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波原刑と私の関係  作者: 也麻田麻也
第7章 首里組と教室
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第102話

「言ったよな、誰も殺させないって」

 まるで痛みを感じていないかのように、床に突き立てられた鶴賀の大太刀に歩みだすと、造作もなく引き抜いた。


 白石が歩くたびに血の跡が床についていく。

 肘からも手首からも腹からも、血がどくどくと零れ落ちていた。


 このままじゃ失血死しても可笑しくはないんじゃないか? 


 痛みだって悶絶しても可笑しくないくらいのはずだというのに、白石は平然としていた。


「痛みは……ないの?」

 

 思わず呟くと、犬山が答えた。

「ないんじゃないっすかね」


 痛みがないという事は、白石は無痛症と言うことなのか? 

 いや、そんなはずはない、だって松山に腕を斬られた時、「痛てぇ」と、言っていたじゃないか。


「無痛症と言うわけではないですよね?」

 松山に歩み寄る白石から目を離さずに犬山に聞く。


「それはうちに聞くよりも、ツルちんかアオちんに聞くと良いっすよ」

 言われたとおり、まずは鶴賀を横目で見る。


 ツルちんと呼ばれたにもかかわらずに、反論もせずただ唇を噛み締めていた。


 悔しそうに歯がゆそうに……切なそうに。


「……」

 鶴賀からの返答がないので、私は青葉に視線を送る。


 鶴賀が答えなかったことから自分の番が来る事を覚悟していたのか、青葉は視線に気づくと直ぐに話し出した。


「アドレナリンにエンドルフィンにドーパミン他にも脳内麻薬が出ているかもしれないね」


 アドレナリンはスポーツをしているときになどでるあれか。

 血液の供給量を増やし、発揮できる力をいつも以上にする効果があるという。

 エンドルフィンやドーパミンは痛みを抑制する効果があったはずだ。


「凄いですね……。アドレナリンが出るとは聞いたことありますけど、あんなに効果があるんですね」


「凄い? 逆だよ。刀が腹に当たってから相手を何メートルも吹き飛ばすパンチを放つ速度に威力。大怪我を追っても痛みを感じずに動ける量の脳内麻薬が出ているなんて考えたらゾッとするよ。ドーピングの何倍もの濃度の薬物を摂取し、さらにモルヒネを投与しているようなものだからね。僕としては生きているのが不思議でしょうがないよ」


 過剰に薬剤を摂取すれば、体にもそれ相応の反応が返ってくるものだ。

 ドーピングの反動だと……心臓麻痺や血管破裂があったはず。白石はどうなんだろうか?


 話の間に白石は大太刀を携えたまま、無言で倒れた松山の前に立っていた。

 止めを刺す気なのか、動かない松山の生死を確かめているかは私には分からなかった。


 ただ、松山を見つめる白石の目は悲しげだということだけは分かった。


「白石はな……」と、口を閉じていた鶴賀が話し出した。

「あの化け物みたいな力を嫌ってるんだよ」


 化け物みたいな力とは、青葉の語った脳内麻薬のことだろう。

「青葉の話を補足すると、アドレナリンが出ても普通は、いつもより早く動ける、いつもより力がでるくらいなんだよ。火事場の馬鹿力ってやつだな。けれどあいつは生まれ持った素質が違うんだ。机をぶっ壊す筋力に、コインを握りつぶす握力、素足でスクーターと並走できる脚力も持っているんだよ。その体に常軌を逸する脳内麻薬が流れてみろ。人なんかワンパンで殺しちまうよ」


 殺しちまう。殺せるじゃなく、殺しちまう。

 意図せずとも、望まずとも殺してしまう。

 それは誰も殺したくないと語った白石の言葉とは矛盾していた。


「誰も殺したくないのに、誰も死なせないためには、あの力を使わなくちゃいけねぇ。お前らにあいつの気持ちが分かるか?」


 私には分からなかった。

 復讐する力が喉から手が出るほど欲しい私には、正直羨ましくてしょうがなかったから。


 彼と私は違う。

 力を持っているのに使う事を恐怖する白石と、力を持たぬ事を恐れる私とでは願うものが違かった。


 羨ましげに彼を眺めると、ガタッともの音がした。音がしたところを見てみると、松山がフラフラと立ち上がるところだった。


「ひみは……化け物……はい?」

 震える足で立ち上がり言った。


 うっ。

 松山の顔は、鼻はひしゃげ、前歯が何本も折れていた。


 あれでは上手く話せないもの頷けた。


 口の中も切れているんだろう、言葉を発するたびに、口からごぼごぼと血が零れ落ち、顎から血が滴った。


 しかし松山はそんな状態でも匕首だけは放していなかった。

 愛する首里悠一郎の形見だけは手放さなかった。


「俺は……人間だよ」

 松山と目を離さずに白石は答えた。

「もう戦うのは無理だろ? 俺の勝ちで言いか?」


 外傷だけで言えば白石のほうが大怪我しているようにも見えるが、余力のありそうな白石とは違い、松山は今にも倒れてしまいそうなほど、膝が笑っていた。


 戦えそうにないのは明白だった。


「おっさんもう良いだろう? 悠一郎の為におっさん達はここまでやったんだ、あいつだってどれだけ愛されていたか分かっただろうし、これ以上やったら……俺はあんたを殺しちまうよ」


「死ぬのは……怖くないんでふよ……怖いのは……坊の敵ほ……野放しにすることでふよ」


「悠一郎はそんなこと望んでいないだろ。それはあんたのエゴだ。あんたの中の悠一郎は敵を討ってくれって頼むやつか? 違うだろ。あいつは自分の大切な人が傷つけば……悲しむやつだろ」


「坊が……悲ひむですか……」

 そう呟いた松山の目から狂気が消えたような気がした。


 充血した目はそのままだが、目元が優しくなった気が。

 これが素顔の松山の顔なんだろう。


「あぁ、アイツはいい奴だ、絶対に悲しむ。あんたはもう帰って病院に行けよ。悠一郎の敵は……あいつが見つけてくれるからさ」

 白石は私を顎で指し示した。


 松山の視線が私に送られ、彼と目が合う。


 私は静かに頷くと、松山は暫く見つめ続けた後――笑った。


「坊……いい御学友を……持ちましたね」

 歯も抜け、口の中もズタズタに切れているというのに、その言葉だけははっきりと耳に届いた。


 いや、もしかしたら言えてなかったのかもしれない。

 私の脳がそう変換しただけかもしれない。


 彼の最後の言葉を聞き逃さないように。


 松山はゆっくりと匕首を下ろすと、自身の腹に突きたて横に裂いた。

 血がどばどばと流れ、顔に苦悶の色が浮かんだ。


「おっさん」と、白石が倒れかけた松山の肩を掴んだ。


「……」

 松山は笑いながら白石の手を力なく払い、床に膝を着き座る。

 その間にも血は溢れ続け、床に血溜りを作る。


「おい、おっさん!」

 白石は呼びかけるが、松山は返事をせずに歯を食い縛っていた。

 想像を絶する痛みが彼を襲っているんだろう。


 今、彼にしなければならない事は、優しい言葉をかけることではない。


「青葉来てくれ! お前なら治せるだろ!」


「……」

 青葉は返事をせずに、白石を見つめた。


 治療ができるできないの問題ではないんだ。

 松山が行ったのは切腹。


 今彼にしてあげるべきなのは……。


「青葉!」と、再度呼びかけると、鶴賀がロッカーから背中を離し、二人に近づいていく。


 痛みは引いたのか、しっかりとした足取りでだ。


「徳人手を貸して――」

 言葉は鶴賀の拳によって遮られた。


 握り締められた拳が白石の頬にめり込む。

 白石以外の人間なら吹き飛ばされても可笑しくない一撃だった。


「お前が誰も殺したくねえのは知っているよ。それが甘いとは思うが悪いとは思わねぇ……けどよ、今は違うだろうが! 命をかけて戦った男の最後の覚悟を踏みにじるんじゃねぇよ!」

 白石に向かい言うと、大太刀を奪い、松山を向く。

「白石に斬ってもらえれば一番良いんだけどよ。こいつには……人を殺させたくねえんだよ。腕はまだまだだが、俺に解釈人をやらせてもらって言いか?」


 突立てた匕首を掴みながら、松山は見上げると、にっと笑った。


 鶴賀は頷き、大太刀を振りかぶった。


「あんたの最後は俺達が見届ける。立派な最後だったよ」

 大太刀が振り下ろされると、松山の首がごろんと落ち、切断面から血が吹き荒んだ。


 首里組最後の一人の命の灯火は消えた。

 戦いは思ったが、誰も歓喜の声をあげることはなかった。


 黙祷を送るように、皆黙って落ちた首を見続けた。


 首を落とされたというのに松山の顔は安らかな顔をしていた。

 首里悠一郎の敵を取ってもらえる事を信じきっているように。


 あなたにとっての命とはなんなのか聞かなかったけれど、きっとこう言っただろう。『私の命は坊ですと』


 最後まで自分のためではなく、敬愛する悠一郎の為に戦い、そして死んでいった。


「あなたは嘘をつかずに生きてきたんですね」

 私の言葉は誰の耳にも届かなかったのか、返事は返ってこなかった。


 犬山からも鶴賀からも亜弥からも沙弥からも青葉からも……もちろん首里組みの面々からも。


 こうして約二十分にもわたる首里組みとの抗争は幕を下ろした。

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