花がたりの娘
花がたりの娘
先頃より庭の名も知らぬ低木に花が咲いていた。視界の端に入る度、その愛らしさに心を弾ませていたのだが、今日ふと見たら何かにぶつかったのか枝が折れていた。よく花のついた枝だった。
淡い空色の花が鞠のようにかたまり、それが数個。まだ大きな枝に繋がってはいるが、二三日もすれば枯れてしまうだろう。それならば、と私はその枝を手折った。
細くやわい枝。さて、どうしたものか、と手の中で弄ぶ。ただ部屋に飾るのも良いけれど、はて。
ふと思いついて、三つ編みへ一緒に枝を編みこんでみた。編んだ髪は左肩から前へ垂らす。ほのかに香る花の爽やかな甘さが心地よい。
誰に見せるというわけでもないが、たまにはこんな風に着飾るのも良いものだ。なんて、部屋の中で一人微笑んだ。
そんな浮足立った気分に水を差されてしまった。森の中での出来事だ。キノコを採りに行ったら、この辺りでは見かけぬ人物と出くわしたのだ。
身なりからして狩りにでも来たのだろう、猟犬を連れた(恐らく犬、私より大きいけれど)男は、私の姿を見て何故かぎくりと身体を強張らせた。こちらもまた、見知らぬ男へ警戒心を強める。
あの犬に襲われたらひとたまりもないだろう。だが下手に逃げ出すと反射的に追われそうだ。少し考え、会釈だけして進行方向を変えた。すぐに村へと戻れるように。
「君は花がたりの娘とは違う……よな?」
我に返った男が何事かを問いかける。
「……、何ですか? それ」
私の返答に男は目に見えて安堵し、どこか馴れ馴れしい笑みで私へ近寄ろうとした。
「それ以上近づくのはご遠慮いただけますか」
咄嗟に口にしていた。虚を突かれたように男は足を止める。
「すみません。その……あなたの連れているその子が、少し怖いので。声は此処でもちゃんと聞こえますから」
勿論嘘だ。ただ、あの笑みが、どうにもあの馬鹿息子を彷彿とさせるので近付きたくないだけである。本音と建前、大事です。
あからさまな建前から本音を正しく読み取った男はやや鼻白んだが、何も言わずに立ち止まった。
「それで何か御用でしょうか」
「いや、その。……あー、君はこの近くの人?」
「ええ。貴方は鹿の角の村の人?」
隣村、クゥ先生の窓口をしている村は『鹿の角』と呼ばれている。森の中に赤鹿を放牧し、その角の加工品を作っているからだ。うちは麦畑の村、うちで作っている農作物で一番多く作っているのが麦だから。特産らしい特産が無いのがよく分かる呼び名である。
「あぁ、今はその村に滞在している」
余所からわざわざ狩りに来たのか。渡り歩いているのだろうか? 大変なものだ。
「先程は済まなかったね、花がたりなんて言って」
「……その仰りようだと、あまり良い意味では無いようですね?」
「いや、俺が花がたりといったのは……そもそも花がたりの娘ってのは」
「あ、他の方から後で聞くので別にいいです。説明は」
「おいおい、お嬢さん……そうむき出しに警戒されると傷つくんだけどなぁ。それも可愛い娘さんに」
「では想像してみてください」
「はぁ?」
「貴方は森の中で一人。そんな貴方に、自分よりも確実に屈強な、しかも賢そうな獣を伴にした相手が、妙に親しげな様子で近寄ろうとしてきます」
流石に無防備に定評のある私でも警戒する。というか、警戒しなかったら皆に(特にルカさんとテレジア)に説教される。間違いなく一時間コースまっしぐら。
「そして貴方は男で狩人ですが、私はただの小娘です。想像した危機感を倍掛けして下さい。……ご理解いただけましたでしょうか?」
「分かった、けど……俺は何もそんなつもりは」
「それでご用件は?」
「え」
「そんなつもりが無いのならば、引き止めるだけの用件があるのでしょう? 私、キノコを採りに来たんです。友人に渡す分も出来れば採りたいから、用があるなら早めに済ませて頂きたいのですが」
不愉快そうにされても、仕方ないだろうに。見知らぬ男を拒否して何が悪い。そこそこ整った野趣ある男前だから、今まで女性に無下に扱われたことがないとでも言うつもりか? 生憎だが目は肥えている。顔で優遇されたかったらアンディ兄さん以上になってから来い。それでも好みじゃないけれど。
「この辺りで黒い大猫が出ると聞いた。君、何か知らない?」
ガリガリと頭を掻いた後、男は溜息を吐いてそう言った。
「……黒い、大猫」
それはあの子の事だろうか? ゼニアオイの瞳を持つ、あの美しい黒いリンクス。
「稀に真っ白や真っ黒な個体が生まれるんだが、その毛皮は高く売れる。大枚はたいて買いそうな金持ちの目星もあるんでな」
「普通の大猫はどんな色をしているの?」
「茶系統や灰青や縞、まぁ色々だ。見たことないのか?」
「ええ、よく知らないわ」
普通の大猫のことは。
「話はそれだけ?」
「ああ、引き止めて悪かった」
「なら私はこれで」
「話が本当ならこの近辺が縄張りだろう。気をつけて帰るんだな」
「そうね。リンクスに襲われたら、私なんて一発で仕留められちゃうでしょうから」
ではこれで、と踵を返す。だが、急に間合いを詰めた男が私の腕を掴んだ。
「なッ!?」
「今、なんと言った?」
「はぁ!?」
「なんでリンクスなんて言葉を知っている」
「……はぁ? いや、貴方だって知っているじゃない。なんだって言うの、一体」
「本当に君は、花がたりの娘じゃないのか?」
「悪いけど、全く意味が分からない。教わった言葉を使って、何が悪いの?」
「誰に教わった」
「カワウソ」
「……カワウソ? 何だ、それは」
「そう自称するんだから、そういう生き物なんでしょうよ」
「それは、人ではないのか?」
「人じゃないけど、似たような者でしょう。私にとって先生みたいなものだし、村の人ともお馴染みよ」
イライラしてきた。凡そ、花がたりとやらも人じゃない何かなのだろう。だから一体何だというのか。
「いい加減にして。仮に私が花がたりとやらだったら何なの? 狩って剥製にでもして金持ちに売るの? それとも首輪でも嵌めて飼って慰み者にでもされるの? 或いは駆除? 貴方が何を考えているのか分からないけどいい迷惑だわ、とっとと手を離して」
リンクスという言葉を知っていて、それが何だと言うんだ。人であろうとなかろうと、仲の良い相手を大事に思って何が悪いんだ。仲が良くて何が悪い。
うちの村は良い村だ。ルトロさんも受け入れている。でも余所へ行けばこんなふうな考えも多いんだろう。
(混ざり者のルカさんは、今までこういう扱いを何度も受けてきたのだろうか)
思い至った瞬間、悔しさで頭に血が上る。昂りきった感情は、涙という形で溢れでた。
まさかいきなり泣かれるとは思わなかったのだろう、驚いて緩んだ手を振り払い、袖でぐいと涙を拭う。
「す、すまない。泣かせるつもりは」
「なら、どんなつもりだったの」
「それは……」
「答えて。どんなつもりだったの」
「……」
「応えられないのなら、たとえ泣かせるつもりがなかったにせよ、碌なものじゃないでしょうね」
「……、君は、本当に人なんだな?」
「貴方こそ人なの? リンクスって言葉を知っているのは普通じゃないんでしょ? なんで知っているの? 貴方こそ本当は人じゃないんでしょう」
「違うッ!!」
「そんなに激しく怒るような事を他人には平気で言うのね。それも何度も。酷い人。貴方より、人じゃないカワウソのほうが余程に優しいわ」
もうキノコ採るどころじゃないな、今日はもう帰ろう。苛々する。癒やされたい。ルカさんに甘やかされたい、テレジアに愚痴って一緒にこの苛立ちを共有したい。
一歩後ずさる。一歩、もう一歩。ぴくりと反応した犬を、睨みつける。お前は動くんじゃない。
耳を伏せた犬は、小さく鼻を鳴らして伏せた。良い子。この子はきっと私を追いかけない。犬の不自然な動きに目をやった男の隙をついて私は走りだした。
「待っ……、!? おい、何してんだ、追いかけろよ!?」
そんなやり取りを後ろで聞きながら、私は村へと急いだ。あの狩人こそ大猫に狩られてしまえばいいのに。その時は、良い子の犬は見逃してやって欲しいけど。
多少速度は落としながら、家には寄らずそのままルカさんの家へ向かう。今日は確か夜番だから、まだ家に居る筈だ。ドンドンドン! と扉を叩く。その叩き方に急を感じたのか、慌てた様子でルカさんが扉を開ける。問答無用とばかりに抱き着いた。
「うぉっ!? エリー? どうした、何かあったのか?」
「……今日は良い日になる筈だったの。なる筈だったのよ」
「とりあえず、もう一歩中へ入ってくれ。扉が閉められないだろ?」
そう言いつつ、抱き着いた私をそのまま持ち上げた。ぐるりと身体を反転させて位置を入れ替えたルカさんは後ろ手で扉を閉めた。
「それで一体……ん? 花か、これ」
宥める様に頭を撫でようとしたルカさんの手が止まる。三つ編みの房を手にとり、器用だな、と呟いた。
「ん……折れた枝が、綺麗だったから」
「へぇ、かわいいな」
「本当?」
「ああ、よく似合ってる」
さりげない褒められ方が却って気恥ずかしい。誤魔化すように顔を押し付けた。
「ねぇルカさん」
「うん?」
「花がたりの娘って何?」
ルカさんの身体が強張る。抱き着いているからよく分かる。
「森でね、余所から来たっていう狩人に言われたの。君は花がたりの娘か、って。他にも腹立つ事はいくつか言われたけど、先ずはそれを教えて?」
「……エリー? 大丈夫だったのか? 何もされなかったか? 怪我とかしてないよな?」
「頭にきすぎてちょっとだけ泣いたけど、大丈夫です」
「……チッ」
抱きしめられる腕に力が籠もる。それが嬉しくて、私も抱きつく腕に力を込めた。
「それで、私は何を言われたの?」
「あぁ……花がたりの娘は、名の通り花の化身のようなものだ。今日のエリーみたいに髪や身体に花が巻き付いて咲いている。肌の色はもっと土気色だから見分けはつく筈なんだが、そいつはそこまでは知らなかったんだろう」
「ふぅん……」
「わりと人好きで、気に入られれば色々と話をしてくれる。まだ若い、幼い娘は特に疑うということを知らないからな。まるで花が語るが如く、愛らしい声音で樹々から受け継がれる昔語りを歌うそうだ」
……はて? それが何で悪い意味になるんだろうか。
「幼く見目の良い花がたりを捕まえて見世物小屋に売る阿呆も居るから、数は多くないが人にはそこそこ知られている。森から離れるとあの娘たちは長く生きられないんだが……」
「うっわ、ひどい」
「森の中で年経る娘は成熟して子孫を残すために人の男を誘うようになる。子種は己と同種の樹々から貰うが、胎内の子を育てるために、何というか、あれだ、アレ、色んな栄養を搾り取ろうとするらしい」
「……野生の娼婦、みたいな?」
「搾り取られたいって男はわりと居るらしく、これもまたそこそこ知られている事だ」
「ルカさんも思うの?」
「勘弁して下さい、エリーさん」
「ごめんなさい、軽口が過ぎたみたい」
抱きつかれた状態でそんな質問されたら居た堪れないか、流石に。ごめんなさい、ルカさん。セクハラするつもりはなかったんです。
「それにしても私、そんな色気の塊みたいな生き物と間違われたの? どう見ても艶とか色っぽさとは無縁だと思うんだけど」
「俺からすれば十分だ」
「私もそう思われるのはルカさんだけでいいや」
ぐ、と呻く声が頭上から聞こえた。自分から話題振っといて何を。
「……それにしても。そいつ知らんのかなぁ」
「何を?」
「花がたりの娘は本来肉食だから危険なんだ」
「えっ!?」
「ちょっと色々搾られるだけで済めばいいが、腹を空かせた娘だったら身体中の養分全て吸い尽くされて干からびて死ぬぞ」
「花なのに」
「だから花騙りの娘なんだろ」
「……ああ、成る程」
食虫植物や冬虫夏草が私の世界ですらあるんだから、人から体液吸い尽くす奴が居てもおかしくないか。
「それで? 他には何を言われた?」
「リンクスって、普通は言わないの? 大猫のこと」
「ああ、エリーが言ってるのを聞いて初めて知った。恐らくルトロたちが使う呼び名なんだろう。だから、普通は使わない」
「そっか……大猫の事をリンクスって呼んだら、本当に人なのか、花がたりじゃないのかって疑われて。人か否かなんてどうだって良いじゃない、私にとって仲の良い相手なんだから。人じゃないモノと仲の良い事を信じられないって顔されるの嫌で仕方なかったし、ルカさんもこういう扱い何度もされたのかなって思ったらもう悔しくて悔しくて」
ああ、思い出したらまた腹立ってきた。
「エリー? お前さん、俺を思ってそんなに腹を立てたのか?」
えぇ、そうですよ、そうですとも。ふん、と鼻を鳴らせば、吹き出すような笑い声が聞こえてきた。
「……なんでそんなに笑うんですか」
「そりゃあ嬉しいからさ。エリーがそれだけ俺のことを考えてくれたんだから」
落ち着かせるように私の方を撫でながら、ルカさんが穏やかに言う。
「気にしないさ、何を言われようと。慣れている」
「それも何だかなぁ」
「慣れるしかなかった。それに今はもうどうだっていい。エリーは気にしないんだろう? 人か否か。ならもう何だって良いんだ」
「……そんなもん?」
「そんなもんだ。……で、何でリンクスの話題が?」
「黒いリンクスの噂を聞いて狩りに来たんだそうよ。毛皮、高く売れるそうで。……私に懐いてる、あの子のことだと思う。クゥ先生の村に滞在してるみたい。さっさと居なくなってくれないかなぁ」
「まぁ大丈夫だろう。大猫はそう簡単に見つかる生き物じゃない」
「でも大きな犬を連れていたから。良く躾けられた狩猟犬」
「そっか。俺も少し気にかけておこう。エリーは暫くは森の奥へ行くなよ、またそいつに会うのは嫌だろう?」
「そうね、出かけるのは川だけにする。あそこならルトロさん居るしきっと大丈……あれ、でもルトロさんリンクス苦手だ。犬もかな? じゃあ駄目かな」
「さて、どうだろうな。暇な時は俺が付き添うから、余り一人では出歩くなよ」
「ありがとう。……よし、回復した。ルカさん、夜番でしょ? キノコ採ってきたから、あとで夜食つくって届けに行くね」
「そうかそろそろ時間……、あー、行きたくない……」
「何言ってんですか、ルカさん」
「このまま。もうちょっとだけ」
そう言われると照れる。抱き着いたの自分からだけど。
まぁ、でも。モヤモヤ全部を包むみたいにあたたかいから。
「もうちょっとだけですからね」
そんな裏腹な言葉を返して、そっと身体から力を抜いて寄り添った。
部屋に差し込む日差しはもう随分と傾いて、足元には影が長く伸びている。互いの影が重なって、ひとつのようになっている様を、横目でじっと眺めていた。
どうでもいいことだが、ルカさん宅から帰る私の見た少女が母親に『私にもアレやって!』とせがんだのが切欠でこの日から暫く花飾りブームが流行った。後日、私の村までやってきたあの狩人が『花がたり騙りがいっぱい居る……』と途方に暮れた声で呟いていたのは、まったくの余談である。




