マット
まただ。
耳ざわりな歌声。
わざわざ俺の家の玄関の前での大合唱。
ききとりたくはないけど、歌詞はざっとこんな感じ――
リグス君ちのマット君
マットレスよりも役立たず
今日もお家でベソかいて
学校イヤだとだだこねる♪
ほっとけないのか、こいつら。
俺はカーテンをほんのちょっとだけ開けて、道の上を見下ろした。同じクラスのバカどもが、バカ丸出しではしゃいでいる。朝、雨が降っていたせいか、もれなく全員傘を持っていて、振り回したりちゃんばらごっこに興じている。かと思ったら、その中の一人が傘を指揮棒に、飽きもせず同じ歌を歌い出した――二番もあんのか。
リグスさんちのマットちゃん
とうとう今日も登校拒否
いつになったら現れるやら
顔がぜんぜん思い出せん♪
そりゃそうだろうよ。だって一日しか会ってないんだから。たった一日でこんな嫌がらせしてくる程仲良しになれるとは思わなかったけど。
あいつらはただのバカだ。一度しか会っていない俺のことをイメージだけでバカにして、帰り道に俺の家があることに気が付き、ノリで歌っているに過ぎない。俺がその歌を聞いていようがいまいが、みんなで歌えば怖くない。そういう奴らほど、一人になったらしまりのないただのクズなんだけど。
俺は窓から離れ、机に向かって青白く光るパソコンを眺めた。パソコンには、刻々と変わりゆくグラフ、数字、赤と青。ぱっと見ワケの分からない数式に、俺はクリックで大金を注ぎ込む。
これはゲームじゃない。ビジネスだ。少なくとも俺は、あいつらよりもはるかに生産的なことをしている。学校なんかに行っていたら、大事なビジネスチャンスを逃してしまうかもしれない。
うるさい歌声が消えてしばらくした頃、ドアをノックする音がした。俺はパソコンから目を離さず「どうぞ」と答えた。
「マット……話があるの」
母さんだ。俺はヘッドホンを首にかけ、椅子に座ったままくるっと振り返った。
「何?」
俺の声には、こういう意味合いが含まれていた――それは俺の大事な時間を中断させるほど、大事な用件なんデスカ?
「シェリルが――シェリルが、死んだの……」
「ああ、そう」
俺は椅子を戻した。母さんが、悲痛な声を上げる。
「何なのよ、それだけ?」
俺は逆にびっくりして、首だけ振り向いた。
「それだけって――猫だろ?」
「この家の家族じゃない!」
「ペットだよ、母さん」
母さんはわなわなと震えていた。俺はヘッドホンをつけると、もう一度画面に目を戻した。背中で、部屋のドアがバタンと閉まった。
……シェリルが、死んだ……。
物心ついた頃からいた、我が家の白猫。母さんは特にかわいがっていた。いや、家族みんな、シェリルのことが大好きだった……。
ヘッドホンを外し、マウスを動かして、パソコンのスイッチを押した。パソコンは音を立てながら、やがて電源を落とした。
俺は立ち上がって伸びをすると、窓へ歩いていってカーテンをさっと開けた。久しぶりに、本物の夕焼け空を見た。階下で、母さんのすすり泣きが聞こえる。窓ガラスに映る自分の姿に突然気づいて、慌てて涙をぬぐった。
明日は、久しぶりに学校へ行ってみようか。それで、あの歌の連中と一緒になって、歌ってやるんだ。もう歌詞は覚えてるから。