夜を越えたら
早い時間から就寝した所為なのか、深夜に目が覚めてしまった。まだ夜明けには早いが、二度寝したら出発に間に合わないかもしれない。
……少し予定より早いが、起きるか。微睡みの中、その決断を下すまでにいささか時間はかかったが何とか身体を起こす。ゆっくりと着替えをしながら、どうやって時間を潰そうか考える。
以前なら、深夜に目が覚めたって携帯でネットでもしていればいつの間にか寝落ちしていたし、自分の携帯を持つ前だったら適当に本や雑誌を眺めていれば良かった。音楽をギリギリ聞こえる程度の音量まで下げ、ヘッドホンで聞きながら微睡む事だってあった。
ここには、何も無い。長過ぎる夜に時間を持て余してしまう。寝室を出て、灯りを付けないまま椅子へと腰掛ける。机の上に頬杖をつきながら、ぼんやりと考えた。
私と出会わなければ、アンディさんは私の中に『大事な妹』を見つけることはなく、その事で情緒不安定になることもなかった。
私がこの村にやって来なければ、領主様の保護下になる事もなく、彼を富ませる事もその息子に変な欲を出させる事もなかった。
「……なんだか、ねぇ」
この世界に来てから、私はひとつの言葉を信念に過ごしている。
『起こってしまった事は仕方がない』
そう思わなければ、やっていられないからだ。仕方ない、と思わなければいけない。そうでなければ、どうして異世界に来てしまったのかと詮無いことをいつまでも悩むことになる。
……それでも、私の存在の所為で捻れたかもしれない事柄については、やっぱり簡単に割り切れるものでもない。
勿論、それは元の世界でも変わらない。偶然私と知り合った所為で不利益を被る他人が居たり、或いは逆に私が不利益を被る事もあるだろう。でも彼らは本来、私と知り合う筈など無かったのだ。私という異物と知り合ってしまったが為に、捻れた。
異物。そう、異物だ。私は。この世界の、異物だ。
せめて私がこちらへ来た事に理由があれば良かった。物語の定番である召喚とか。勇者になってくれなんて話だったり、うっかり間違って召喚してしまいました、とかでもこの際は構わない。原因があってこちらへ来たというのならば、その原因を恨む事もできる。内容如何では目的意識を持つ事もできる。
だが私には何も無い。ただ落ちただけ。
こちらに来て三年目に突入しているというのに、未だに私はどうすればいいのか分からない。求められるがままに元の世界の話をし、役に立ったならその見返りを貰う。ただそれだけで、日々を漫然と過ごしている。
(そうか、いつの間にか、もう三年か)
誕生日のある冬を迎えれば、私も二十歳になってしまう。何も成長しないまま月日ばかり過ぎている。
文字と言葉はそれなりになった。家のことは出来るようになった。刺繍のやり方も覚えたし、籠だって編めるようになった。それで?
こんなもの、バイト先の仕事内容を覚えるのと大して変わらないじゃないか。それはきっと、成長とは違うような気がする。
(……成人式……お母さんの振袖、着たかったな)
祖父母が用意した、母の為の振袖。祖父母の家を整理している時に出てきた着物に、妹と二人で目を輝かせていた。母は嬉しそうな、懐かしそうな顔で、二人の成人式の時にね、と笑っていた。
ああ、なんで今、思い出してしまうんだ。
「会いたいなぁ……お母さん……彩……」
呟いた声は自分でも驚くほどに、か細い。そっと溜息を吐いて、目を閉じた。
夜が静かすぎるのがいけないのだ。大丈夫、朝になれば気弱な感情など日差しが攫っていってくれる。
大丈夫、大丈夫と言い聞かせながら、いつしか微睡みうたた寝をしていた。
トントン、と控えめなノックの音で我に返る。まだ辺りは暗いが、夜明けが迫っているようだ。
はい、と扉へ声を返す。おはよう、と向こうからアンディ兄さんの声がした。
「良かった、起きているね。エリー、身支度が出来たら村の入り口までおいで。流石に村の中へ地走りを入れるわけにはいかないから」
「わかりました」
「少し肌寒いようだから上着はしっかり着こむんだよ」
それだけ告げて、気配は扉から離れていった。やや過保護な気もするが、忠告には従うべきだろう。
いつものワンピースの下にズボンを履き、少し大きいが上着を羽織る。それから、寝る前に沸かして冷ましておいたお茶を水筒へ入れ、前に焼いたパンを包む。それらと諸々の荷物と共に大きめな布を風呂敷代わりにして包み、肩から斜めに背負うようにして結びつければ準備完了である。
「おはよう、軍曹。留守中よろしくね。たまに様子見てくれると助かる」
いつの間にか侵入した軍曹へ挨拶し(正直、何処から入っているのか未だに分からない)、私は家を出る。
戸を締め、振り返り……驚いて仰け反り、扉に背中を強かにぶつけた。馬鹿息子が目の前に居たのだ。
見張っておけよ、なんで居るんだよ。
「行くのか?」
辛うじて手の届かない距離。それでも一歩でも詰めれば手の届く距離。ぎりぎりの間合いで、彼は問いかける。
「ひとつ、聞かせろ。エリー、何故お前は自分で儲けようと思わないんだ? 伝手や商才が無いからと今の形にしたとしても、もっと自分の利を取れる条件は出せただろうに。儲けるつもりがないのなら、その相手は俺の父である必要など無いだろう? 後ろ盾が要るだけなら、俺でも構わないんじゃないのか?」
私の知識で領主様が得をしても、私はその利益を殆ど受け取っていない。此処で生活するのに十分な補助をしてくれるならばそれで良い、とほぼ放棄している。
利益を手にするつもりがないのなら、誰と手を組んでも同じじゃないのか。それこそ、自分でも。
本当にそう思っているのならば、彼はいささか自己評価が高過ぎると言わねばなるまい。
「……そうですね。確かに領主様である必要はないのでしょう。ある程度の義理を返し、別の方の所へ行くのもひとつの考えだと思います」
「そうだろう? なら」
「ですが、領主様である必要がないからといって、貴方で良いとは思いませんよ」
何故思い当たらないのか、不思議で仕方ない。
「嫌いな相手の役に立ちたいだなんて、思うわけないじゃないですか」
それでは失礼します、と告げて彼の横を通り過ぎる。馬鹿息子は呆然としていたが、我に返って私に向かって手を伸ばす。その手が伸びきる前に、別の手が私を彼から離すように引っ張った。
「……見計らったかのような登場ですね、ルカさん」
「まだ来ないまだ来ないとアンディがソワソワしっぱなしで鬱陶しいから迎えに来たんだよ。まぁ丁度良かったようだがな」
「おや、いつの間に仲良くなったんです?」
「……昨晩、うちに来て延々とお前との話を根掘り葉掘り聞かれた。ついでに以前の館でのお前の話も垂れ流された。寝ろっつっても中々寝ようとしないし……」
「それは、なんと言いますか……大変ご迷惑をおかけして……」
何やってるんだ、あの人は。居た堪れない気持ちで頭を下げたら、お前も大変だな、と頭を撫でられてしまった。
それから彼は馬鹿息子を見遣り、だが何も言わずに私の手を引いて歩き出した。
「待て!」
「急いでいるので」
「ッエリー!!」
……そのまま無視しても良かったけれど。
私はルカさんの服を軽く引っ張って合図してから立ち止まった。
「ウィリアムズ様」
(君の望みに答えたのだから)
(君はそれに対価を差し出さねばならない)
「対価を何も差し出そうともしないのに、私に何かを望むのは間違っております。私がそれを許す程、貴方との間に信頼など無かったのですから」
あの影の言葉が甦る。何も用意せずに、私を下に見てただ搾取しようとした男。騙すことすらせずに。
ああ、本当に、馬鹿な男だ。
「優しいふりで騙してくれたなら、もしかしたら誑かされていたかもしれないのに。残念ですが、貴方はやり方を間違えた。そしてもう二度とやり直しは出来ません」
それだけを言い置いて歩き出す。私の言葉を聞いて、彼がどんな顔をしたのかは分からない。拒否の言葉を告げられた、それだけで私はもう十分だ。
手を繋いで歩いてしばらく、アンディ兄さんがこちらに気付いて大きく手を振っているのが見えた。まだ遠い中、ルカさんが呟く。
「……ふりで騙してるわけじゃないからな」
「誑かされちゃえば、どっちだって同じですよ」
そう冗談で返せば、彼は苦笑を浮かべて肩を竦めてみせた。
「エリー! ルカ! ほら急いで!!」
「遅くなって御免、アンディ兄さん」
ルカさんの手を解いて、小走りでアンディ兄さんの元へと駆け寄る。少しだけ歩調を早めて、だけど走ることはなくルカさんが付いてくる。
「家を出たらウィリアムズ様が居たものだから、少し時間を取られてしまって」
「大丈夫だったかい!? 何もされなかったか!?」
「平気。話をしただけだし、ルカさんが来て連れだしてくれたから」
「そっか、なら良かった……!! ルカを送り出して正解だったね」
アンディ兄さんの傍ではジバシリトカゲがじっと私を見つめていた。大きさは馬よりも一回りは大きいだろうか。黄色い目を見つめ返す。しばらく見つめ合った後、トカゲは興味をなくしたように私から顔を逸らした。
「流石だ、エリー」
「……拒否はされてない、ってことですかね?」
「地走りたちはね、飼い主をリーダーとして慕い、その次に自分の位置を置くんだ。騎手は同じ群れの仲間、それ以外の気に入った相手は客人みたいな感じかな。だから乗せる事を許容してくれる。気に入らない相手には牙を鳴らして威嚇するから、今のエリーへの反応は許可をくれたようなものかな」
「ふぅん、そういうもんなんだな」
興味深そうにルカさんもジバシリトカゲの前に立った。目が合った途端、トカゲは怯えたように一歩後ずさり、ガチガチと牙を鳴らして威嚇をした。興奮するトカゲを宥めながらアンディ兄さんが不思議そうに首を傾げた。
「威嚇はさておいて、妙に怯えたな。ルカ、何かしたのかい?」
「さて、俺には分からんが」
俺はどうやら乗れないらしい、そう言ってルカさんは笑う。その笑みに一瞬過ったのは自嘲だろうか。このトカゲが怯えたのはきっと、ルカさんの中に混じる影に違いあるまい。
「さ、それじゃ行こうか。エリーは前に乗っておくれ」
手綱を軽く引っ張ると、トカゲはこちらが乗りやすいようにしゃがんでくれた。
「……ああ、エリー。その前に」
「なんです?」
アンディ兄さんの手を借りてトカゲに乗る直前、ルカさんに呼び止められた。
「行ってらっしゃい、気をつけて」
近寄ってきたルカさんはそう告げ、自然な仕草で私の額へと口付けた。驚きに目を見開く私と、してやったりとでも思っているのだろうか、楽しそうな笑顔を浮かべるルカさん。そして、そんなルカさんから私を引っぺがすアンディ兄さん。
「ルカ!! お前、よくもこの兄の目の前で……!!」
「なんかやること露骨になってきてませんか、ルカさん……!?」
「寝不足やら馬鹿息子やらで気持ちがやさぐれていてな、つい」
「つい、で八つ当たりするの止めてくださいよ。恥ずかしい」
「おかげで少し癒やされた」
阿呆なやりとりを打ち切らせるように、アンディ兄さんがやや強引に私をトカゲの鞍へと乗せる。そしてさっさと私の後ろへと跨り、トカゲを立たせた。思ったより視線が高い。何処を持てば良いのだろう、鞍だろうか。
「それじゃ、行こうかエリー。世話になったね、ルカ」
「ああ」
館にはどれくらいの滞在になるだろうか。出来れば長逗留せずに戻りたい。
……あちらには二年、こちらにはまだ一年も経っていないというのに。着実に此処が私の居場所になってきているようだ。
「いってきます、ルカさん」
私の言葉を合図にトカゲは首を返し、街道を駆けだした。




