第140話
明日葉の瞳を見つめ、少しだけ殺気を込める。
すると、明日葉は気圧されたように体を一瞬だけ震わせた。それは瞬きをするよりも短い刹那の時だったが、僕が動くには十分な時間だった。
踏み込みながら明日葉のデリンジャーを持つ手にアナコンダを絡め射線から僕と刑を外すと、同時に鳩尾にキングコブラの銃身を捻り込む。
「かはっ」っと、肺から息が洩れ、体がくの字に曲がったので僕はうなじにアナコンダのグリップをトンと叩き付ける。
「あっ」っと、また息を漏らすとワンちゃんの体は見えない糸に引っ張られるように地面に倒れていった。
「ワンちゃん、ちょっと眠っていてくれるかな? 刑が僕を殺しに来るからさ」
いい終えると僕の背後からひゅっと風きり音が聞こえた。
僕は会釈するかのように頭を下げる。
すると、頭上をファイティングナイフが通過していった。
「うん。いい斬撃だね。小さな体を鞭のようにしならせて筋力不足を補っているんだね。ただ速度も威力も十分なんだけど……まだ刑の筋力じゃ連撃を繰り出す事は出来ないようだね。その為かな? 一撃で決めようと振りが大きくなっているね」
僕が話していると刑は体勢を立て直し、今度は一歩踏み込みながら下から上に切り上げてきた。
うん。
この一撃も速いなと思いながらも僕は重心を後ろに傾け避けた。
その時、刑の目が見開かれ、踏み込んだ足に力を入れた。
腹に開いた穴からぴゅっと血が吹き出るが、刑はお構いなしにグリップを握る手にも力を入れ、ファイティングナイフを振り下ろした。
渾身の一撃だろう。
出血量を考えてもこれが限界かもしれないな。
追撃はもうできない、まさに渾身の一撃だ。
鉄パイプすら切断しそうな斬撃が僕の頭部を真っ二つにしようと迫ってくる。
アナコンダでもキングコブラでも防御は無理そうだし、左右に避けてもこの応法学園の可愛い制服が切り裂かれそうだったので……僕は前に動くことにした。
刑の胸に顔から飛び込んでいく。
予想外の行動をとった僕に、刑は驚いたような顔を見せる。
実際驚いたのだろう。
渾身の一撃が抱き付かれることによって防がれたんだから。
しかし、この避け方をしたことにより、僕にとっても予想外のことが起きた。
「痛っ」
痛みのあまり僕は声を漏らしてしまった。
刑の――薄い胸に鼻がぶつかり鈍痛が走った。
エリハも僕も……Aの胸を気にしているが、刑はもっと小さそうだな。
「明日から牛乳を飲むんだよ」と、小さな胸に顔を埋めながら、僕はアナコンダの銃身を――刑のわき腹に……開いた穴に捻り込んだ。
「――!」
見上げてみると刑は歯を食い縛り必死に痛みを耐えていた。
「……痛いかい?」
「……」
返事はない。
「楽になりたいかい?」
もう一丁のキングコブラを刑のこめかみに当てると、刑の顔がリトマス試験紙のアルカリ性反応のように赤から青に……蒼白に変わった。
「……はぁっ……うっ」っと、口から洩れた空気が音となった。
唇がふるふると震え、堰を切ったかのように大粒の涙が零れ落ちてくる。
悲しみの涙ではなく喜びの涙が。
「嬉しいかい?」
死ねることが?
「……」
こくんと首が振られる。
父の元へ行ける安堵の表情が、母の元へ行ける喜びの表情が、刑の顔には表れていた。
いい顔だ。
自分の命を捨ててでも両親の命の懇願をした刑の、両親への思いが溢れていた。
「でも……」
と、呟き、僕はその顔を崩させた。
僕が見たいのはその顔じゃないんだ。
「……殺さないよ。僕はなにがあろうと君を殺さない」
「……」
表情が絶望に染まる。
「死にたかったら僕を殺してから死ね。親の敵をとってから僕の墓標の前で死ね。君の命はもう……僕への復讐のためにあるんだから、楽に死ぬなんて道はないんだよ」
「……ぁぁ……ぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっぁぁあぁぁ!」
刑の口からはっきりと言葉が洩れた。
「君が死ぬ事を僕は許さない。死にたかったら……もっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっと、ふう。もっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっと、ふう。もっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっと強くなるんだよ」
にっこり笑いかけると、「うぅぁあああぁあぁああああぁぁっぁあぁぁぁぁっぁぁぁぁあぁあぁっぁあっぁあぁ」と、日が降りつつある屋上に刑の小さな絶叫が駆け抜けた。
「……お休み刑。次に会う時は……僕を殺してね」
絶叫に耳を傾けながら刑の鳩尾に膝をいれ、眠りの世界に誘った。
毒リンゴを食べさせられた白雪姫のように刑は夢の世界に旅立っていった。
膝に着いた血を拭い、「さてと……ワンちゃんお待たせ」と、うつぶせに寝ている明日葉に声をかける。
犬山はごろんと寝返りを打ちあお向けになると、「吐き気がするっす」と言った。
「さすが妃弓の翼だね。気絶させるつもりだったのに、とっさに首を動かして急所を庇うなんてなかなか出来るもんじゃないよ」
「けれど、その結果がこれっすよ。激痛と吐き気のハーモニー。気絶できたほうが百万倍ましっすよ」と言い、よろよろと立ち上がり、意識を保とうと頭をぶんぶん振った。
「うぅー、吐きそうっす」
「体調も悪いようだしもう止める……ってわけにはいかないようだね」
話していると、明日葉は落としたデリンジャーとフィンガーリングナイフを拾っていた。
「殺し屋とターゲットが出会って談笑してハイさよならー。そんなわけにはいかないっすよ」
握った武器を投げ上げ、背後でキャッチすると、両手をだらんと垂らした。
「そうだね」と、僕は苦笑し二丁のコルトを下げる。
「それじゃあ幕引きにしようか」と呟き、明日葉の瞳を見つめて三年ぶりにキメ台詞を口に出した。
「君の命の価値を秤にかけよう。さあどちらに傾く」