第141話
「それでお犬さんは殺したのですか?」
僕の話を聞いていた亜弥が、射殺すような目を僕に向け聞いてきた。
昨日までとは違い眼鏡をかけていた。
普段はコンタクトなのかな?
眼鏡をかけた亜弥は髪形こそ違えど、沙弥とそっくりだった。
二人並べれば違いが分かるかもしれないが、一日一緒にいただけの僕では、もし街で声をかけられても亜弥か沙弥かの区別を付けることはできないかもしれないな。
いや、判断をつける必要はもうないか。
沙弥は死んだ。
亜弥でしかありえないのだから。
亜弥は眼鏡以外にも昨日と容姿の変化があった。
まず衣服が制服じゃない点。
昨日の首里組の襲撃で亜弥の制服はズタズタに引き裂かれていたので、今は響が用意したグレイのロングスカートとトレーナーを身に付けていた。
一見ダサく見えそうな組み合わせだが、モデル体型の亜弥が着ると今年の流行りのファッションと言っても過言じゃないほどお洒落に見えた。
僕もやってみようかな?
そして、もう一点違う所があった。
それは頭に巻かれた包帯だ。
頭部の裂傷により七針縫ったと聞いた。
気絶していた時間が長いので脳のCTを取ったらしいが、問題はないようだった。
さすがは青葉組の医術と言ったところか。
致命傷に見えるような怪我を負わせていても実際は命の別状はない。最良の力加減で踏み抜いたんだろう。
三日前に十六人死んだ校舎で昨日三人の命が奪われた。
鶴賀徳人。
姫路沙弥。
そして青葉昂弥こと姫路昂弥の三人の。
「殺しはしなかったよ。エリハが受けた依頼は、『十六人殺した殺人犯を抹殺せよ』だ。つまり殺すターゲットは殺人犯であり、偽装工作しただけの明日葉は元からターゲットではないんだ」
昨日と同じ応法学園のブレザー姿で僕は言った。
教室を転がったときに付いた血は響が血抜きしてくれたので目立つことはないが、臭いを完璧に取り除くことは出来なかったようで、不意に鼻腔に血の香りが届いてきた。
まあ、悪くはないがね。
「そんな理由でお犬様を殺さなかったと?」
亜弥の言葉には殺気が篭っていた。
「殺し屋は依頼以外では人を殺さないもんなんだよ」 と、亜弥の殺気を軽く流し、手櫛で髪を流整え、ヘアピンで留め直す。
「……それで納得しろと?」
亜弥は響に入れてもらったコーヒーをすすると、また僕に強い視線を送った。
「君は何に怒っているんだい? 沙弥を殺したのは昂弥であり明日葉ではないんだよ。怒りの矛先を間違っているんじゃないかい」
といい、「まあ、ぶつけたい昂弥も刑が殺してもういないんだけれどね」と、続ける。
「……」
亜弥は押し黙った。
刑にとっての両親と同様に命よりも大事な最愛の姉、沙弥を失った亜弥にとって生きるすべは姉を殺した人間への復讐、その一点だけなんだろう。
面白いな。
「もし君が怒りをぶつけたいというならば、一人だけその矛先になりうる人物はいるよ」
「……そうですね」
「どうするかは君が決めること。握った拳を振るうのか、開くのかは個人の自由だからね」
僕はそう言うとコーヒーに口をつけ、苦味と香りを楽しむ。
うん……不味いな。
「こんな苦い飲み物のどこが美味しいんだい? カフェオレにするからミルクをくれ」
「エリちゃんはブラックで飲んでいたのに、秤と来たらコーヒーの飲み方も知らないようだね」
と、時間をかけコーヒーを淹れた響が言ってくる。
「おや。コーヒーの飲み方なんて人それぞれ。店側は飲む人が最も好きな形で提供をするものじゃないのかな? そもそも、ミルクを入れるくらいで文句を言われる筋合いはないんじゃないか? 喫茶店で缶コーヒーを飲む失礼な輩もいるんだしね」
カウンターに置かれた一本の缶コーヒーに視線を送る。
「確かにね」と、肩をすぼめ響は小さなカップに入れられたミルクを差し出した。
コーヒーをスプーンで混ぜ、ミルクを落とすと黒と白の渦が出来た。
少し眺めた後またスプーンで混ぜると茶色の色に変わった。
コーヒーとミルクは混ざり合った。
僕とエリハとは違い。
黒である僕と、白であるエリハを一つの体に混ぜたというのに、出来上がったのは茶色ではなく黒である僕――秤恵美奈だった。
僕が手元を見ていると、「おちびさん……歌波様はもう、いないんですね」と亜弥が口を開いた。
「もう、いないか。少しニュアンスが違うね。歌波エリハは元から存在しないんだよ。あれは僕が作り出した擬似人格でしかないからね」
「先ほどお話があった青葉様と同じと言うことですか?」
「いいや。僕と昂弥は違うね」
カフェオレを口につけ僕は、「ふぅ」と一息つく。うん。
カフェオレなら飲めそうだ。
「昂弥は心の弱さから、姫路の家督を継ぐにふさわしいもう一人の自分を作ろうとした。それがハイドでもある姫路昂弥。かたやエリハは僕が刑の成長を見守るために作り出したジキルなんだよ」