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夢の猫

「お嬢ちゃん、君、とっても臭う」


 顔を顰め、これ以上は近づきたくないと川の中ほどから向こう岸へと後退りしながら、カワウソの人――ルトロさんは何とも失礼なことを言い放った。その原因は、少し前に遡る。



 以前採ってきた蔓で籠を編んだのだが、あまり上手に出来なかった。編んだ時は良かったが、数日して見たら何だかスカスカしてしまったのだ。これでは小さな物を入れたらこぼれ落ちてしまう。

 籠の編み方を教えてくれたダグラスさんに相談してみたところ、どうやら乾燥させてから湯水で戻して編むべきだったらしい。洗浄して、濡れたままの方がやりやすいからとそのまま編んだら駄目だったようだ。横着はいけない。

 その籠自体は中に敷物をして物入れとして部屋内で使っているから良いのだが、やはりどうせなら上手く作りたい。今度こそは、と改めて蔓の収穫へと川上に向かった。


 その日も良い天気だった。穏やかに晴れた空にはひつじ雲が浮かび、そよ風は心地よく頬をくすぐる。

 この村……というより領地内というべきか、この辺りは比較的温暖な地方で非常に暮らしやすい。農作物も育てやすいし、かなり恵まれた地方だ。私の最大の悪運の良さは、落ちた先がこの土地だったことかもしれない。

 以前見付けた蔓の群生地で、出来る限りの量を採取する。採り過ぎても持てないけれど、乾燥に時間がかかる事や今の時期の蔓が一番籠編みに適することを考えると、やはり多目に欲しい。

 満足するだけの量の蔓を採取し、丸めてまとめる。さて、帰る前に一休みと行こう。

 手近な木の根元に腰を下ろし、竹で出来た水筒に入れた野草茶とサンドイッチで昼食をとる。余談だが、水筒を文字通りの魔法瓶に出来ないか相談したのだが、竹素材のような消耗品に付加するのは勿体無いし、陶器製の場合は割れる可能性が高くなるし重いから不向き、もし割れない付加をつけたら保温保冷の付加が付けられない……と否定されてしまった。目下、水筒に向き魔法瓶にするにも向いている素材を検討中である。金属加工技術の関係上、まだ向こうで使っていたような水筒は難しいのだよね……外で温かいお茶飲みたいんだけどな。閑話休題。

 簡単だが昼食を終え、のんびりお茶をすする。長閑である。胃が満たされたら眠くなってきた。


(以前、リンクスが出るから気をつけなさいと言われたけれど……)


 分かっている、日本と違って、此処は安全と言い切れる場所じゃないことは。

 ああ、でも、眠いのだから、仕方ない。天気も良いし。

 あくびを一つ噛み殺さずに、とろとろとした微睡みに身を委ねて目を閉じた。



 夢の中に、黒猫が出てきた。妙にでかいけれど、夢だから縮尺が合ってないのだろう。

 そういえば友人の家に遊びに行った時、懐っこい猫が居たな。高校で別れてから遊ぼうってメールでやりとりしてた割に結局会えずじまいだったな、元気でやっているだろうか。あの猫も可愛かったな。

 思い出に浸りながら、顔を覗きこんでくるでかい猫の目を見返す。猫は凝視せず、ゆっくりとした瞬きを繰り返す、だっけ? あの娘が言ってたのって。

 昔言われた言葉に従えば、猫の立っていた尻尾が徐々に下がってくる。毛並みが少し汚れているのは野良猫だからだろうか、洗ってブラッシングしたら綺麗になりそうな猫である。ゆっくりと指を猫の鼻先へと持っていく。興味深そうに猫は嗅いだ後、その掌に頭を擦り付けてきた。

 ああ、夢なのに暖かくて柔らかい。いや夢だから暖かくて柔らかいんだろうか。

 触る許可を頂けたようなので、耳の後ろや顎の下を掻いてやる。大きな猫はグルグルと喉を鳴らしている。

 しばらくその手を堪能した後、猫はするりと近づき、私の膝の上に顎を載せた。流石にこの大きさじゃ膝には乗らないよね。大型犬がこういう仕草するよなぁと思いながら、猫の頭に手を載せる。

 満足そうに猫が目を閉じたので、私ももう一度目を閉じた。



 ……『目を閉じた』ということはつまり目を開けていた、起きていたということだと気付いたのは、目を醒まして服についた動物の毛を発見した時だった。



「……と、まぁこういう訳でして」


 戻る道すがら、川に居るルトロさんを見つけた私が手を振るのを、彼は睨みつけるような顔で凝視していた。一体何が、と戸惑いながらも近付いた私へ、彼は冒頭の言葉を放ったのである。

 上記の夢と勘違いしていた話を語れば、彼はやっと得心した顔をした後、呆れた顔を隠しもせず


「何してるの?」


と言った。尚、未だに彼は対岸である。


「天気が良いからって身を守る術もない娘が一人で森の中で居眠りって、危機感なさすぎじゃない?」

「ええ、本当に」

「理解していてそれなら性質が悪いよ?」


 分かっているつもりなのだが、やはり平和ボケした日本人の性質は中々修正出来るものじゃない。こっちに来てもあまり危険な目にあってないから余計だ。


「ところでルトロさん、私があった大きな黒猫がリンクスで良いのですよね?」

「そうだよ。でも黒いリンクスはちょっと珍しい」

「そうなんですか? じゃあ、もし次に同じ毛色を見たら同じ個体と思っていいんですかね?」

「恐らくね」

「……ところで、いつまでそっち側に居るんです?」

「嫌だよ、近寄るなんて。リンクス臭いし」


 臭い臭いと酷い言い様だが……そんなに臭うか? それとも私の鼻がバカになっているんだろうか。

 服を嗅いで首を傾げる私へ、ルトロさんは、あぁそうか、と言うように頷いた。


「人の鼻じゃ殆ど分からないよ。こっちは君たちと違うんだ、天敵の臭いはよく分かる」

「天敵」

「食べられたくないからね」


 なんてことないように彼は言うが、私としては衝撃的な言葉である。……いや、そうか、そうだよな、大型肉食系ネコ科動物だもんな、あれ。ルトロさんカワウソだし。虎とかライオンと同じと考えたら……今更ながら私、よく無事だったものだ。


「リンクスの臭いがやってくるのに、同じように君ののんびりした足音も聞こえてくるんだ。近づけば近付く程臭いは強くなるし。もしや君を狙っているのかと思っていたら、君自身から臭ってくる……本当に何事かと」


 混乱させてしまったようで、何だか申し訳なくなる。いやでもこれ私の所為だけど、私が悪いわけじゃないよな。


「臭い以外に、何か残っているかい?」

「……はい? あっ、えぇとですね、少しだけまだ服に毛が」

「可能なら、その毛を残しておきなさい。臭いが残っている間は獣避けになるだろう」


 まぁ、それも必要なさそうだけれど。ルトロさんが笑う。


「君は人じゃないものに随分好かれるようだから」

「……そう、ですか?」

「ここにも実例が居るだろう?」


 ……好かれている、らしい。

 参ったな。ジワジワ来る、こういうの。照れくさい。


「その臭い落ち着かないから、もう帰る。君も早く帰りなさい」

「あ、はい」

「……ああ、そうだ、その前に。ルカは元気?」

「ええ、元気にやってますよ」

「あいつに伝えて。下手くそ、罠仕掛けるならもっと上手くやれ、って」

「……下手なんですか」

「釣りは上手いのに。会ったら教えるけど、会わないから」

「あの……私も知りたいです」

「なら、そのうち一緒においで」

「有難うございます」


 御礼を言ってから、手を振って別れた。



 家に戻り、蔓を洗って干す用意をする。作業をしていたら軍曹が足元にやって来た。


「……ここにも実例が居たね」


 私の呟きに、


「何の実例?」


と声が返る。とうとう喋るようになったのか、と目を見張るが、違う、とツッコミが入った。

 顔をあげたら、ルカさんとテレジアが居た。


「……ああ、そっちか」

「エリー、いくらなんでも蜘蛛は話さないわ」

「いや、軍曹ならいつか出来るんじゃないかと……」

「ないわよ」

「それで? 実例って何の話なんだ?」

「ルトロさんに、人じゃないものに随分と好かれるようだって言われて」


 軍曹を指さしてそう答えると、二人も軍曹を見ながら成る程と頷いていた。


「蜘蛛だけの話じゃないわよね。他にも?」

「今日、森で昼寝してたらリンクスっていうのに懐かれた」

「……は?」

「寝ぼけてたから夢だと思ったんだけど。撫でて一緒に昼寝した」

「危険すぎるわよエリー! そんな所で寝るなんて!」

「次から気をつけるわ。あとルトロさん自身も実例って。三つ実例があるなら、まぁそう言えるのかも」

「……ほう」

「そうそう、ルカさん伝言です。下手くそ、罠仕掛けるならもっと上手くやれ、だそうです。教えてくれるそうなので、そのうち一緒に行きませんか?」

「……そのうちな」

「助かります」


 下手と言われて悔しいのだろう。渋面のルカさんと、それが面白いのかニヤニヤ笑うテレジア。

 あんまり笑うもんじゃないよ、とフォローしたら逆に傷つけるかもしれないから止めておこう。ところで何しに来たんだろう、この二人。


「領主様からエリー宛に手紙が来たからそれを届けに」

「エリーの家へ向かうルカ兄が見えたからからかいに」

「……テレジアが楽しそうで何よりだわ」


 軽く肩を竦めて、ルカさんから手紙を受け取る。


「……実例は三つじゃなくて四つだな」


 渡しながらそう告げたルカさんを、テレジアがちらと見上げる。


「ああ、確かに。領主様の館にいたルリオオワシにも懐かれましたっけ」

「え」

「懐かれすぎて巣まで連れて行かれる所でした。あれは怖かった……」

「……そうか」

「はい」


 用件は手紙を渡すだけだったようで、二人共それで帰ってしまった。

 ……つい、はぐらかしてしまった、けど。

 ルカさんが言いたかった『四つめの実例』とは一体何だったのだろう。


(知らない方が、良さそうだけど)


 小さく溜息を吐いて、私は作業を再開させた。

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