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帰着と講義

 宿に泊まった翌朝、ナンシーさんの見送りを受けながら出立した馬車は、比較的ゆっくりと進んだ。

 揺れが少ないよう気を使ってくれたのだろう。クッションも多目に用意してもらっていたのは助かった。まぁ、それでも酔ってグロッキーなのは変わりないのだが。寝やすいだけマシである。


 ぐったりしながらも日が落ちる前には帰着した。その時の木戸番は折しもルカさんだった。少し驚いて目を見開いた後嬉しそうに顔を綻ばせ、私の様子に訝しみ、具合が悪い事に気付いて慌てて駆け寄る。

 その一連の流れをぼんやりと眺めながら私は、やっと帰ってきたのだと実感していた。


「ただいま」


 ついて出た言葉に、彼はにっこりと優しげに笑い、


「おかえり」


と返してくれた。ああ、落ち着く。


「……エリーっ!?」


 顔を見合わせながら笑い合っていると、遠くから耳慣れた声が飛んできた。こちらへ走り寄る姿が見える。


「三日くらい前から、このくらいの時間になるとやって来ちゃ小屋で時間潰して、お前が帰ってくるのを待ってたんだ。きっとそろそろ帰ってくるから、出迎えるんだと言って」


 困った娘だ、と言うルカさんの目は笑っている。きっとダグラスさんや他の木戸番の人も、やれやれ、なんて言いながらも彼女を見守っていたのだろう。目に浮かぶようだ。


「おかえりなさいっ、エリー!!」


 輝くような笑みで彼女は駆け寄り、その勢いのまま私へ抱き着いた。踏ん張りが利かずに倒れかけた私の背を、危うげなくルカさんが受け止める。


「ただいま、テレジア」

「あーあ、またルカ兄に先越されちゃった。私が一番最初に出迎えるつもりだったのに」

「そりゃ当たり前だろう、仕事で入り口見張ってるんだから」

「でも、それだって交代……って、エリー、大丈夫? 顔色悪いよ」

「うん、ちょっと馬車の揺れに酔っちゃって……」


 ルカさんとテレジアが心配そうな顔で私を見つめてくる。落人でもリリーでもなく、ただのエリーとして。

 ……自覚しているよりもずっと、私は参っていたのかもしれない。


「……エリー?」

「何か、あったのか?」


 顔を伏せ、テレジアを抱き返す私へ、二人は気遣わしげに問いかける。

 うん、そうだね、沢山あったよ。でも。


「話さないって決めたから、教えない」

「エリー……」

「…………、うん、よし、元気でた」


 最後にぎゅっと強めに抱きしめて、彼女から離れる。心配そうなテレジアへ、へらっとした笑みを見せた。


「もう大丈夫。有難う。……でも、馬車酔いの方はまだ大丈夫じゃないっぽい……テレジア、家まで腕貸して、掴まらせて……!」

「ええええ!? ああ、もうエリーったら! 何にも大丈夫じゃないじゃない!」

「何なら背負ってやろうか?」

「それよりルカ兄は荷物の方お願い。何かやけに多いみたいだし……」

「うん、厨房の皆さんや奥様からお土産いっぱい貰っちゃって」

「分かった。荷物の方はこっちでやっておくから、今はゆっくり休みな」


 そしてテレジアに付き添われて我が家へと戻り、立派に家守りを務めてくれた軍曹に感謝を告げ、ベッドに寝転び……そこから二日程の記憶がない。

 どうやら安心して気が抜けてしまったようで、熱を出して寝込んでしまったらしい。らしい、と言うしかないのは、時折寝ぼけて起きては水を飲んだりしていた目撃証言はあれど記憶がなく、ぱっちりと目が覚めた時には不安そうな顔のテレジアが覗きこんでいて、そこで初めて知ったからである。


 何はともあれ、そんな一幕がありつつも、私はようやく自分の居場所へと戻ってきたのだった。




 回復してから三日後、私はルトロさんに会う為に川へとやってきた。

 ただいま戻りました、そう告げれば彼は不思議そうに首を傾げた後、


「居なかったの?」


と問いかけた。そういえば言ってなかった。わりと急な出立だったし。

 領主様の館へ行っていた旨を告げれば、ふぅん、と興味のなさそうな相槌を打ち、それでも


「おかえり」


と言ってくれた。私はもう一度ただいまと答え、近くの岩に腰掛けた。


「ルトロさん、水麦って知ってますか? もしこの付近に生えているなら是非欲しいと思いまして」

「水麦? ああ、あれ……遠いよ」

「あるんですね!?」

「下流にずっと行けばいずれ見つかる。ただ君の足だと行って戻るだけで日が暮れるだろう、収穫の時間なんて無いだろうね。それに時期じゃないし」

「私の世界では秋頃が収穫期だったんですけど、こちらでも同じなんですかね?」


 この世界の、というよりもこの地域のと言うべきか、四季は日本と違って曖昧である。夏はあまり暑くならないが、冬はそれなりに寒い。基本は春秋の気候のままなので過ごしやすいという意味では最高なのだが、季節にメリハリが無くて分かりづらいのは難点だと思う。

 今は恐らく日本で言うところの初夏だろうか。微妙に一ヶ月の日数や月が違うので換算するのがややこしい。一週間は九日、三週間で一ヶ月、十六ヶ月で一年。ちなみに曜日は無く、朝昼夜の組と呼ばれる週の名前に一から九までの数がつく。そして一年は四ヶ月四つのグループに分けられ、それぞれ春夏秋冬に『はじめ』『すすむ』『みつ』『おわる』がつく。例えば元の世界の感覚で三月十六日と言えば『春みつ月、昼の組六日』である。長い。

 ちなみに私の家にカレンダーはないので、今日がいつなのかよくわかっていない。でも確か『夏はじめ月』の朝の組後半か昼の組に入った頃だった気がする、領主様の館で見た暦の記憶では。

 やはり秋はじめ月以降を待たなければいけないのだろうか。やはり米の存在を知ったからには早急に手に入れたいところである。

 そう思っての問いかけであったのだが、彼は何故かぽかんとした顔で私を凝視していた。


「どうされました?」

「お嬢ちゃん、君、もしかして稀人なのかい?」

「……あれ? 言ってませんでしたっけ」

「ああ、そう、それなら……ああ、そうだったのか……」


 妙に得心した顔で彼は何度も頷く。確かに私の言動は、ルトロさんからしたらおかしいものはいくつもあっただろう。彼からしたら『何故こんなことも知らないのか』ということばかりだったから。

 彼の疑問にひとつ答えが出たのだとしたら喜ばしいことである。


「……ルトロさんは稀人と呼ぶんですね」


 人には落人と呼ばれた。文字通り、余所の世界から落ちてきた人、の意である。だが影といいルトロさんといい、人ではない者たちからは稀人と呼ばれるのはどういうことなのだろうか。


「数えるのを忘れたからどれくらいかは忘れたけれど、ずっと昔に来た人がこう言ったのさ。


『よりによって落人とは酷い言い草だ、落ち武者じゃあるめぇし。どうせならマレビトと呼んでくれよ。なに、意味だと? 大層なもんじゃねぇさ、『稀に来る客人』という意味だと思いなせえ』


色々と煩わしいから世捨て人になることにしたんだと、その人は言っていた。人は人が居なければ生きていけないのではないのか、寂しくはないのかと聞いた事があったけれど、彼は笑って『お前らが居るのだから、寂しいことなどあるわけがない』と言っていた。妖怪が普通に居るんだと思えば楽しいもんだ、とか何とか。あと自分たちを指してカワウソと言ったのは彼なんだ。その時までは特に呼び名なんてなくて、川の奴らとだけ。『川の妖怪と言えば河童だけど、お前ら皿もないし胡瓜好きって感じでもないしなぁ。魚ばっかり食ってるんだから、カワウソとかかね?』って彼が言ったから、カワウソと自称するようになったんだ。彼の言うカワウソっていうのが何かは分からないままだけれど」


 彼もまた手近な岩に腰掛け、そう私へ語ってくれた。どうやらその世捨て人の稀人も日本人だったようだ。なるほど、それで彼らはカワウソと呼ばれているのか。


「お嬢ちゃん」


 ルトロさんが呟く。


「煩わしくなったらいつでもおいで。あの男が馴染んだように、きっと君も馴染むだろう」


 ――人の世界を捨てたくなったら、いつでも迎え入れるから。

 それはとても魅力的な言葉だけれど。


「有難うございます。……でも私には、捨てられないものがあるので」


 微笑みながらそう答える。彼は、そう、と頷いて、僅かばかりの笑みを浮かべた。


「じゃあ、そちらに居る為に必要なことを教えよう」

「ええ、是非!」

「じゃあ、まずは毒草毒キノコの種類と猛獣の縄張りの目印から始めようか」


 川のせせらぎや葉擦れの音を聞きながら、私とルトロさん二人きりの講義が始まった。

 またひとつ、私の居場所が増えた日の事である。

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