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館にて

 ジバシリトカゲは、速かった。

 どれくらいかと言えば


「あああああああああアンディ兄さん怖い怖い怖い!! 手ぇどうしたらいいの!? 鞍? 鞍!? どこ掴んでたらいいのこれぇぇぇぇ!!」

「落ち着いてエリー大丈夫だから落ち着いて!! 兄さんちゃんと抱いてるから! 落ちないから!! 多分!」

「兄さぁぁぁぁん!?」


 恥ずかしながら、この様に取り乱す程には速かった。


 割りと急な坂道を自転車で重いギアを回しながらノーブレーキで下るような疾走感。ヘルメットとかそういうのも無いし、自転車ならハンドルを握れるが手綱は兄さんが握っているので私が掴めるのは座る鞍のちょこっとした部分のみ。で、上下に跳ねる。時折マジで尻が浮く。後ろに座る兄さんが片手で腰を抱きしめるようにしてくれているが、放り出されるそうで気が抜けない。

 そもそも私はジェットコースターの類は得意じゃないのだ。怖い。

 ちょっとくらいは景色も楽しめるんじゃないかと思っていた私が浅はかであった。全然そんな余裕無い。


 休憩でぐったりと座り込む私へ、アンディ兄さんが言う。


「でもエリー、馬車も酔うだろう?」

「……こんな恐怖体験するくらいなら、馬車酔いでグロッキー状態の方が良いです。無理矢理眠って堪えますから」

「……、帰りの馬車は寝やすいよう座布団いっぱい用意しといてあげるからな」


 苦笑しながら、アンディ兄さんは私の頭を撫でる。

 それもこれもあの馬鹿息子がやってきたのがいけないのだ。馬車に乗れなくなった。今回において一番の被害だ。くそ。

 余りに憔悴した私が気になったのか、トカゲが私の頭に擦り寄ってくる。決して可愛い顔ではないが、その行動に癒やされる。思わず首に抱き着いたら、ちょっと嫌そうに鼻を鳴らされてしまった。



 数度の休憩を挟みながら、私たちは領主様のお館へと到着する。

 馬車であれば日暮れているだろうが、まだ空は明るい。こんなにも違うものなのか、と驚く気持ちもあるにはあるが、それ以上にようやく解放される……!! という安堵の方が大きい。結局この道程で慣れることはなかった。鞍を握りしめすぎて手が痛い。

 私たちが帰ってきたのに気付いたのだろう、使用人が一人走ってきた。おかえりなさいと頭を下げて、その人は兄さんからトカゲを引き受けた。


「旦那様、ただいま戻りました」

「お招き有難うございます。ロンサムエリー、参りました」


 邸内へ入ると、領主様自ら入り口でお待ち下さっていた。慌てて頭を下げる。

 エリー、と穏やかで低い声で名前を呼ばれる。顔を上げれば、ほっとした表情の領主様が居た。


「着いて早々だが、父の居室へ向かってくれ。息子の件を聞いて頭に血が上ったようで、具合を悪くしてね。その顔を見せて安心させてやってくれ」

「畏まりました!」

「誰か、エリーを案内するように」

「私が。エリー様、参りましょう」


 申し出たのはアンディ兄さんの恋女房で侍女頭を務めているマーガレットさんだった。先導する彼女の後ろを、少し焦れた気持ちを抱きながらついていく。


「あのマーガレットさん、先代様の」

「マギー姉さん」

「はい?」

「マギー姉さん、でしょ? あの人を兄と呼ぶなら私は姉と呼んでって言ったじゃないの、エリー」

「……マギー姉さん」

「はい、よく出来ました。……おかえりなさい、エリー」


 ふっと笑って、マギー姉さんは私の髪をさらりと撫でた。


「大旦那様なら大丈夫よ。大事を取って安静にしているけれど、特にもう問題はないから」

「良かった……!!」


 それを聞いて一安心だ。あの馬鹿息子が原因とはいえ、倒れる程に心配をかけてしまったことは心底申し訳なく思っている。大事がなくて良かった。年齢が年齢なのだ、血圧が上がって倒れたというのもバカには出来ない。

 長い廊下を歩き、奥まった場所にある重厚な扉の前で立ち止まる。


「大旦那様、失礼致します。エリー様をお連れ致しました」


 姉と呼べ、と言っていた時と雰囲気をがらりと変え、マギー姉さんは声をかけた。

 お入り、と扉の向こうで声がする。深くて優しい、先代様の声。

 マギー姉さんが扉を開けてくれた。ベッドの上で上体を起こしてこちらに笑いかけてくれている先代様の姿を目にし、思わず私は駆け寄ってしまった。


「先代様! お加減は如何ですか?」

「なぁに、お前さんの顔見たらすっかり良くなってしまったさ。お前さんの方こそ大丈夫だったかい?」

「村の方達や駆けつけてくれたアンディさんが居ましたので」

「そうかい、そうかい。……済まなかったなぁ、うちのバカ孫が迷惑をかけた」

「謝らないでください。謝るべきは先代様でなくて当人ですから」

「ああ、それは勿論そうだ。だがそれでも、私たちが謝らなくていい理由にはならないんだよ、エリー」


 老人特有の皺だらけで乾いたその手で私の手を取り、済まなかったなぁ、と何度も呟きながら私の手を撫でる。

 ああ、私の事と己が孫の事で、この人はこんなにも傷ついたのだ。

 そう思った途端、鼻の奥がツンとした。なんであんな男の所為で、先代様が、祖父のようなこの人が心労を負わなくてはいけないのだ。

 嫌いだ。あんな男、嫌いだ。この人を傷つけるばかりのあんな男、大っ嫌いだ。


 ……けれど。それを口に出したとして。きっと困らせるだけだろうから。

 だから私は口を噤む。数回の瞬きで涙をやり過ごし、それから笑顔を浮かべてみせた。


「そんなことより、もっと面白い話をしませんか? 遊技盤、楽しんで頂けたようですね?」


 私の笑みを見て先代様が、困ったような寂しいような笑みを浮かべる。けれど何も言わず、もう一度私の手を優しく撫でてから、


「ああ。ポラリス……君たちの国ではオセロ、だったかな? あれは中々によく出来ているね。私たちはすっかり虜になっているよ。よし、早速一緒にやろうじゃないか」


 そう笑って、私の無理な話題転換に乗ってくれた。


「私、とっても弱いですよ?」

「おや、最初から手加減希望かね?」

「そうですねぇ……四隅に私の駒置いてスタートして、やっと五分? それでも負けるかも」

「謙遜がすぎるのもどうかと思うがね。では二隅置きからやってみようか。マーガレット、簡易の方を持ってきておくれ」

「畏まりました」

「完成品は恐らくマルクス自ら見せたいだろうから、エリーへのお披露目はもうちょっと待ってもらおう」

「楽しみにしていますね」


 先代様の傍に椅子と机を寄せ、くすくすと笑いながら持ってきてもらったポラリスの準備をする。夕食の仕度が整ったと使用人が告げに来るまで、私と先代様は世間話とゲームをずっと続けていた。




「ウィリアムズは別邸の方へ連れて行った。君が滞在している間は本邸へ来ないよう見張りも付けてある。君には近づけないと約束したのに、済まなかった」


 晩餐の席に着いた領主様は、開口一番にそう言った。申し訳無さそうな顔につい絆されてしまう。


「いえ、今回は大きな実害は……まぁ、無かったので」


 トカゲに乗って走るのが怖かった、という実害はあったが、それを口にするのは流石に恥ずかしい。領主様の後ろで控えているアンディ兄さんは、私と目が合うと器用に片眉だけ上げて小さく笑った。素知らぬ振りで無視する。


「そうか? 地走りに乗り続けるのが大層辛そうだったと聞いたが」


 バラすなよ。僅かばかり眉を潜めてアンディ兄さんを見遣る。素知らぬ振りで無視された。

 見栄くらい少しは張らせてくれてもいいのに、と小さく溜息を吐く。トカゲの背で怯えすぎた事を改めて思い出し、急に恥ずかしくなってきた。恥ずかしさをごまかすように苦笑いを浮かべて返答する。


「……それは、まあ、確かに辛かったですけど。ですが、皮肉と嫌味と……手を出されたのもせいぜい顎を掴まれて蔑まれる程度で済みましたから。ですので、特にこれといった事は……、あの、領主様?」


 言っている間に、領主様は片手で目元を抑えて俯いてしまった。どうしたのかとアンディ兄さんに目をやれば、こちらも表情を凍らせている。

 乱暴な事は特にされませんでしたから大丈夫ですよ、と伝えたかったのだが、これは一体どうしたことか。己の息子の不甲斐なさに泣けてきたのだろうか。


「エリー……それは私への当てこすりではないのだよね?」

「はい?」

「君の受けたそれは、十分な実害だと思うのだが」


 確かに害がないとは言わないけれど、それほど大きな被害だとは思わない。だって。


「この屋敷で受けたあの人からの被害以上の実害は、未遂でなくなるか暴力か拉致監禁か殺人くらいだと思っていますので……あの程度なら別に……」


 皮肉にも嫌味にも蔑みにも、ちゃんと対抗は出来た。ルカさんも村長も庇ってくれた。だから大した実害なんかじゃない。大丈夫、私はちゃんと、大丈夫だ。


「言われた事へは言い返しましたし、本当に、特にこれといった事ではありませんでしたよ。ですから領主様、どうぞそんな顔をなさらないでください」


 領主様のような、そんな痛ましいものを見る目は必要ない。アンディ兄さんのような、今にも泣きそうな顔も、必要なぞ無いのだ。


「……エリー」

「はい」

「君が思い出して辛くない程度でいい。あれが何を言ったのか……教えてくれないだろうか」

「旦那様!」

「私は知るべきだ。あれの親として、君を保護する者として、どれだけ愚かな事をあれが仕出かしたのか」

「分かりました。……アンディ兄さん、聞きたくなければ耳を塞いでください。それか、領主様、どうぞ退出の許可を」

「……いいえ、旦那様。どうかこのまま、聞かせて下さい」


 大丈夫だろうか。私が自分で思う以上に、私の事でアンディ兄さんはダメージを受ける。

 せめて、努めて冷静に、ただ報告しているだけの事のように語ろう。この人を動揺させない為に。


「大した事は言われておりません。初めは笑みを浮かべて皮肉を幾つか、私がその言葉に言い返すのが気に食わなかったのか顎を掴まれて、籠の鳥は大人しく金の卵を産めと脅されました。ですので私は、それでも飼い主はお前じゃない、と返しました。更に罵倒しようとしたのでしょうが、傍に居た村人が引き離してくれました。その人が男性だったので、もう男を咥え込んだのか、祖父を誑し込んだだけあるな、と蔑まれました。流石に先代様への侮辱は聞き流せず、頭に血が上り、つい胸ぐらを掴んで母国語で罵声を浴びせました。私の行動と剣幕が予想外だったのか、腰が引けておりました。隙が出来たので、周囲の野次馬へ聞かせるように、館で嫌がらせをされ強姦未遂にもなり恐ろしかった、と誇張気味に怯えて見せて周囲の空気を私の味方につけてから、使者とは認めないと拒絶し、村長に引き取って頂きました。その後、友人が駆けつけたアンディ兄さんを案内してきました」


 化物女と呼ばれたことは意図的に外させてもらった。あの言葉は私だけでなく、ルカさんを貶しめる為に言われた言葉だ。報告の為だろうと、私に何の感慨も与えない言葉だろうと、口にしたくない。

 それにしてもこう話していてはスープが冷めてしまう。折角のエリックさんの料理なのに。お皿に視線を落としてから領主様を見やるが、彼は表情を固くしているだけである。気付いてもらえなかった。……不敬ではあるが、食べよう。

 細かい具がたくさん入った、コンソメ系統の味付けのスープ。塩気は少なめだが、その分野菜の味がよく分かる。体に優しい味がする。


「翌日夜明け前、出発の為に家をでると、其処にあの人は居ました。彼は私に問いかけました。何故自身で儲けようと思わないのか、儲けるつもりがなく後ろ盾の為だけならば自分の父である必要もないだろう、と。言うことは尤もだけれど嫌いな相手の役に立ちたいなどと思わないと私は答えました。彼は随分と驚き呆気にとられた様子でした。その辺りで迎えが来たのですが、まだ話を続けようと彼がしましたので、お答えしました。対価を何も差し出そうとせずに私に何かを望むのは間違っている、やり方を間違えた貴方はもうやり直しはきかない、と」


 これが村に来たあの人と私の遣り取りの全てです、そう話を締めくくった。

 それから自分が語った話をざっと頭の中で思い返し、あぁしまったなぁ、と気付いた。


「申し訳ありません、領主様。館内での不祥事を村でばらしてしまって。うちの村ではあの人の不人気が高まったから、今後大変かもしれません……軽率でした」

「いや、それは……」


 気にしなくていい、と言うように首を振った後、大きな溜息を領主様は零した。


「領主様。あの人は不思議ですね。自分が嫌われているだなんて、欠片ほど考えた事が無かったようです。怯えさせている事に自覚はあるのに、嫌悪されている自覚はないなんて」


 怯えさせれば支配出来る、という考え方を持っている、ということは理解出来た。実際に以前この館に居た時は、怯えて縮こまって口答えも何も出来ずにいたから、そう彼が思うのも分かる。

 けれど。嫌いだと伝えた時の、あの呆気にとられて動揺する姿。あれだけは理解出来ない。怯えさせる相手を嫌いにならない奴なんているのだろうか。共依存のDV夫婦、とかか?


「……それについては、私が原因だな」

「原因、ですか」

「当初、君を養子に迎えようかと考えていたのだが、その事を口に出した事がある。ただ……」

「ただ?」

「うちに迎えることも考えている、という言い回しの所為か、君をウィリアムズの妻に迎えるのだと思った節がある」


 アンディ兄さん、顔が怖いですよ。後ろに控えているから分からないと思って領主様を睨みつけるのはやめたほうが良いのではないでしょうか。


「次期領主の妻に一般庶民の娘を迎える筈がない事くらいは分かるだろうに……」

「……、ですよねぇ」

「こういう言い方はしたくないが、あれはどうやら君は自分の物になると考えていたらしい。だから思いもしなかったのだろう、嫌悪されていると」


 自分の物が、自分を拒否するわけがない。そう思っていたというのか。なんて、馬鹿らしい。

 ああ、飼い主はお前じゃない、と言った時あんなに苛立ったのは、自分を本当に飼い主だと思っていたからなのか。


「……この話はこの辺りで終わらせてよろしいでしょうか? 美味しい食事にはそぐいません」


 不愉快だ。実に不愉快な話だ。

 失礼を承知で話を打ち切り、無言で食事を進めた。領主様は私のそんな様子を見て、やはり無言のまま食事を始めた。空気は重かったが、食事はとても美味しかった。


 食後、ポラリスの完成品を見せてもらい、領主様と交流のある貴族方に贈って好評であり滑り出しは上々である話を聞いたり、私の世界では地域や国、世界大会なども開催される話をしたら俄然食いつかれ急遽企画会議の様相を呈したり、和やかとも言える食後のお茶の時間を過ごさせていただいた。


 それから、マギー姉さんに案内され、以前使っていたのとは別の部屋へと案内され、用意された着替えを持って風呂で汚れ落とした後は、あっという間に眠りに落ちた。

 来てよかったのだ。久々に優しくしてくれた人たちと会って話が出来たし、オセロ……じゃない、ポラリス大会の企画も上手くいけば領主様の役に立つ。後ろ盾をしてもらう分の義理はこれで果たせる。きちんとした風呂にも入れたし、食事も美味しかった。


 大丈夫。大丈夫だ。

 嫌な汗をかいて夜中に何度も飛び起きる事なんて、些細なことだ。

 枕元の水差しからコップに水を注ぎ、一息に飲み干してから、私はもう何度目かの眠りに落ちた。

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