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波原刑と私の関係  作者: 也麻田麻也
第9章 波原刑と私
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第132話

「……えっ?」と、死に掛けているというのに、鳩が豆鉄砲を食らったように目を丸く見開き私をまじまじと見つめた。

 

 予想外の質問だったのだろう。


「変わった質問だね……。ふふっ。殺人鬼ハイドの最後の言葉がジキル博士とハイド氏の話をするなんて面白いね……いいよ。ジキルは薬でハイド氏になるんだけれど……」


 青葉はまた目をゆっくりと閉じ、ジキルとハイドの話をし始めた。まるで子供に絵本を読み聞かせるように優しい声で。

「ジキル博士は……発明した薬を飲んで自身の悪の部分だけを受け継いだ醜悪な男……ハイド氏に変わってしまい、悪行の限りを尽くしてしまうんだ。けれど……そのハイド氏も元に戻る薬を口にすることによってジキル博士に戻れるんだけれど……幾度となくハイド氏に変貌していくうちに元に戻る薬の効果が薄れていって……ハイド氏に変わる薬を飲まなくてもハイド氏になってしまうようになるんだ。それで……ジキル博士は次にハイド氏に変わればもう元には戻れないことに気づき……自殺することによりジキルとして死ぬ事を選ぶ……これがジキル博士とハイド氏の奇妙な物語のあらすじであり結末だよ……。これでいいかな?」

 青葉の話は分かりやすく、私の頭の中の空白のピースを埋めてくれた。


「……青葉さんは……死にたかったんですね」


「……何を言っているんだい? 僕は姫路昂弥……神である姫路叡山の子であり、この街を統べる者なんだよ」


「違います。あなたは青葉昂弥です」


「……青葉……昂弥」


「青葉昂弥がジキル氏であり、あなたがならなければいけないと思った人物が姫路昂弥。姫路の血を継ぐ殺人鬼ハイドなんですね。教室で十六人殺したのはあなたで間違いありません。その動機は分かりませんが、青葉さんはきっと悔やんだんですよね? だからあなたは図書室で私にこう言ったんです。クラスの誰でもなく自分が死ぬべきであり、死にたいんだと。そして自分を殺してくれるだろう殺し屋、波原刑を呼ぶためにヒントを出してくれました。犯人はハイド氏だと。それは二面性を表すために言ったんですよね? 白石さんをハイドと言いましたが、彼が人を殺さない事を考えると、一番二面性がある自分が犯人だというために」


「……ジキル博士とハイド氏を読んで、いづれ僕は人殺しも厭わないハイド氏になるんだと思ったんだ。だから……殺して欲しかった。でも自分で自殺する勇気はなくて教室で愛瀬さんに殺してくれって頼んだんだよ。けれど彼女はこう言ったんだ『護衛として来ているというのに殺せるわけがないだろ。私がお前を殺すとしたら、殺意を向けられたときだけだ』って。だから僕は彼女に刃物を向けたんだ……」


 青葉は刃を向けたけれど願いが叶わなかった。

 彼は愛瀬よりもその時教室にいた誰よりも強かったんだから。


「殺してくれって叫びながら教室を回ったんだ。けれど……気づいたときには僕は教室に一人たたずんでいた。そしてワンちゃんが教室に来たんだ」


 犬山が来た。

 その言葉を聞き私はチラリと視線を彼女に移した。犬山は刑と切り結んでいた。


 フェンスを駆け上りこっちに向ってこようとしたが刑が飛びナイフを一閃した。フェンスを切り裂きながら犬山に刃が迫ると犬山はフェンスから飛びき、歯がゆそうな顔をした。


 こっちは大丈夫そうだな。


 そう思い私は青葉に視線を戻した。血を吸ったブレザーはもう元が何色なのか分からないほど血で染まっていた。

 もう長くないなのは間違いないな。


「最初は驚いたような顔をしたけれど……すぐに……さすが姫路叡山の子ですねって言ったんだ。それで……気づいたんだ……ああ僕はもう……ハイドになってたんだって」

 ハイドになってしまったと語った青葉の顔は悲しみが溢れていた。


 青葉は自分がもうジキルには戻れないと思い絶望していたんだ。


「歌波さんに助けを求めたけれど……僕は……皆を殺してしまった……もうジキルには戻れないんだ……」

 すっと大粒の涙がこぼれた。顎から滴った涙は赤い地面に落ちていった。


「青葉さんはジキルですよ。だってここでは誰にも致命傷を与えていないじゃないですか。私には分かりました。青葉さんは殺したくなかったんです。鶴賀さんだって動かなければ死ななかっただろうし、亜弥さんだってコンクリートに全力で打ち付ければ殺すことが出来たのに力を押さえたので生きているんです。白石さんだって止めにナイフを心臓に突き刺せば殺せたのに、細い刃のバタフライナイフを腰に浅く刺していました。そして沙弥さんは……亜弥さんと私に投げたナイフを体を張って止めたから亡くなってしまいました。沙弥さんを殺してしまいましたがこれは事故だったんです。青葉さん……あなたは誰も殺したくなかったんですよ。裏の世界にいながらも……ジキルでいたかった。ハイドではなく……表の世界の人間でいたかったんですよね?」


「……もう……殺したくない……よ……うっ……うっ……」

 青葉は本当の思いを口にし涙を流した。


「もう。誰も殺さなくていいんです。あなたは……ジキルなんだから……」


「……うっ……僕は……ジキルで……死ねるの……?」


「はい。あなたはジキルとして死ねます。私が保証します」


 押さえた傷口から感じる拍動が弱くなっていることが指先に伝わってきた。


「青葉さん……最後に聞いていいですか?」


「……うん」


「青葉さんにとって……命とはなんですか?」


 図書室では分からないと言った青葉は微笑んだ。

「お母さんと過ごした……あの部屋……で……の日々が……僕にとって全てだったな。ううん……あの日々を……命を懸けてでも……取り戻したかった……お母さんに会いたい……お母さん……ごめんね」


 また涙がこぼれ出す。


 拍動はもう驚くほど弱かった。


 もういくばくの時間もないのが分かる。


 なんと声をかけようか私は考えた。


 必死に考えると青葉のゴメンネと言う言葉の意味に気づいてしまった。


「……大丈夫です。お母さんも分かってくれているはずですよ。きっと……あっちで青葉さんとまた一緒に暮らすのを楽しみに待っているはずです」


「……本当?」


「はい。私には分かるんです。だから……悲しい顔をしないで下さい。あなたは悪くない。悪いのは……狂っているのは……この世界なんですから」


「お母さん待っていて……ね……」

 青葉の涙は収まらなかったが、この顔は喜びと楽しみに満ち溢れていた。


 ジキルとして逝ける喜びと母親に会える楽しみが溢れていた。

 彼の顔には怒りと悲しみは微塵もなかった。


「ありがとう……か……あれ……おかしいな……名前が……思いだ……せ……」

 青葉の目がゆっくりと閉じていった。


 もう名前も思い出せないようだった。

 私はブレザーから手を離し青葉の手をそっと握った。

「歌波です。歌波エリハです」


「そうだった……かな……み……え……………………り…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」

 青葉は最後の文字を言う事無はなかった。


 殺人鬼ハイドなど居なかった。いたのはただの悲しい犠牲者ジキルだった。


 犠牲者。


 この裏の世界の。


 この狂った世界の犠牲者だった。


 

 ああ、そうか。

 どうして私が青葉に惹かれたのかが分かった。


 彼は似ているんだ、刑に。


 表の世界にいたかったと言うのに、この世界に足を踏み入れるしかなかった刑と、この世界に連れて来られてしまった青葉の雰囲気が似ていたんだ。


 私の好きな刑と彼の雰囲気が。


「あなたの命の捕らえ方――好きですよ」と言い、私はすっと手を離し、「ゆっくり休んでくださいね……お母さんと一緒に」

 きっと彼は……実の母をその手で殺したんだろう。私の想像であり、もう確認するすべもないけれど、青葉家の人間として、姫路叡山の子を連れ出した女を……尋問したんだろう。


 私の想像でしかないけれど。


 殺して……死にたくなった。


 私の想像でしかないけれど。

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