第145話
「亜弥は日向子の事をどの位知っている?」
僕が訪ねると、亜弥は化粧をしていないというのに、朝露に濡れたリンゴのように艶やかな赤い下唇に人差し指をあて考え出した。
お嬢様然とした亜弥には良く似合ったポージングだな。僕がやったら『お腹空いたのと?』と、聞かれそうだ。
僕が女子力のなさを感じていると、亜弥は口を開いた。
「伝説になるほどの殺し屋ですわね。NEST設立の邪魔になった暗殺ギルドを単身壊滅させ、自身の配下に収めていった話は有名で、NESTから抜ける際も自身に付き従う四人の翼と共に何百もの殺し屋を倒した話はもはや伝説ですわね。フリーの仲介屋になった今でもその鶴の一声で慕っている何人もの凄腕の殺し屋が動くとの噂ですわ」
うんうんと、日向子を慕う殺し屋の一人、響は頷いた。
響は当たりと思っているようだが、僕は、「概ねは正解だね」と、答えた。
逸話は当たっているが、慕っている殺し屋が何人もいるという点は疑問だからね。
正しくは日向子の一声で強制的に動かされる殺し屋が何人もいるだ。
その一人でもある僕は亜弥に釘を刺した。
「亜弥、君は今、人生の分岐点にいるんだよ。日向子を頼り沙弥の復讐を果たす道と、この狂った世界から抜け出す道の二本がある。どちらの道を選んでも後には引けないよ。君が日向子に出会った時、その選択を迫るだろうからしっかりと考えて答えを出すといいよ」
「……復讐を諦める道があると思いますか? 私は半身を捥がれた女ですよ。敵意と言う名の義手をつけ、殺意と言う名の義足を付け歩むことが出来るのは……復讐と言う名の道だけですわ」
「それが君の命といえるかい?」
命とは姫路の長となるべきもの以外のものは路傍の石と語っていた。
つまり、自分の命すら路傍の石であり、沙弥以外は価値の無いものと言うことだ。
まあ、エリハはその時は亜弥と沙弥が長女の身分を偽っていた事を知らなかったから、妹の沙弥をも切り捨てる考えだと思っていたけれど。
尊い輝石を失った路傍の石は、命をどうとらえるのだろうか?
「はい。復習をする。あいつを……私は許さない。沙弥の復習をするためにあるもの……これが今の私の命といえます」
半身を奪われ死んだ路傍の石の新しい命は復讐。
そう語る亜弥の瞳は決意と殺意に満ちていた。
「アハハハハ。うん。面白い。沙弥の復讐を果たす事こそ命と言える。新しい命の持ち方ではあるが、沙弥のためと言う一点では曇りがない。路傍の石が輝いているよ。じゃあ……復讐を果たしたら君はどうする? 命が復習と言うならば、達成した先にあるものは……死だけだよ」
首里組の面々は悠一郎の敵を取れば死ぬ覚悟をしていた。
亜弥はどうなのだろうか?
「……復讐を果たしたら……お姉様に報告します。そこでまた……次の命の意味を考えようと思います。お姉様が身を挺して守ってくれたこの命。雑には使えませんから」
瞳から殺意の色が消え、柔和な笑みを浮かべた。
艶やかでも妖艶でもない、微笑み。
姉への愛で溢れた笑み。
ああ、そうか。
亜弥の命の意味とは復讐でもないんだ。
一貫してぶれることのない沙弥への愛。
失ってなお亜弥の根幹であり、全てであるんだ。
「君の命は……沙弥への愛で溢れているね。うん。面白い。君は死ぬべきじゃない人間だ。素晴らしい命の意味を持っているんだから」
僕は亜弥にそう伝えすっかり冷めたカフェオレをスプーンでくるくるとかき混ぜ喉に流し込む。
「人の生を歪めるようなくだらない事件だったけれど、君達みたいな命の持ち方の人に出会えたんだから僕にとってはデメリットだけじゃなかったようだね」