第122話
青葉は一文字ずつ頭に浮かべているのか、指を振りながら並び替えを行った。
私も並び替えようとしたが、頭の中が別のことでいっぱいだったので断念した。
もう、この時には首に当てられたナイフの存在すら気にならなかった。
刑が――秤?
犬山は何を言っているのだろう?
刑があいつのはずないじゃないか。
あいつは……。
「秤が来るとなると急いだほうがよさそうだね。ワンちゃんどうする? 情報を吐かせたいなら僕が替わろうか?」
「ヒメちんならすぐに吐かせられそうっすね。どうするんすか? 指をちょっきんするっすか?」
「時間があるならそれが良いんだけど、今回は時間がなさそうだから――眼球を取り出そうかな」
「……えっ?」
二人の会話に私の声が割り込んだ。
今、彼は眼球を取り出すといった。
まるで、自動販売機で缶コーヒーおごるよと言った感じの気軽さで、恐ろしい事を口走った。
「ああ、眼は良いっすね。エリちんの眼は薄気味悪かったすから、取っちゃうのは賛成っす」
「ああ、僕もそれは思ったよ。笑っているのに笑っていない。悲しんでいるのに悲しんでいない。怒っているのに怒っていない。まるで操り人形みたいな眼だよね」
「言いえて妙っすね。多分エリちんは秤の操り人形なんすよ。自分が頭脳担当みたいなこといっていたっすけど、エリちんはただの傀儡でしかないんすよねー。弱さを前面に出し相手の懐に飛び込むための疑似餌っすよ。ターゲットがそれに喰い付いたら秤が来る。もしターゲットが秤が来る前に動いてもエリちん自体は弱いっすし、十鳥のことも良く知らないみたいっすから、情報を吐かせることもできない。いつでも捨てられる人形ってとこっすね」
私が傀儡だって?
確かに私はこの三年間、刑と二人で戦い続けたというのに、日向子さんの過去も聞かされていなかった。
それは私を捨てるためだったと言うのか?
ダメだ、否定する言葉が見つからない。
「でも、切り捨てられる人形なら、秤の情報も知らないんじゃないの?」
「それは大丈夫っすよ。エリちんは秤の事をよく知らない見たいっすけど、波原刑の事は熟知している見たいっすよ。携帯番号や容姿の事くらい吐けるはずっすよ」
「なるほど」と、青葉は呟くと時計に視線を落とした。
「さて、時間も時間だからそろそろ尋問を始めようか。あっ、歌波さんには話したと思うんだけど、僕の拷問はまず指を落とすんだよ。何故そんな事をするかって言うと、まず痛みを与えて次の痛みから逃げ出させるためなんだ。事件の真相を見抜いた君のことだから……僕が言いたいことくらい分かるよね?」
地面に押さえつけられた私を青葉が覗き込んだ。
この後、私に襲い掛かる悲劇を思い起こし悲しんでいるかのような顔で。
彼の言いたい事は私には分かった。
次の痛みから逃げ出させるために、まず指を落とす……つまり、私のケースで言えば、眼球を取り出す痛みから逃げ出させるために――眼球を取り出すということだ。
当たり前のことだが、眼球は二つある。
一つ取り出してもまだ一つ残っているんだ。
尋問の準備の為の眼球と、尋問の為の眼球。
情報を吐けば一つ失うだけで済むが、吐かなければ永久の暗闇が私を襲うことになる。
恐怖が私を襲った。
カチカチカチという音が耳に飛び込んできた。
何の音だろうと思ったが、答えは直ぐに分かった。音と同時に体に振動を感じたからだ。
この音は私の歯がぶつかって奏でている音だ。
「おっ、恐いっすか? でも安心して良いっすよ。エリちんが情報を吐いたら、波原刑……秤恵美奈をあの世に送ってやるっすから。一人で寂しくはさせないっすよ」
犬山がナイフを突きつけたまま青葉が私の頭の上に腰を下ろし、眼球の前にジャグリングナイフの切っ先をぴたりと付けた。
瞬きをすれば瞼が切れる距離だから、まさに目の前に置いたという形だ。
「さて始めようかな。ちなみに何か言っておきたい事はある?」
ここで言っておきたいという事は秤の情報についてだろう。
上手い飴と鞭だ。
拷問する事無く私から情報を聞き出そうとしているのだろう。
私の心はもう目を抉り取られる恐怖で染まっている。
これから逃げるためなら普通は情報を吐くだろう。
けれど、私の口から出た言葉は秤の情報でも刑の情報でもなかった。
「……犬山さん……」
「うん? なんすか? 命乞いっすか?」
「違います。先ほど秤をあの世に送るといいましたね」
「言ったっすよ。ヒメチンの身が一番だから今はやらないっすけど、近々うちが殺してやるっすよ」
殺してやる?
犬山が秤を?
そんなことは……させない。
私はこの三年……刑と私はこの三年、秤に復讐することだけを考えて生きてきた。
あの殺し屋を殺すために、この血で薄汚れた穢れた世界に飛び込んだんだ。
両親を殺したあの女を殺すために……刑と二人手を汚し、心を汚してきたんだ。
私は枝から生えた葉っぱじゃない。
地べたに落ちたゴミ――落ち葉だ。
その手を汚していようが汚していなかろうが同じ、裏の世界の落ちた人間なんだ。
裏の世界に堕ちた人間なんだ。
それでも耐えてきたんだ。
表の明るい世界を懐かしみながらも、命を賭けあの女を殺すためだけに頑張ってきたんだ。
命を賭け人を殺してきたんだ。
命を賭け人を殺す手助けをしてきたんだ。
その復讐を――こんな女には譲れない。
「……あなたに秤は殺せません。秤を殺すのは……刑だ!」