混ざるものについて
お湯を沸かし、いつもの野草茶をいれる。ルカさんと向かい合い、お互い無言のままお茶を啜る。
沈黙を破ったのは、ルカさんの方からだった。
「人以外との間に出来た子を指して、混ざり者と呼ぶんだ」
カップに視線を落としたまま、彼は言葉を続ける。
「互いに想い合っている場合や襲われて身籠る場合……混ざり者が生まれる理由は様々だ。俺の場合は少し特殊で、なんと言えば良いんだろうな……事故、みたいなもんか」
「……、事故?」
「エリー。お前は確か最初に会った時、影に言われて歩いていた、と言っていたよな?」
頷いて肯定を示す。靄のような影のような……よく分からない何かに、私は出会っている。
「俺に混じっているのはあの影だ。あの影は、人の腹を借りて生まれてくる。だが母の場合は、その時にすでに俺を身籠っていたからか、そのまま俺と混じってしまったのだそうだ」
本来なら十月十日を腹の中で過ごした後、赤子の形で影は産まれ、へその緒を切った所で姿を消すのだという。けれどルカさんは『影』ではなく『混ざり者』として生まれた。
「ガキの頃、虐められるのが嫌で川にばかり行ってた。あの川に行くといつもルトロが居て、随分面倒を看てもらったよ。基本放置だけど、川の深い場所や流れの速い場所、気をつけるべきことや危険な時は必ず教えてくれた。釣りを教わったのもその頃からだな」
その頃を思い出しているのだろう。ルカさんの口元が、僅かに笑みを浮かべている。
ルトロさんは昔から変わらないようだ。手は出さず、けれどやんちゃな子供に向かって『そこは滑るよ』『その三歩先からは深いよ』などと声をかけていたことだろう。目に浮かぶようだ。
「ある時、川に行ってもルトロが見えない。珍しいと思いながら、それならと川を逆上するように歩いて行った。あまり上流には行くなと言われていたから、ルトロの目が無いうちに行ってみたかったんだ」
進めば進むほど、石は岩になり、歩きにくい様相へと変わっていく。天気すら、なんだか薄暗くなってきた。それでもルカ少年は進んだ。
「何かを感じたというわけじゃない。ただ視線を巡らせたら、其処に居たんだ」
木陰とは明らかに違う『影』。目が何処にあるかは分からないが、その時少年は目が合った、と思ったらしい。
「身体を強張らせる俺に影も気付いた。俺を見て、不思議な生き物だと言ってきた。同胞である筈なのに人の形をしている、と。俺という存在の成り立ちは、その時に教えられた。俺に混ざっているのはこいつらなのか、っていう衝撃はデカかったなぁ……」
手持ち無沙汰なのか、その時の事を思い出しているからなのか、どこか落ち着かない様子で手にカップをいじる手元を、私はただじっと見ていた。
「それから、そいつは言った」
――……ところで
――お前は、いつ、そこから出てくるんだい?
「……ぞっとした」
影の言葉は、ルカ少年に向けたものではなかった。恐らく影にしか見えないだろう、何かに向かって、その言葉はかけられていた。
どこまでも穏やかで、柔らかで、まるで親しい家族へかけるかのような、声音で。
「余りに恐ろしくて、無我夢中で駆け戻った。川上から走ってくる俺に気付いたルトロが、獣にでも襲われたのかと慌てて寄ってきてくれた。ただただ恐ろしくて、支離滅裂になりながらも俺は今聞いた話をルトロへ語った。全部聞き終えたルトロは、在るように在るしかないのだから怯えなくていい、と……そう言ってくれた。でも、否定はしてくれなかった。いつか俺に混じっている影が、何かを起こすかしれない可能性を」
この世界にも、七つまでは神のうち、という考え方はあるようだ。幼い彼が大人たちから白眼視されたのは、未だ不安定な子供の彼に混ざる『何か』を危険と思っていたから。親のその態度に子供たちは影響されていたのだろう。やがて何の問題なく成長した彼を、もう大丈夫だろうと安心した大人は徐々に態度を軟化させ、それを見た子供たちもまた彼を受け入れるようになり、そして現在に至るのだという。
当人は一度足りとも、大丈夫だなどと思った事はないというのに。
「エリー、俺の目を見て」
顔を上げれば、彼は真っ直ぐに私を見ていた。私を見つめながら、彼は左の目を指さす。
「分かるか? 色が違うの」
少し顔を近づけて瞳を覗きこむ。ライトブラウンの右目と違い左目は、瞳孔と見分けがつきにくい程に暗い焦茶……いや、もはや黒と言っていいだろう、そんな色をしていた。
「混ざり者を表す特徴は様々だ。俺の場合は、この目だな」
「へぇ……全然気付かなかった」
「……、それは今まで俺の目を見て話してなかったってことか? だとするとちょっと傷つくぞ」
「違いますよ、人聞きの悪い。髪で多少隠れるし、こうして座って向かい合ってるならともかく、身長差どれだけあると思ってるんですか? 頭ひとつ分以上も高いんですから、よく見えてなかったんですよ」
「それ、誤魔化しの言い訳だったら拗ねるからな」
「大の大人が何を言う」
馬鹿息子はこの目を見て混ざり者と気付いた、ということか。よく見たら、って言っていたし。
「両目にそれぞれ昼と夜があるみたいで綺麗ですね」
オッドアイって格好良い、と思うのは、余りに無責任かもしれないけど。この暗い色にあの影が潜んでいるとも言えるのかもしれないけれど。
気休めでもいい。肯定的な言葉を彼には伝えたかった。
「エリー……」
少し目を見開いた後、ルカさんは安堵にも見える笑みを浮かべた。その表情が嬉しくて、私もまた微笑んでみせる。
つと、彼の右手が私の顔に伸びる。肉厚な掌が触れた頬が熱い。そのまま僅かに引き寄せられ
「エリー!! 今、あの息子を追っかけて別の使者、の……方が」
ノックもそこそこにテレジアが飛び込んできた。硬直したテレジアと同じく振り返って硬直する私達。きっと五秒も経っていないけれど、物凄く長い沈黙に感じてしまった。
「お、邪魔……しちゃった、かしらー?」
あはははは、と笑って誤魔化しながらテレジアが視線を泳がせる。ゆっくりとルカさんに視線を戻せば、余りに恥ずかしかったのだろう、机に突っ伏して顔を隠していた。ちょっと待て、この対処を私に押し付けるつもりか。乙女のような反応をするんじゃない、それは私の役割だ。
はぁ、と大きく溜息を吐いて椅子の背もたれへもたれかかる。それからテレジアへ大きく手を振ってみせた。
「うっかり盛り上がっちゃっただけだから気にしないで、テレジア。それより、別の使者って?」
「あ、うん、あの息子がついてった報告を受けて飛んできたみたい。でも本当に信じていいのか分からないから、先にエリーに聞いてからって事になって……」
「どんな人?」
「すんごい美形。金髪なんてこの辺じゃ見ないからびっくりしたよー、なんか物語に出てきそうな感じ」
「……あぁ、なんか、分かった。うん、その人は大丈夫。いや、微妙に大丈夫じゃないけど、大丈夫」
私の言葉にテレジアも顔を上げたルカさんも怪訝な顔をする。そんなルカさんへ私は真面目な顔を向ける。
「ルカさん、先に言っておきます。あの人に他意はありません。ついでに既婚者で奥様を溺愛しています。私はもう改善は無理だと諦めているので抵抗しないだけだとご理解ください」
「……は?」
「テレジア、入ってもらって。きっとすぐ近くで待っているんでしょう?」
首を傾げながらもテレジアは頷き、扉の外へと一旦出る。どうぞお入りください、という彼女の声が聞こえてきたのとほぼ同時に、綺麗な顔の男が飛び込んできた。
輝くような金色の短髪は自前のカール以上にうねり跳ねとび、彫刻のように整った顔の全面に焦りを浮かべ、鮮やかな碧眼にはうっすらと涙の膜が張り。心配から急ぎ飛んできました、という言葉を体現させたら彼の様子になるのだろう。
「エリィィーッ!!」
男は飛び込んできた勢いのまま私の元へ駆け寄り、椅子ごと押し倒す気かとばかりに私を抱き竦めた。一瞬、ルカさんの顔が引き攣るのが見えた。
「エリー! エリー! ああ良かった、大丈夫かい!? あの野郎、狩りに出かけた振りをして先回りで馬車を待ち伏せていたらしい! 御者を気絶させて野郎が馬車を駆ったそうだ、御者が気付いた時には徒歩で戻れる距離じゃなく、引き止めきれず申し訳なかったと謝罪をしていたよ。偶然、彼が一緒に狩りへ行くと話していた男が別件でやってきて、それですぐに気付けたんだ。もし気づくのが遅れていたらと思うと……!!」
「……、兄さん」
「本当に何もなくって幸いだよエリー! ああけれど御免よ、君には二度とあの男を近寄らせないと言ったのにその約束を守る事が出来なかった! なんということだろう! ごめん、ごめんよエリー、不甲斐ない兄を許しておくれ!」
「あの、アンディ兄さん、だから」
「いや、許してくれなんて言えることじゃない! 罵ってくれ、エリー! 君に嫌な思いをさせるだなんて、こんな愚かな兄は、」
「~~っアンディ兄さん!! いい加減に苦しい!」
「ッ!? あああああ、済まないエリー!」
ヒートアップするのは構わないが、それにつれて段々と腕に力を入れるのは止めて頂きたい。
私の抗議に慌ててアンディ兄さんが離れた。開放され、大きく溜息を吐く。
私たちの遣り取りを、テレジアはぽかんと大きく口を開け、ルカさんは眉間に皺を寄せて不機嫌そうに見ていた。
「エリー、そちらの方は?」
今頃気付いたのか、アンディ兄さんがルカさんを見てから問いかける。この人、私しか目に入ってなかったのか。
「こちらはルカさん。あちらの彼女がテレジア。二人とも私の親しい人です」
私の紹介に会釈する二人を、特にルカさんをじっと見つめた後にアンディ兄さんは私へ振り返り。
「エリー……兄さん、兄さんより年上に『お義兄さん』て呼ばれるのは複雑な気分なんだが」
わりと世迷い事に分類される言葉を告げた。
「大丈夫です。呼びませんから」
「あれ、そういう相手じゃな……ハッ、まさか!? エリーの兄役は渡さんからな!!」
「違います。アンディ兄さん、妄言はいいので落ち着いて話しませんか?」
テレジアも、と手招きし、席へと座らせる。今の私はきっと、随分と疲れた顔をしているのだろう。彼女は同情するような笑みを浮かべて、ルカさんの隣へと腰掛けた。
「話をする前に二人へ紹介します。こちらはアンディさん」
私の隣へ腰掛けた彼は、にこりと笑い綺麗な角度で会釈する。
「私はこの人の妹だそうです、よ」
金髪碧眼の美々しい男は、その実ただのシスコンである。




