第139話
さあ、ここからが僕の時間だ。
パンドラの箱に最後に残った物は希望だったが、今回だけは違うようだ。
最後の一つは絶望。
さあ、絶望に向け話を進めようか。
誰もが傷つき誰もが悲しむ結末に向け、絶望が――僕が口を開く。
「君のために忠告したというのに――触ってしまったね」
僕は明日葉に向かい言うと、アナコンダの銃身を掴み引いた。
明日葉の体勢が崩れたので左脇に抱えた木箱を蹴り上げながら、銃身を掴んだ手首を百八十度回転させる。
すると明日葉は、「くっ」っと顔を歪め、アナコンダから手を離し、バックステップで距離をとった。
僕は片手で木箱をキャッチすると、そっと地面に置き、中からキングコブラを取り出し、「久しぶり」と、三年ぶりの邂逅を果たした愛銃に話しかけた。
「……エリちん……っすよね?」
不思議なものを見るかのようにパチパチと瞬きをしながら尋ねてきた。
「どうしたんだい明日葉……いや、君はワンちゃんと呼んでもらいたいといっていたから、ワンちゃんかな。僕はエリちん――歌波エリハだよ」
「……歌波エリハ? うちは歌波エリって聞いていたんすけど?」
「それは日向子がそう学園に伝えていたんだろうね。まったく日向子がなにを考えているのかは昔から分からないね。まぁ、きっと、よからぬ事を企んでいるんだろうけど」
「……うちはエリちんが何考えているのか分からないっすよ」
「僕がかい?」と、アナコンダで自分を指し、質問に答えた。
「考えていることかい? ワンちゃんの殺し方。ただそれだけだよ」
「エリちんが? 半人前の技量しか持っていないエリちんがうちを殺すって言うんすか? 拳銃を持って強くなったとでも思っているんすかね」
言葉とは裏腹に視線を銃身に送ると、片足を引き膝を軽く曲げ、構えを取った。
右手はミニスカートから露になった太腿の横に置かれている。いつでもナイフを取れるようにしているんだろう。
「デリンジャーの弾の補充はしなくて良いのかい?」
「……交換中にズドン! って撃たれそうっすからね」
「撃つはずないだろう。折角、鷹弓の秘蔵っ子と殺れるんだから、そんな直ぐに幕を引くわけないだろう。三年ぶりの殺し合いなんだ――楽しまないと損だよ」
「……エリちん、狂っているっすよ。頭でも打ったんすか?」
明日葉はそう言いながらもポケットからデリンジャーを取り出し、反対のポケットにしまっていた弾丸を補充した。
「狂っている? 僕以上に狂っている人なんてこの世界には五万といるよ」
「自分が狂っているのは否定しないんっすね」
「否定しないよ。この狂った世界にいる登場人物が狂っていないわけないだろ。世界も人も狂っているからバランスが取れ、秤が釣り合うんだよ」
僕の言葉を聞き明日葉の目が見開かれた。
どうやら、僕が誰なのか気づいたようだ。
「そうだ、一つお願いがあるんだ。エリちんって呼び方じゃなくて――エミちんって呼んでもらってもいいかな?」
「……歌波エリハ……カナミエリハ……ハカ……リ……エミナ。秤……恵美奈ッ」
名前を並び替え僕の本名――秤恵美奈――に辿り着いたようだ。
刑のアナグラムに比べれば、簡単な並び替えであるが、僕の名前を日向子が歌波エリと伝えていたから気づかなかったのだろう。
「滑稽な話っすよ。うちはあの秤と一緒にいたんすね。エリちん……いや、エミちんには騙されたっすよッ」
喜びと怒りが入り混じった顔で叫ぶと、猫目を輝かせた。
「騙した? 僕もエリハも騙してなんかないよ。ワンちゃんが会ったのは歌波エリハで間違いないんだからね」
小首をかしげ、「どういう事っすか?」と明日葉は聞いてきた。
「そのままの意味だよ。僕とワンちゃんはこの屋上でたった今会ったばかり、そう言う事だよ」
「……さっきまでは秤絵美奈ではなくエリちんだったと言うことっすか?」
「そう言う事だよ」
「……エミちんは二重人格と言うことっすか?」
「二重人格か。昂弥は解離性同一性障害と言っていたね。けれど、僕の場合はどちらかと言うと……ジキルとハイドって言うところかな」
「ジキルとハイド?」
「刑を殺さないために僕――ハイドが作り出したのが歌波エリハ――ジキルなんだよ。面白い話だね。悪であるハイドが善であるジキルを作り出したんだからね」
「ケイちんを殺さないため? うちや他の殺し屋から守るためっすか?」
「違うよ。刑を僕の手から守るために、エリハを作り出したんだよ」
犬山に語ると背後で何かが動く気配を感じた。刑が動いた音だろう。
僕が出てきてホッとしているだろうか?
安心しているだろうか?
それとも……。
僕はデリンジャーを構えている明日葉を無視し、首を後ろに回し刑に視線を送る。
どんな表情をしているのか、胸を躍らせながら見てみると刑の表情はシンプルなものだった。
三者三様と言うが、誰が見ても怒っていると分かる刑の顔。
十人十色と言うが、誰が見ても怨んでいると分かる刑の顔。
百者百様と言うが、誰が見ても殺意に溢れていると分かる刑の顔。
「ふっ。良い顔だよ。でも君じゃ僕を殺せないよ。だって君はまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだ、ふう。まだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだ弱いんだからね」
「……!」
脇腹を押さえながら、刑はぎこちない動きで立ち上がった。
焼けるような痛みに顔を歪めながらも、目だけは僕への殺意を燃やしていた。
片手で無骨なファイティングナイフを握りながら、よたよたと歩を進める姿はまるでB級ホラーのゾンビのようだった。
ただし、美少女のゾンビだから近づかれても嫌な気はしないけどね。
荒い呼吸で僕を見つめる刑に明日葉は、「ケイちん。秤はうちの獲物っすよ」と、デリンジャーを持つ手を向けた。
「いいや、僕は――刑の獲物だよ」