第125話
「……舐められたもんすね。生きて帰れると思っているんすか?」
唇を噛み締め目を怒り染め上げた。ここまで表情の変わった犬山を見るのは初めてだ。
「ヒメちん、悪いんすけどこの子はうちに殺らせてもらっても良いっすか?」
「明日葉ちゃんそうはいかないよ。この子は僕のことも殺そうとしているんだよ。この姫路叡山の子を。神の子に刃向かう者には死在るのみだよ」
二人が刑を取り合い言い争うと、刑は降ろしたリュックに携帯電話をしまい咥えたダガーを左手に持ち直し、その切っ先を犬山と青葉に交互に向けた。
「……なんすか?」
「……」
と、無言の刑。
刑は犬山を見つめるだけで答えなかったんで、私が変りに答えた。
「二人まとめて相手するって事ですよ」
「……マジっすか?」と、猫目を大きく見開いた。
「……その子供がうちとヒメちん二人を相手するんすか? 舐められたもんすね。ヒメちんこういう世間知らずの子供にはお仕置きが必用っすね」
「そうだね」と、頷くと「ひいふうみい……」と本の中のナイフの数を数えると、全てのナイフを取り出した。左手に一本右手に三本ナイフを持つと首をパキパキと鳴らし、「さてやろうか」と言った。
「波原刑……ケイちんでいいっすかね?」と、犬山が聞くと、刑はこくんと首を縦に振った。
「じゃあケイちん、死体がちょっと邪魔っすけど、殺るっすかね」
犬山の言葉に刑は小首をかしげ、ナイフの切っ先で亜弥の死体と白石の死体を指し示した。
「うん? 死体がどうしたんすか?」
返すように犬山も小首を傾げた。
私もどういう事だろうかと思い二人の死体を凝視してみた。
すると亜弥の胸が僅かだが上下していることに気づいた。
「……ッ! 刑二人を私に近づけさせないで下さい!」
刑に指示を出し私は亜弥に駆け寄り、口の前に手を翳すと呼吸があった。
生きている。
後頭部からの出血はあるが、亜弥は死んではいなかった。
起き上がらせようと首に手を伸ばしたとき、「動かさないほうがいいよ」と、青葉に静止された。
「生きているようだけど、頭にダメージを受けたんだから、意識を取り戻すまでは動かすのは控えたほうが良い」
触れようと仕立てを思わず引っ込める。
「ありゃりゃアヤちんの事殺してなかったんすか?」
「殺すつもりで踏みつけたんだけど、愚姪は思ったよりも頑丈だったようだね。まあ、出血量から考えても直ぐに目を覚まして動くのは無理だと思うよ」
「亜弥さん。聴こえますか、亜弥さん」
必死に亜弥に呼びかけたが起きる気配はなく、弱い呼吸を続けるだけで他に一切の反応はなかった。
ダメだ。
私の医療の知識は応急手当程度のもの、頭部からの出血をした者の処置の仕方など分からない。
今この場で亜弥の処置を出来るものは……。
「あお……姫路さん。亜弥さんを見てもらえないですか? このままじゃ亜弥さんは死んでしまいます。血の繋がった姪じゃないですか……助けてあげられませんか?」
私が青葉に頼むと、「アハハハハ」と、犬山が笑った。
「何を言うかと思えば、アヤちんを殺そうとしたのはヒメちんすよ。殺そうとした相手に助けを頼むなんて、エリちんは馬鹿なんすか?」
犬山の言う通りだった。
亜弥をここまで傷つけたのは青葉だ。
止めを刺す理由はあっても治療する理由はどこにもなかった。
何故私は青葉に治療を頼んだんだろうか?
「僕が愚姪を助ける……君は馬鹿なのかい? 僕は姫路昂弥、神である姫路叡山の子。青葉昂弥と言う弱いジキルの仮面を剥いだ純粋悪の男、ハイドだ。僕は誰の指図も受けない、なぜなら全てのものは僕の上にはいない。全てのものは……僕の礎になるものだ」
「わお。ヒメちんカッコいいっすね。それじゃうちもヒメちんの礎になるために……この小生意気なおちびちゃんを殺すとするっすかね」
そう言うと犬山が動いた。
青葉の前に犬山が立ち、少しはなれて刑がいるという状況だったが、犬山がフェンス側に駆け出し、重力を無視したかのようにフェンスの側面を駆け抜け飛ぶと、刑の背後に回った。
前門の虎――姫路昂弥。校門の狼――犬山明日葉と言う状態になった。
挟まれた状態だというのに刑は別段焦った様子もなくダガーを犬山の向け、ファイティングナイフを青葉に向け牽制した。
ピリついた空気が三人の間に流れる。
戦いの開始が近づいてくる。
私もいつ被害が及ぶか分からない位置にいたが、亜弥を置いて離れるわけにもいかないし、今動けば犬山と青葉の凶刃が私に及ぶのが分かった。
動かずにいれば私はただの置物同然だが、動けば邪魔者として排除されるのが目に見えていた。
今、私に出来る事はただ一つ。
刑が勝つ事を――ターゲットを始末する事を祈るだけだ。
「……刑……ご武運を……」