虹の根元
虹の根本には宝物が埋まっている。そんなお伽話はこちらにもあるのだろうか。
ある朝の事である。雨音に混じるノックの音で目が醒めた。こんな早くに誰が、と思いながら声をかけると、返ってきたのは
「すまん、雨宿りさせてくれ」
という友人の声だった。
慌てて扉を開け、中へ入れる。まだ寝間着のままだった私を見て、彼は軽く目を見開き、申し訳無さそうに顔を逸らした。うっかりしていた私も気恥ずかしいが、それを顔に出すのはもっと気恥ずかしい。平常心を装い、軽く肩を竦めて気にしていないと伝える。
取りあえず拭くものを用意し、手渡しながら台所を指さす。
「着替えてくるから、お湯でも沸かしておいて下さい」
「……わかった」
頑なにこちらを見ない友人の気遣いを有難く思いながら寝室へと戻り、急ぎ着替えを済ませる。
……今この時まで忘れていたけれど、今日着ていたのは村長夫人からのお下がりではなく領主様より頂戴したワンピースの寝間着だった。肌触り良い生地だが薄手で、なんというか……有り体に言えば僅かに透けている。大事なところは何一つ見えないけど体のラインはわりと分かるので余計に色々見えそうな気になる、フェチズムに訴えかける逸品だ。洗濯終わってないからと安易に着るんじゃなかった……!!
そりゃ顔も背けるだろう。彼が紳士な男で良かった。
枕に顔を埋め、物音を立てないようにしつつ一頻り羞恥に悶えてから、何事もなかったように寝室を出た。
「すみませんねルカさん、お目汚ししました」
「いや。あー……なんだ、誰が来るか分からないから、次からは上着くらい着てから開けるように」
「ですね。こんな早くから来る人はそう居ないでしょうけど」
恐らく木戸番の夜勤上がりなのだろうけれど、番屋があるのは村の入り口だ。うちより彼自身の家のが近い。何故うちで雨宿りを、と問いかけると、彼は肩を落として答えた。
「仕掛けた罠の様子を見に川へ寄ってきたんだ。位置が悪かったのか魚はかかってないし、戻る途中で雨は降り出すわ……ツイてない」
「おやおや」
外はバケツをひっくり返したような雨、という表現がぴったりなほどに土砂降りだ。この中を走って戻るのは確かに嫌だろう。
沸かしておいてくれたお湯で野草茶を入れて、彼へ差し出す。日中ならまだしも、朝はまだ肌寒い。温かなお茶を一口啜った彼は、ほっとしたように息を吐いた。
「昨日のスープ余ってるんで、良ければ食べませんか?」
「……すまん」
「構いませんよ。どうせ私も食べるんですから」
竈に火を入れ、余り物のスープを温めなおす。何種類かの豆や野菜とハーブを放り込んだ、ごった煮スープ。洒落た見た目ではないが、味は悪くないし豆のお陰で腹にも溜まる。
余談だが、うちの竈は薪さえ用意したら簡単に火が熾せる魔道具式である。火を熾す魔道具は比較的安価に手に入るが、竈に組み込む事は考えなかったらしい。火力全自動の竈は高価ではあるが存在するそうだ。ガスコンロのイメージを伝えた後『簡単な操作で点火と消火が出来る』機構を組み込んでもらった。安価な加工だが使い勝手がよく便利だということで、普通の竈に取り付ける改良版を町中の中流家庭をメインに売り出している。そこそこ売れているようで、販売を主導している領主様から喜びの声を頂いた。
「豪勢なスープだな」
「領主様から御礼として色々頂きまして」
「美味い」
「よかった。おかわり自由ですから」
ついでに昨日焼いておいたパンも出すと、彼の顔に輝きが増す。これだけ喜んで貰えるなら、出す甲斐もあるというものだ。
「止みますかねぇ、雨」
「空は明るかったし通り雨だろう。そう長くは降らないと思うが……」
「そうですか」
それなら虹のひとつも出るだろうか。ふとそう思い浮かび、それから思い出したのだ。虹の根元の宝物の話を。
「ねえ、ルカさん。この世界にも虹は出ますよね?」
「ああ、それは勿論」
「私の住んでいた地域では高い建物が多かったって話したの、覚えています? これだけ空が広かったら、虹も綺麗に見えそうだと思って」
「……あんまり意識したことないからなぁ。どうなんだろうな」
「虹の根元も探しやすそう」
「根本?」
「そういう話があるんです。虹の根元には宝物が埋まっている、っていうお話。こちらにはそういう話ってありますか?」
「掘っても何も出ないだろう」
「夢のない……」
「というより、下手に根元を掘るのは危険だ。あれはあまり根を張らないから」
「……ん?」
何故この人は虹の根元事情を語っているのだろうか。私はそういう話をしていたわけでは無いのだが。
私の困惑に、彼は分かってて言ったのだろう、ニヤリと笑って語りだした。
「虹モドキって植物があるんだ。遠目から見たら虹そっくりの変な植物なんだが……そっちには無いようだな?」
そんな変な植物があって堪るか。
「種それぞれに気温とか水分量とか条件があるらしいんだが、その条件を満たすと雨上がりに一気に発芽して成長する。ただ成長速度が早過ぎる所為か非常に脆い。三日もすれば枯れるんだが、枯れると砕けて舞い散るんだ。綺麗なもんだぞ。日に当たった破片がキラキラ光って見えて、なかなか見ものなんだ」
「へぇ……」
「肥料にも向いているから、欠片集めに出向く奴も居る」
雨後の筍みたいなもんだろうか。話を聞く限りあれよりも更に成長は早いのかもしれない。
それはそれでちょっと見てみたいけれど。そんな植物があったら、虹の根元の伝説が生まれないのも納得である。だって根元、簡単に見つかるし。掘れるし。
「掘りに行くなら付き合ってやろうか?」
「……遠慮します」
がっかりするだけなら行きたくない。夢は夢のままのほうが美しい時もあるのである。
「この雨が上がったら」
「うん?」
「見れますかね? 虹モドキ」
さぁどうだろう、と彼は笑みを浮かべて窓を見やる。私もまたそちらに目を遣る。
「見れたらいいな」
「ですね」
雨は未だ、止まない。