちらにも傾こうとはしなかった。
彼女なら僕の疑問に答えてくれる。
彼女なら僕の命の答えを出してくれる。
僕は正しいのか?
間違っているのか?
僕は生きるべきなのか、死ぬべきなのか?
刑なら僕の秤を動かしてくれるはず。
だから。
だから僕は日向子に聞かなければならない。
「算定か否定か言ってくれないかい?」
日向子の言葉を無視し僕は言った。
「……いいよ。たった一つだけなら、嘘偽りない答えを出してあげるよ」
この質問に答えて貰えば、僕はこの喫茶雛鳥を後にしよう。
そう心に決め缶コーヒーを飲みきった。
ミルクの甘みを口の中で感じながら、僕は最後の質問をぶつけた。
「君は……刑の味方か? それとも敵かい?」
僕が聞くと日向子は、「味方だよ」と、低い声で即答した。
「……」
「……」
僕らは無言で見詰め合った。
もし、ここで敵だと答えられた、又は明確に嘘だと分かったときは、日向子を排除しよう。
そう思っていた。
けれど、日向子は味方だと答え、なおかつ嘘を言っているようには感じられなかった。
まあ、だからといって嘘をついていないとは言い切れないけれどね。
僕の知る全ての人間の中で、最も嘘をつき慣れた人間が日向子なのだから。
その視線は真実を語っているようでもあり偽りを語っているようでもあり、僕といえども答えを導き出す事は出来なかった。
答えは出せなかったが、僕は日向子の言葉を信じることにした。
この大嘘つきの言葉を。
僕にはそうするしか選択肢が残されていないんだから。
僕の命を秤にかけられるのは刑しかいない。
そして刑が僕の命を秤にかけるためには、僕よりも強くならなければならない。
人外魔境のこの裏の世界で、魑魅魍魎が跋扈するこの裏の世界で、他の追随を許さなかった、十鳥の十翼である僕を殺すためには、日向子の助けが必要だ。
響の、巽爺の、四季場の助けが。
「それなら良い」
そう答え僕はカウンターに置かれたブラウンのリュックを肩にかける。
「もう聞くことはないね」