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私が落ちた日 2

 一体今のは何だったのだろう。

 ……いや、考えるのは止めておくか。考えた所で自分の常識が通用するとは限らないし、納得出来るかも分からない。そういうものだ、と割りきってしまう方が無難だ。


 軽く頭を振って気持ちを切り替え、影の言葉通りに川沿いを進む。爪跡のある岩というのが果たしてすぐに見つかるのだろうか、と懸念していたのだが、それは杞憂に終わった。

 私の身長の二倍はあるだろう、おおきな壁のような岩の表面に大きな三筋の爪跡が刻まれていた。……どういう生き物が引っ掻いたらこんな跡がつくんだろうか。考えたくもない。

 この辺りで川を渡れ、ということだったが……成る程、今までに比べて渡りやすそうな飛び石である。慎重さと少しの勇気さえあれば、なんとか川向うで渡れるだろう。


 気合を入れて一歩を踏み出す。川の真ん中の岩で、ふと周囲を見渡してみた。流水音で他の音が一切かき消され、大きな音の筈なのにいっそ静かに思えてくる。まるで世界に私ひとりみたいだ、なんてありきたりなフレーズが頭の中に浮かんできた。笑ってしまうわ。


 足を滑らせそうになりながらも、どうにか向こう岸へと渡り終えた。ホッと息を吐く。水分補給をしてから、川に背を向けて再び歩き始めた。


 途中、崖のような坂を登り、道と言えないような藪らしきものを掻き分けて進む。もしかしたら迂回出来る場所もあったのかもしれない。けれど、影が言った指示以外の行動は取りたくなかった。不可思議な存在に言われた指示だ、そこから外れた途端に何処にも辿り着けなくなってしまうような気がするのだ。

 ひたすらに川を背にして真っ直ぐに進む。私に驚いたのか、足元を何かの動物が走り抜けていく。向こうのほうでガサガサと繁みが揺れているのは恐ろしいが、見なかった事にして更に進む。


 何かに急かされるようにひたすらに歩いて歩いて歩いて――視界が開けた。もしや、と足を速めて先を進む。やがて、私の目の前に、明らかに人の手で整備された街道が現れたのだった。


 右か、左か。どちらに進むべきか、それが問題だ。どうしよう。

 右の道の先を見つめる。何も見えない。

 左の道の先を見つめる。何も見えない。


『君の行く末に幸あらんことを』


 けれど、不意にその声が蘇った。……ならば、左へ進もう。

 足が痛い。うちの学校が土足製で良かったとはいえ、それでもローファーでトレッキングは向かない。

 それでも、行くしかないのだ。こんな所で死にたくない。

 日はすでに大分傾き始めている。まだ暗くなっていないとはいえ、日が落ちるのももう時間の問題だろう。段々と影も伸びてきている。焦る気持ちを抑えながら、左へと踵を返した。


 

 どれほど歩いたのだろう。既に日は落ち、辺りは暗くなっている。幸い晴れた空のお陰で星明かりが照らしてくれているが、こんなに暗い道を歩くのは初めてだ。僅かに聞こえる音が恐ろしい。

 飴玉以外なにも口にせず、水だって飲んだのは川が最後だ。足も棒のようだし、正しく疲労困憊である。もしかして、選ぶ道を間違えたのか……? いや、考えても詮無いことだ。とにかく今は、信じて進むしかない。


 大丈夫。まだ動ける。


 拳を握りしめ、重い足を引きずるように歩き続ける。

 森の中の街道はいつしか平野の街道へと変わっている。これだけ開けていても何も……いや、見えた。


「……灯りだ……!!」


 呟いた声は、自分の声と思えない程に嗄れていた。

 まだ遠い。見えるだけで、きっとまだ遠い。それでも、其処に人が居ることが分かるだけで活力が湧き上がる。気力を振り絞り、灯りを目掛けて向かった。

 灯りはどんどんと近くなる。建物らしき影もはっきりと分かる。集落だ。

 逸る気持ちが抑えきれない。動かない足を必死に動かし、何度も転びそうになりながら、目指す。


「……おい、あんた、どうした?」


 集落の周りを、ぐるりと壁が取り囲んでいる。その入口らしき場所の傍に、物見台らしきものと小屋がある。声は、その小屋の辺りから聞こえてきた。男の声だ。


――あぁ、言葉、通じるんだ。


 相手の喋る言語は聞いたことがないが、意味は何故か通じる。それだけは救いだった。

 人に会えた、そう思った途端に気が抜けたらしい。立っている事も出来ず、その場に倒れこんでしまった。


「おいっ!?」


 慌てたような声が聞こえた。灯りを持った人影が走ってやってくる。


「おい、しっかりしろ。大丈夫か?」

「水、を……」

「なんだって灯りも持たずに……こんな子供が」


 何でもいいからまずは水をくれ。そう言いたくても声を出すのも辛い。

 私を立ち上がらせると、その男性は肩に腕を回させ、引きずるように私を小屋まで連れて行った。

 彼に椅子に座らせてもらい、木製のカップに水を注いで渡してもらったのだが、手が震えてカップが上手く持てなかった。見かねた彼がカップを口元まで運んでくれた。口の端から零れるのも頓着せずに飲み干す。


「……それで、何をしていたんだ?」

「私が知りたい……」

「え?」

「階段を下りてる時に、目眩がして、気付いたら森で……影の言葉に従って、ずっと、歩いてきました」


 再び注がれたカップの水を今度はゆっくりと飲みながら、そう語る。相槌すらないのを不思議に思いながら顔をあげる。其処にあったのは、驚きに目を見開いて凝視する姿だった。


「……あの、」

「もしかして落人、か……?」

「落、人? ……影には、稀人って呼ばれました」

「ならば確実だな、どちらも指す者は同じだ。別の世界から、やってきたんだな?」


 よく見れば服もここいらじゃ見かけない、と彼は呟く。今度は私が驚きに目を見開く番だった。こんなにもあっさりと私の状況を理解してもらえるとは思っていなかったのだ。落人や稀人という言葉があるくらいだ、いくつも前例はあるということか。


「夜警で今ダグが出てるから、戻ってきたら村長の家へ向かおう。とりあえず寝食の保証をしてもらえるから。領主様への報告もいるし、忙しくなりそうだな」

「あの……?」

「安心したらいい。時折あるんだ、余所の世界から偶然こっちへ来てしまう事が。そういった場合、最初に訪れた場所の領主が後ろ盾として保護する事が決っているんだ」

「つまり……私、野垂れ死にせずに、済むの?」


 ぽろりと零れる言葉。それは私の本心である。

 ……良かった。本当に、良かった。

 両手で顔を覆う。流れる涙は止めどない。


「俺はルカという。お嬢さん、あんたは?」

「……絵里……」

「エリー、だね? よく聞いてくれ。理不尽にこの世界に放り込まれて、不安だろうし、辛いだろう。向こうへ戻れたという話も俺は聞いたことがない。否が応でも此処で生きることになる」

「……」

「そんな世界全部が受け入れがたいかもしれない、それでも、あんたが拒否しようと……俺は、あんたを迎え入れたい」


 せめて幸せになってくれ。

 そう続けた彼の言葉に、両手を離して泣き顔を晒す。


「エリー。ようこそ、この世界へ」


 安心させるように私の両手をそっと包み込みながら、彼……ルカさんは、笑っていた。

 これが私の、異世界初日の顛末である。

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