第130話
朝の挨拶のときも、首里組が攻め入ってくるときも、屋上で殺しあったときも青葉はおかしな行動を取っていた。
朝、私が犬山に喧嘩の仲裁に入らないのかと耳打ちしたとき――彼には聴こえていた。
首里組が攻め入ってくるときも犬山は青葉に音は聴こえているかと聞いた。
そして、チャイムが鳴った時にいち早くヘリの音を聞き分けていた。
通常では聞こえないような声や音も彼には聴こえていたんだ。
けれど……。
「耳が良いだけで、刑の攻撃が交わせるなんて……」
私が呟くと、「出来るよ」と、青葉はジャグリングナイフに付いた血を払いながら答えた。
「人間の視野は百六十度から二百度ほどだけれど、聴覚は三百六十度、全方位の情報を伝えてくれるんだよ。人間は生きていく以上音を出さない事は不可能なんだ。戦いでも同じだね。呼吸音に踏み込みの音とそれに伴う衣擦れの音。本当に煩い。何でみんな静かにできないんだろうね? 悲鳴を上げて悲鳴を上げて悲鳴を上げて、耳ざわりなんだよね。ほらっ」
青葉はジャグリングナイフを投げると自身も同時に駆け出した。
迫り来るナイフを刑は右に飛び避けるが、その動きよりも速く青葉も飛び、刑の進路を防ぐようにジャグリングナイフを振るった。
「――!」
刑はとっさにファイティングナイフで受けようとするが防ぎきれずに肩にナイフが掠った。
「……」
刑は肩に触れ傷の確認をすると、指の先には赤い血がついていた。
「ねっ、これで分かったでしょ」
青葉が言っている事は間違いがなさそうだった。
刑が右にでも左にでも避けられる位置にナイフを投げていた。
そして刑が飛びのくよりも早くその方向を読み……いや、方向を聴き動いていた。
人間が飛ぶためには膝のバネと踏み込みが必要になる。
青葉はそのわずかな踏み込みの音を聴き、先回りするように動いていた。
「君の動きは分かりやすいね。踏み込みの音も、ナイフを振るう際の息遣いも大きすぎるね」
「ああ、それはうちも思ってたんすよ。体捌きもナイフ捌きもめちゃくちゃ上級者なのに、息遣いが激しいんすよね。やっぱり今時の若者は、かっかしやすいんすかね?」
「……」
刑は肩の傷を押さえ、ハッハッと息をしながらチラリと私を見た。
「うん? ケイちんどうしたんすか? エリちんにヘルプでも頼みたいんすか? 無駄っすよ。エリちん程度の実力じゃ手助けにもなんないっすよ。どうするっすか? 十鳥日向子にでも助けてコールするっすか?」
「……」
刑はゆっくり呼吸をし、また青葉を見据える。
「アハハハ。ケイちんダメっすよ。またそんな殺気だしちゃうちには通じないっすよ」
確かに刑の殺気は私にも伝わってきた。
不恰好なほど、殺すという思いが私の肌を突き刺してきた。
これじゃあ、動きを読まれるもの頷けた。
「刑。殺気立っては勝てません。落ち着いてください」
視線がチラリと私に移るが、殺気は治まらなかった。
「おお、また殺気が膨れ上がったすね」
「うん。今度は僕にもわかるくらい殺気立ってるね」
「お肌がピリピリして肌荒れしそうっすよ……ケイちんはなんでこんなに怒ってるんすかね? ヒメちんはなんでだと思うっすか?」
「なんでかな? 怒るときか……お母さんでも死んだのかな?」
青葉はクスッと悲しげな笑みを見せると刑の表情が変わった。
無表情だったさっきまでとは違い刑は今……微笑んでいた。
「……あれっ? 殺気が……」っと、犬山が疑問を持ったような声があがった。
刑はそんな声も気にせず青葉に向かい駆け出した。
音もなく。
「……ッ」
青葉の顔から悲しげな笑みが消え、驚愕の色が浮かんだ。
「ヒメちん、逃げるっす!」と、叫び犬山が駆け出すが、刑のナイフを振るうほうが早かった。
青葉は聴こえるから対応できると言ったが聴こえなかったとしたらどうだろうか?
足音が呼吸音が衣擦れの音がしなかったとしたらどうだ?
響さんのように無音だったのならどうだろ?
微笑みながら刑はファイティングナイフを首目掛け振るった。
音に頼った戦い方をしていた青葉は反応が遅れていた。
無音な事に気づき、青葉は慌てるようにバタフライナイフを立ててガードする。
悪手だ。
ここは怪我をする事を覚悟し避けるべきだった。
刑の無骨なファイティングナイフを私の脆いバタフライナイフでは――受け切れない。
二つのナイフがぶつかり合いガキーンと今まで以上の金属音を奏でると、バタフライナイフが砕けた。
折れた刃が宙に舞うと同時に刑のナイフが青葉の首を通り過ぎた。
「えっ、アッっ――っ」
水道管が破裂したかのように血が噴出すと、青葉は手をあて血を止めようとする。
が、押さえた指の隙間から血が溢れ出てきた。
致命傷だ。
十六人を殺し鶴賀と白石に、亜弥と沙弥に凶刃を振るった殺人鬼ハイドは、少女のナイフにより退治された。
私はジキルとハイドを読んだことはないが、きっと結末は違うんだろう。