第124話
気づいたきっかけは首里組のカマキリ男との戦いだった。
犬山と青葉二人係とは言え、犬山は元NESTの腕利きの殺し屋を相手に怪我一つせずに殺していた。
それも利き腕ではない左手一本で。
そこまでの技能があるというのに犬山は自分は下っ端と言っていた。
嘘一つない目で。
下っ端殺し屋が名うての殺し屋を殺せるのか?
それは無理だろう。
しかし、この矛盾を解決する答えが一つだけあった。
犬山が下っ端は下っ端でも、鷹弓の十翼の中で下っ端だった場合だ。
名うての殺し屋と、NESTの最強の十人の殺し屋の中の下っ端、どっちが強いかは考えるまでもない。
「よく知っているっすね。うちが十翼に任命されたのは五ヶ月前っすよ」
『明日葉ちゃんは円君が凄い才能の持ち主がいるって言ってたから、わたしも気にしていたんだよね。いやー、そんな君が今では十翼か。円君の目は確かだったんだね。凄い凄い』
円と言う名はどこかで聞い気がする……誰だったかな?
「凄い? それは十翼に任命されたうちが凄いって事っすか? それともうちの才能に気づいた……加賀美さんが凄いって事っすか?」
ああそうか。円と言う名前では思い出せなかったが、犬山の口から加賀美と言う名前がでたので思い出した。
NESTの訓練所の所長をやっていたと言う十鳥の翼の八翼の事だ。
『両方だよ。明日葉ちゃんも十代でNESTの上位十名に与えられる翼の称号を得ているんだから、相当な腕だし、その君の才能を三年以上前に見抜いていた円君も凄いね。あっそうだ明日葉ちゃん、NESTなんか抜けて私の仲介を受けるフリーの殺し屋にならない?』
「ヘッドハンティングっすか? でも、その話を受ける事は出来ないっすね。NESTの掟に背くことになるっすし、十鳥日向子の傘下に入る事はNESTを敵に回すことになるっすからね」
『私の仲介を受けても別にNESTの敵になるって訳じゃないよ。もう私と妃弓は和解したんだしね』
犬山は「はっ」と鼻で笑うと、「和平したなんて思っているのはあなた達だけっすよ。うちらはまだ三年前の事を許していないんすからね。特に加賀美さんを殺った秤だけは絶対に殺せと言っているくらいっすからねー」と続けた。
『秤はホントに嫌われているね。まあ戦争の時、妃弓側についた十翼を殺ったのは秤だし、しょうがないかなー。明日葉ちゃんも秤の命狙っているのかな?』
「狙っているに決っているじゃないっすか。うちら鷹弓の十翼にとって一番の命題は、十鳥の翼をもぎ取れっすからね。いやー、大変な仕事を任されたもんすよー」
『わぁ、大変そうだね。でも明日葉ちゃんに秤を殺すことは無理だよー。残念、残念』
日向子さんは弾む声で言うと、『タハハハハ』と笑った。
「うちには秤が殺せないって言うのはどういう事っすか? その力がないと?」
犬山の目つきが鋭くなった。
電話越しの日向子さんを射殺そうとしているのか、携帯を睨み付けた。
『タハハハハ。そう言う事じゃないよ。秤は近々、刑ちゃんが殺すからだよ。エリちゃん、今いくら貯まった?』
不意に私の貯金の話になった。こんな人目につくところで話すことではないが、私は渋々答えた。
「今、二千八百七十万です」
『わー。すごい貯めたね。じゃあ今回の依頼の達成報酬と合わせれば三千万は越えそうだね。目標の四千万まであと僅か、ガンバだよー』
「……エリちんの貯金が凄いのは分かったすけど、それと秤を波原刑が殺すことにどんな関係があるっすか?」
『分からないかな? エリちゃんが四千万貯まったら、私が刑ちゃんに秤を殺す依頼を仲介するって事だよ』
「はっ? 秤を殺す依頼を受けるってどういう事っすか? 仲間を殺す依頼の仲介をするって事っすか?」
『仲間? 秤は仲間なんかじゃないよ。あいつは私の手には負えない化け物なんだよ。それを刑ちゃんが退治してくれる上に四千万の二十五パーセントの仲介料が入る。一石二鳥なんだよねー』
「それで納得しろと? うちには何でエリちんが依頼料を払うか理解できないっすね」
『それはエリちゃんに聞けば分かるよー』
日向子さんの言葉を聞き、犬山の視線が私に移った。
犬山だけじゃない、青葉も刑も私を見ていた。
「……依頼をせずに秤を殺すことも出来ます。けれどそれじゃ刑がただの復讐者になってしまいます。それでは私が今まで殺してきた人達と一緒です。だから刑には仕事として秤を殺してもらいます。浅はかな考えかもしれませんが、秤を殺す事を今までの仕事と同じとしたいんです」
「詭弁だね。仕事として殺そうが復習として殺そうが、殺しは殺しじゃないか。僕にはその違いが分からないね」
「うちも分からないっすね」
「あなた達には分からないかもしれません。けれど私と刑には必用なことなんです。依頼として殺す事は……私と刑の心を守るためなんです」
「……」
「……」
「……」
屋上にいる三人からは何の返答もなかったが、電話からは『タハハハハ』と、日向子さんの笑い声が返ってきた。
『いいね。いいね。エリちんの考え私は好きだよ。ガムシロップを入れて更に生クリームを乗せたみるくココアくらい甘ったるい考えだけど、お姉さんは好きだよー。と言うわけで明日葉ちゃんは秤を殺すのは諦めてね』
「……諦めるっすか? 無理っすよ。うちは鷹弓の十翼。NESTの教えの体現者っすよ。もう秤を殺す矢は解き放たれたんす。やつにこの矢が突き刺さるまで止まることなんか出来ないんすよ」
『タハハハハ。君は妃弓そっくりだね。そこまで言うんだったらどっちが秤を殺すのか競い合ってみたらどうかな? 刑ちゃん達は君達を殺す依頼を受けているし、秤を殺したい。昂弥君を守る依頼も、刑ちゃんを殺す依頼も受けているわけだし、秤も殺したい。おや、お互いがどうすればいいか明白だね』
「つまり、この子を殺せば秤を殺す邪魔立てが無くなるということっすかね?」
犬山はナイフで私と刑をそれぞれ指す。
『そう言う事だよ。それと勝ち残った方にはお姉さんがご褒美を進呈してあげるよー』
「ご褒美っすか?」
『そう、ご褒美として……秤の居場所を教えてあげるよー』
まるでビンゴ大会の商品を発表するかのようにテンション高く言い放った。
これは……楽しんでいるな。
「あはははは。本当のご褒美じゃないっすか。それじゃ否が負うにも殺さないといけないっすね」
『出来ればだけどね。ああみえて刑ちゃんは強いよー。響君の愛弟子として手取り足取り殺しのいろはを叩き込まれているからね。まっ、そんな刑ちゃんに勝てないようじゃ、秤と戦うのは夢のまた夢だけどねー』
「うちがこの子供に勝てないと思っているんすか?」
『思っているよ。刑ちゃん達が勝つってね』と弾むような声で言うと、『波原刑とエリちゃんのコンビは秤恵美奈を処刑する殺し屋達。たかだかNESTの殺し屋風情に負けるような鍛え方はしていないよ』と、声のトーンを落として言った。
途端屋上の気温が急激に下がった気がした。
「……ッ」
電話から飛び出してきた殺気に、犬山と青葉はナイフを握り直し臨戦態勢をとった。
刑も寒気を覚えたのか少し肩をすぼませていた。
恐い。
青葉の殺気が体に巻きつくような冷気だとするならば、日向子さんの殺気は氷柱で体を滅多刺しにしたようない、神経を切断するような痛みを伴う冷気だった。
どちらが恐ろしいかは考えるまでもない。
日向子さんに比べれば、十六人もの人間を殺した殺人鬼ハイド――青葉の殺気が温かくすら思えるほどだ。
『それじゃあねー。あっ、刑ちゃん今日の夕飯はカレーだから六時には響君に連絡をするんだよー』と、また弾むような声で言うと、携帯は『プッ、プープープー』と切れた。