第115話
「なっ!」
っと、背後から声が上がった。
「青葉様がお爺様の子供ですって。そんなこと信じられるわけがありません」
亜弥と沙弥のどちらの声か分からなかったが、私はその質問に振り返らずに答えた。
「いいえ、これは事実のはずです。犬山さんほどの人物が護衛についていると考えれば、間違いないはずです」
「……うちはNESTの下っ端っすよ。アオちんが本当にそんな大物なら、うちじゃなくもっと凄腕の人がつくべきなんじゃないっすか?」
犬山は笑顔を崩さずに話してきたが、その猫目が笑っていないことに私は気づいた。
推理は間違いなかったようだ。
それにより、私の考えた最悪の結末に――戦争が起きる事は確定した。
もう限界だな……ここが刑を呼ぶタイミングだろう。
私がそう思いポケットの携帯を取り出そうとしたとき、眼鏡を外し天を仰ぐ青葉が目に留まった。
さっきまでは眼鏡をかけていたのでその心情は読めなかったが、今ははっきりと見えた。
青葉の目は……歪んだ笑みに包まれていた。
「ワンちゃんダメだ……もう全部ばれてるよ……もう無理だよ……くっ……あっはっっはっはぁっ」
青葉は突然笑い出した。
「はぁっ、もう限界だ」
そう言うと右手で優しく持った眼鏡を放すと、踏みつけた。
「ほら、教室で言ったじゃないか、最初から隠さずに、亜弥も沙弥も鶴賀も白石も教師も守衛も、在校生も卒業生も、近所の子供も大人も年寄も犬も猫も金魚も――皆殺しにすれば良いってね」
体に電気が走り、細胞がこの場から離れろと警鐘を鳴らす。
私は一日何と生活をしていたんだ?
この吐き気を催させるような殺気と笑みはなんだ?
得体の知れない化け物と一緒にいるような心の底から恐怖を呼び覚まさせられた。
彼は本当に人間なのか?
早く刑を呼ばないと。
けれど彼は刑を呼んだとして、来るまで待ってくれるのか?
刑の名前を出すチャンスはいくらでもあったというのに、タイミングを見計らったことが悔やまれた。
「あぁあもうバラしちゃうんすか? こんな謎解きの場に出くわすチャンスはまずないんすから、最後まで聞きたかったんすけどね。アオちん、もうちょっと我慢できないんすか?」
「アオちんじゃないだろ。僕の名前は――姫路昂弥、神である姫路叡山の最後の子にして、姫路の血を最も濃く受け継ぐ人間だ」
そう言うと、ジャグリングナイフを納めた本の表紙を私達に見せた。
私でも知っているギリシャ神話の神ゼウスと人間の女との間に生まれた、英雄の絵を。
この本を青葉……いや、姫路昂弥が持っていた理由は、血筋の誇示の為に持っていたのかもしれない。
「あなたがお爺様の子だと言うのですか? 私どもはそんな話を聞いたことがありませんわ!姫路の長になるのはお姉様……姫路沙弥ですわ!」
亜弥が声をあげる。
亜弥が激情するのは分かっていたから、帰る事を促し、保険として鷹弓の矢の事を伝えたというのに、やはりダメだったか。
「青葉様がお爺様の子だという証拠はどこにあるんですか。私は認めませんわ」
再度亜弥が声をあげると、姫路昂弥が口を開いた。
「黙れ愚姪」
小さな体から発せられた小さな声だというのに、威圧感は圧倒的だった。
その言葉を境に亜弥の声はぴたっと止まった。
「僕は姫路昂弥。青葉ではないと何度言ったらわかるんだい」
そう言うと、姫路昂弥は本に手を伸ばしページを捲ろうとした。
もちろん本を読むわけではないだろう。中にあるジャグリングナイフを取り出すためだろう。
「……ッ!」
殺る気だ。
そう思った時、本を捲ろうとする手に犬山の手が添えられた。
「まあまあ。アヤちんもサヤちんの影武者として生きてきた十八年間が無駄な人生だったと知ったら取り乱すのも仕方ないっすよ」
犬山の慰めの言葉は、亜弥に止めを刺す言葉だった。
「おい。亜弥が影武者ってのはどういう事だ?」
私が姫路昂弥の圧力で口を開くことが出来ないと言うのに、白石は近距離に立ちながらも平然と口を開いた。
「うん? ああ、ツルちんやシラちんは気づいていないんすね。長女であるはずのアヤちんの名前の『あ』の字が次女を意味する事を」
「次女?」
と、白石は聞き返した。
「そうっすよ。つまりはサヤちんが長女で、アヤちんが次女って事っすよ」
どうやら犬山は二人の秘密に気づいていたらしい。私は二人の立ち位置から気づいたが、犬山は漢字の意味から辿り着いたようだ。
「ってか、アヤちんが影武者だって事からも、ヒメちんが姫路会長の子だという証拠になるんじゃないっすか? 亜の字が次女を表すって事はそれなりに有名なことっすよね。それなのにどうしてアヤちんに長女の振りをさせるなんて可笑しいとは思わなかったんすか? バレバレなのに影武者をさせることの理由は一つっすよ。サヤちんが長女と言う事をばらして命を狙わせるためっすよね」
「うん? どういう事?」
白石には分からなかったようだが、私には良く分かった。
「影武者を立てることにより、鳳凰會を継ぐものが沙弥さんだと信じ込ませるのが目的と言うことですね。つまり、本当の後継者昂弥さんの影武者が沙弥さんと言うことです」
「さすがエリちん。いい推理っすね。本当はもうちょっと推理を聞きたかったんすけど……ヒメちんの秘密に気づいた以上、生かしては置けないっす――ねッ」
言い切る事無く犬山が動いた。