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淡紅色の刺繍

 先日摘んだマルフランドの実は、刺繍用の糸を染めるのに使用した。ちゃんと染まるか心配だったが、糸束は斑もなく綺麗に染め上がった。少し茶色がかった、淡いピンク。落ち着きがあって良い色だ。

 そういえばテレジアは、あの実でこんな色に染まるなんて初めて知った、と言っていた。恐らく村内の人も殆ど知らないだろう、とも。


『だって不味いの知ってるもの。摘んでどうこうしようなんて考えないわ、鳥の餌にも丁度いいし』


 お手柄だったわね、と喜ぶテレジアへ、私は曖昧に笑って誤魔化した。

 その不味くてどうしようもない実をうっかり摘んでしまった私のフォローの為にカワウソさんが教えてくれたのだから。優しい御仁である。


「ねぇ、テレジア。ここの図案刺し終わったんだけど、糸の端の処理ってこれであってる?」

「どれどれ……うん、上出来。やったことないって言ってたけど上手よ、エリー」

「ありがと」


 二人で机に向き合って座り、チクチクと無心で針を進めていく。会話も少ないのに、彼女は嬉しそうである。彼女は知り合った頃にこう言っていた。


『私ね、ずっと同じ年頃の娘と友達になりたかったの』


 この村には空白の世代が存在する。森に住み着いた大鹿退治で若い世代に死傷者が出て、そこから数年は出生率が低かった上、その少ない子供が産まれてすぐの頃に村を流行病が襲った。一節には退治した大鹿の呪いとも言われたようだ。結果、少ない子供は更に数を減らしたのだ。

 その中でたくましく生き残ったのが彼女、テレジアである。くせっ毛の赤毛を揺らし、鳶色の瞳を輝かせて笑う、明るく健やかな娘だ。まるで生命力の塊のようで、私の目には眩しく映る時がある。

 ずっと村の子供たちの長女役を担っていた為に面倒見が良く、こうして頼むと『任せて!』と丁寧に教えてくれるのだ。


「……ね、エリー? これ、誰かにあげるの?」

「そのつもり」

「もしかして、ルカ兄!?」

「へ? なんでルカさんに?」

「えっ、違うの!?」


 そんなに驚かれて私も驚きだよ、テレジアさん。首を傾げる私に釣られるようにテレジアも首を傾げる。あ、かわいい。


「教えてくれた御礼にカワウソさんに渡そうかと。お陰でこんな風になりました、って」

「……カワ、ウソ……」

「ああ、でも考えたらあの人……いや人じゃないか、あのカワウソさんって水辺で暮らしているならハンカチなんて使わないか。御礼ならパンとか食べ物のが良いのかな?」


 テレジアはどう思う、と問いかけると、彼女はあんぐりと口を開けている。一体彼女はどうしてしまったんだろうか。ひらひらと彼女の目の前で手を振ったら、ハッと我に返り


「食べ物! 食べ物のが良い! だからそのハンカチはあげちゃ駄目!」


と断言してきた。


「……テレジア?」

「あ、いや、あの……エリーの所には無い習慣なのね、きっと」

「習慣……ハンカチを上げること? それとも図案の意味に何かあるの?」

「うーん……取りあえず、カワウソは洒落にならないだろうから止めて」


 洒落にならない事……なんだろう、相手を侮辱する意味でもあるんだろうか。でもそれならルカさんに渡すと勘違いした事の説明にならない。

 ただ、なんとなく気不味そうな顔をしているテレジアを見る限り、この辺で話を切り上げたほうが良さそうだ。


「……残念だけど、よく出来たし自分で使うわ」

「そうね、それがいいわ」


 綺麗な糸だから他の色糸と合わせて、ハンカチ以外のものに次は刺繍しようね。

 あからさまにホッとした顔でそう話を終わらせた彼女に、思わず私は苦笑した。



「ルカさん、これあげる」

「ん?」


 夜、我が家のごった煮スープを気に入ったらしいルカさんが、手土産片手にやってきた。

 土産の魚を有難く頂戴して、夕飯の仕度を整える。知らない魚だったので、食べ方や捌き方のコツを横で教授してもらった。結構脂が乗った魚だ。

 雑談交じりに夕飯を楽しみながら、昼間のうちに刺し終わったハンカチをルカさんへ差し出す。食事から私の顔に視線をやり、それから差し出された物を視界に入れた瞬間


「ぶッ!?」


 吹き出した。


「ちょ、汚い! 拭くもの……あぁもうコレでいいや!」

「ま、おま、ゲホッ! ヴェホッ……おい!!」

「大丈夫ですかルカさん、ほら、お水どうぞ」


 効果は抜群だ。……というか本当、一体何なんだろう。これだけ動揺させる意味って。

 恨めしそうな顔でこちらを見遣る彼へ、肩を竦めて見せる。


「やっぱり、あんまり良い意味の物ではないんですね?」

「……おい」

「綺麗でしょう? その淡紅色。食べられるものと勘違いしてマルフランドの実を摘んだ私を見かねて、カワウソさんが染料になることを教えてくれたんです。綺麗に染まったからハンカチに刺繍して渡そうとしたら、テレジアに全力で止められまして」

「……だろうな」

「洒落にならないから止めるよう言われたんですが、意味を教えてくれなくて」


 机の上、零したスープを吸って汚れてしまったハンカチを指さしながら、私は首を傾げてルカさんを見る。


「結局、どれにどういう意味があるんです?」


 掌で目元を隠して、ルカさんは深々と溜息を吐いた。それから面白くなさそうな顔で頬杖を付くと、空いた手でハンカチを指さす。


「赤や薄紅色のハンカチ、またはその色で刺繍したハンカチを、女から男へ渡す場合の意味なんだが」

「あぁ、ハンカチ自体と、色が原因でしたか」

「……愛の告白、というか」

「えぇと……奥ゆかしい文化ですね」

「いや。意味は『今夜会いに来てください』だ」

「……今夜」

「会いに来てください、だ」


 言って、彼の指はハンカチから私の背後にあるもの……寝室の扉を指さした。まぁ、なんだ、つまりはそういう意味なんだろう。全ッ然奥ゆかしくない。むしろがっついている。

 うむ。確かに洒落にならない。というか最初ルカさんに渡すのかと勘違いされたのって……テレジアとはじっくりと話しあう必要がありそうである。


「ルカさん」

「なんですか」

「大っ変、失礼を致しました……ッ!!」

「俺の心の修羅場を理解していただけたようで何よりだ」


 ぐったりとした表情で頬杖をついたまま、ルカさんは指を下ろす。それから、呆れた顔つきで彼は言った。


「俺がもし真に受けてたらどうしてたわけ?」

「ご冗談を。子供に手を出すほど餓えてないでしょう?」

「そんなの分からないだろ」

「無いと思いますけどね。その気があるんならもっと前に手篭めにされているかと」

「エリー。お前は自分で思うほどに子供じゃないし、俺はお前が思うほど無害なんかじゃない」

「それ、しょっちゅう夕飯食べに来てる人の言う台詞じゃないですよね」


 警戒心や危機感を持て、ということなのだろう。平和ボケした日本人の私がカモにしか見えない人はきっと山ほど居る。彼の忠告は尤もな事だ。

 だが、彼には申し訳ないのだが、きっとこれからも彼に対してだけは、警戒心など持つことはないだろう。


『ようこそ、この世界へ』


 私を、一番最初に迎え入れてくれた人だから。


「ルカさん」

「何?」

「汚れちゃったけど、洗って綺麗にしたら受け取ってくれますか?」

「……お前は俺の話を聞いていたのか?」

「ええ。ですから意味合い抜きで。誰かの為に作った物を結局自分で使うのって、ちょっと寂しいんですよ」

「……その誰かがルトロってのが気に入らないけど」

「ルトロ? あのカワウソさんの名前ですかね」


 そんな名前だったのか。変わった響きの名前だな。

 シミになる前に洗ってしまおうとハンカチへ手を伸ばす。その手に被さるように、彼の手が伸びる。


「……君が自分で大人になったと思えたら」

「ルカさん?」

「その時には、俺の為に刺繍をして、俺の為に贈って。そのハンカチを」


 するりと手の甲を撫でてから、彼の手は離れていった。


「ご馳走様でした。明日は早いんだ、またな」


 言い置いて、彼は帰ってしまった。言い逃げされたなぁ、と苦笑する。


「……結局、今は受け取ってくれないってことか」


 たとえそれが、意味合いなど無いとしたものでも。

 引き取り手がいなくて宙ぶらりんだ、と嘯きながら、私はハンカチを握りしめた。

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