ある転生主人公とその友人の話
広い食堂の真ん中で、一際華やかな集団が周囲の視線を集めていた。
生徒会やら風紀委員やらの綺麗どころが集うその中心にいるのは、楽しげに笑う一人の少女である。
花よ蝶よと誉めそやされている彼女も、それを取り巻く面々も、周りの射殺さんばかりの視線など気にも止めていない。
彼女達にとって、自分達以外の人間は背景にしか過ぎないのだろう。
だが、その内の一人である生徒会会計の少年が、不意にこちらを振り返った。
そうして、目の前の少女に伸ばしかけていた手を止め、僅かに目をみはる。
彼の視線の先に居たのは、私の隣で小さく息を飲んだ友人であった。
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どうやら、この世界はゲームの中であるらしい。
私がそれを知ったのは、ついこの間のことである。
別に、急に前世の記憶が蘇ったとか、不思議な力に目覚めたとか、そんなことではない。
ある人物を経由して、私はそれを知ることになったのだ。
その人物と言うのが、先程の友人、美月である。
彼女は元々不思議な雰囲気を持つ子だった。
それが、ある日突然、身に纏う空気が変わったのだ。
何が、どんな風にと口にするのは難しいが、とにかく、何かを悟ったような目をするようになったのだ。
事の始まりは、今から一月ほど前のこと、私が通う学園に一人の転校生がやってきた時だった。
後に『姫』と呼ばれるようになる転校生の少女は、それはそれは美しい顔立ちだった。
言動も、空気も、どこか浮世離れしていると言うことだが、深く関わったことのない私には分からない。
ただ不可解なことに、隣のクラスに入った彼女は、あっという間に一部の人間を虜にした。
それが、女子達から密かに王子と呼ばれる某イケメン達である。
彼らには、一丁前にファンクラブ等というものも存在するらしいから、彼女はより取り見取りだったはずだ。
今までファンクラブのの女子に、目もくれなかった仕事人間まで、彼女に熱を上げる始末である。
最近は何処に行っても姫の脇を固める姿を見るが、ちゃんと業務をこなしているのかと小一時間問い詰めたいところだ。
己に夢中になっているイケメン共を侍らせ、自分達の世界をつくりあげる少女は、まさしく御伽噺のお姫様であった。
そんなきらきらしい一団を私が初めて目にしたのも、まさにこの食堂だった。
彼らの様子を、「これぞまさに逆ハーレム!」と感心して眺めていた私だったが、同意を得ようと隣の友人を振り返って絶句した。
普段、柔らかい表情を浮かべることの多い彼女が、絶望とも、苦悶ともつかない表情で彼らを見つめていたからだ。
「美月ちゃん?」
私の声に気付いていないのか、彼女は目を見開いたまま、突然身を翻して食堂を出て行く。
限界を迎えていた私の腹が悲しげに悲鳴を上げたが、あんな風に取り乱した友人を放って食事の席に着くわけにはいかない。
私は涙を呑んで食堂を出ると、彼女の後を追った。
意外と足の速い友人は、私が廊下に出る頃には影形すら見えなくなっていた。
散々校内を探し回った末、屋上で彼女の後姿を見つけた私は、ほっと息を吐く。
声をかけようと伸ばした腕は、しかし、彼女に届くことはなかった。
なぜなら、友人は唐突に空に向かって悲痛な声を上げたからだ。
思わず扉の影に隠れた私は、そのまま彼女の言葉を聴いていた。
誰も居ないはずの屋上であったが、友人はまるでそこに居る誰かと会話をしているかのような話し方をしていた。
いわく、彼女は転生しこの世界に生まれたのだと言う。
そして、前世でこの世界と全く同じゲームをプレイしたことがあり、そこでは『姫』は登場せず別の人間が主人公であったということだった。
彼女が話している姿の見えない何かの声は私には聞こえなかったが、友人の話しぶりを聞くに、この世界の神の様な存在らしい。
友人が返す言葉だけで推測するしかないのだが、姫は所謂バグとか、ウイルスのようなモノなのだそうだ。
どこかから入り込んだそれは、少しずつこの世界を侵食し、壊してしまう恐れがある。
そのため、どうにかしてこの世界から追い出さなければいけないらしい。
それらを話し終えた友人は、はっとしたように俯いていた顔を上げる。
どうやら、神様とやらが、友人に何事かを頼んだようだった。
「そんな……、無理です! 彼女に勝って、この世界を元に戻すなんて……、私にできっこない!」
焦ったような友人の声を聞きながら、私は内心で頭を抱えた。
これは、とんでもないことを聞いてしまったようだぞ、と。
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「とまぁ、驚愕の事実を君に伝えてみたんだけどさぁ。ねぇ、聞いてる? 香坂くん」
バンッと机に両手を突き、私は目の前の少年に詰め寄った。
彼の名前は香坂充、私の意中の人である。
図書委員の彼が、カウンターの内側で本を読む横顔に心を打ちぬかれた。
滅多に本など読まなかった私が図書室に通うのは、もっぱら彼の姿を拝むためである。
クラスの女子達が言うには、顔は並と言うことだ。
結構鼻筋も通ってて綺麗な顔だと思うのだが、この学園の女子はイケメンに煩い。
私の好みどストライクな彼であるが、けちをつけるとするならば、少し表情に乏しいところだろうか。
猛烈にアタックし、全てを素気無く返される私は、ちょっと泣いても良いと思う。
今回の話だって、世界の根底を覆す話であったはずだ。
信じないにしろ、せめて「疲れているみたいだから、家に帰って早く寝ろ」くらい言って欲しかった。
彼は読んでいた本からちらりと視線をこちらに向けたが、すぐにその目は手元へと落とされる。
「え、ちょっと。無視されると地味にへこむんだけれども」
「椚田、図書室での私語は慎め」
正論を述べられた私は、口を引き結びがっくりと項垂れる。
片頬をペトリと机につけて、不満げに唇を尖らせた。
「いや、実に香坂くんらしいけどさ。もっとこう、ビックリした的なリアクションを期待してたんだよ」
「ならば、お前は俺が驚いてみせれば満足なのか?」
顔を上げぬまま、香坂くんは私に問いかけてくる。
真剣にその場面を想像した私だったが、顔を引き攣らせて彼に謝ることになった。
だって、真顔で「ちょービックリした」とのたまう香坂くんしか想像できなかったのだ。
そんなの、あまりにも恐ろしすぎる。
「ごめん、やっぱなし。君はそのままが一番だと思う」
「そうか」
特に感慨もなく答え、彼は読書を続ける。
窓の外では、野球部が声を張り上げながら、放課後の練習に勤しんでいた。
今この時にも、姫によって世界が壊されているなど、とても想像できないほど長閑だ。
しんと静まり返った空間に、私達の息遣いと、本を捲る音が響く。
この、穏やかな時間が、私はとても好きなのだ。
「ねぇ、香坂くん」
答えはない。
が、彼が私の言葉を聞いてくれていることは知っているから、そのまま話を続ける。
「私はこの世界が大好きで、愛おしいから。壊れて欲しくないと思うんだ」
たとえ、この世界がゲームの中であろうとも、私にとっては他でもない現実なのだ。
私はこの世界の住人であり、この世界で生きている。
不可思議な存在にかき乱されるのは、正直面白いものではない。
何の特別も持たない私は、物語で言えば脇役以外の何者でもないのだろうが、主人公のサポートくらいはできるはずだ。
その主人公が、大事な友人であるのなら尚更のこと。
「あ、でも、安心して。別に香坂くんを巻き込んだりは……、痛っ!」
慌てて顔を上げた私だったが、脳天に衝撃が走り、再び机に沈むことになった。
涙目で正面に視線を向けると、香坂くんがハードカバーの本の背表紙をこちらに向けていた。
私は痛みを訴える頭頂部を撫でながら、今度の委員会で『本の角で人を殴ってはいけません』という注意事項を追加するように進言することを心に決めた。
「椚田」
名を呼ばれ、私は香坂くんに意識を戻す。
彼はほんの少し眉間に皺を寄せ、どことなく不機嫌な様子だ。
はて、珍しいこともあるものだと思いながら、私は彼の言葉を待った。
「お前はいつも、深く考えずに行動する癖に、どうしようもなくなった時、誰かに助けを求めるのはとことん下手だ」
「下手って……。まぁ、否定はしないけどさ」
私の小言は聞き流し、彼は僅かに視線を和らげて窓の外を眺める。
あいも変わらず、野球部はバットを振るい、校庭を駈けずり回っていた。
元気だなぁ、などと年寄り臭いことを考えながら何気なく正面の少年に目を向けた私は、思わず硬直する。
彼が、とても真剣な表情で、こちらをじっと見つめていたからだ。
「俺にとっても、この世界は大切で、変えがたいものだ。だから、一人で抱え込もうとするな」
私は目を見開き、ガバリと机から身を起こした。
震えだす体を押さえきれず、硬く拳を握り締める。
何処となく顔が紅潮しているのを感じるが、それを気にかける余裕もない。
(あぁ、もう! 本当に、香坂くんは!)
興奮で震える声で、私は心のままに叫び声を上げた。
「君、格好良すぎるだろう!」
幸いなことに、自分達しか利用していなかった図書室に、私の感極まった声が響き渡った。
その後、どうなったかって?
もちろん「椚田、図書室では静かにしろ」と、香坂くんに厳重注意を受けることになったとも。
ちょっと長編の息抜きに書いてしまいました。
今回の欠片は、真面目に乙女ゲーム転生主人公の友人を考えた結果です。
しかし、どうしてこうなったんだろうか……。