居眠り坊やとお隣さん
「清水くんはさ、眠くない時ってあるの」
一時間目前。私の大層つまらない質問に、隣の席の清水くんは大層つまらなさそうに欠伸をした。
「あるよ」
「え、いつ」
「俺が眠くない時」
はあ、そうですか。私が呆れたところで始業のチャイムが鳴った。先生が教室に入ってきて、いつものように小話が始まる。幼稚園に入ったばかりの息子さんの我儘に振り回される、先生の子育て奮闘記。それそれなりに面白く、笑いがおこる教室。
清水くんだけがスヤスヤ居眠り。
まあ、いつものことですよ。誰もお気になさらないような、当たり前の光景なのです。
私だけ、頬杖つきつつ彼を見る。
大体いつも眠そうで、そうじゃない時は完全に寝ている。彼はそういう人だった。
私と彼の出会いは、なんて、語るほどのものではないんだけど。高校に入学したら席が隣だったっていうね、そう、それだけの話。彼は入学式の日から居眠り坊やで、最初の二週間くらいは先生にいろいろ言われていた。逆に言うと、二週間で先生が諦めたほど居眠り坊やだったわけですよ。
私が彼と初めて話したのは、入学式の翌日。シャーペンが落ちていたので拾ってあげたら、彼が見事に寝ていたわけ。だからと言って、思わず「おい」って言って彼の制服にシャーペンを突き刺した私もどうかと思うけど、「奇襲か、ならば仕方ない」とか声を張り上げながら起立した彼も彼でしょ。お前は兵士か。寝ぼけていたとは言っても、あれはひどい。ひどいというか、痛い。あの時の凍りついた教室の空気、忘れられないわ。あれ、ていうか、これって会話って言うのかね。
うん、まあ、そういうわけで、そんな始まりだったからか、私たちの関係には名前を付けづらい。友だちというわけではないし、しいて言うなら「お隣さん」。互いに席に座ったまま、なんとなくで話が始まり、なんとなくで話が終わる。たいしたことを話さない。それなのに話す。みたいな。
そんな感じがいい感じ。私は嫌いじゃない。なに、好きじゃないよ。
「清水くんはさ、どんな夢を見るの」
二時間目前。五月末の澄んだ晴れ陽気に、もう寝ることしか考えられないような清水くんに私は尋ねた。
「ふわっとしたやつ」
「よく分かんない」
「俺も」
あまりにもお話にならない。それでも、いつもより話しがいのある話だと思ったのか、わりと思考を巡らしてくれているようだった。じゃあ、枝毛を探して待とう。
そんで、しばらくして。
「楽しいよ」
私が自分のセミロングの髪から枝毛を三本も探し出してしまった頃に、清水くんはそんなことを言った。
「楽しいの?」
「うん」
清水くんはいつものつまらなさそうな、いや眠そうな顔で頷いた。本当に楽しいのか、こいつ。
「なんで」
「好きなものばっかり出てくる」
「へー、例えば」
「熱帯魚」
「一緒に泳ぐの?」
「違う。なんか、俺が熱帯魚になってるんだよね」
不思議くんか、そうか、不思議くんなんだな、良く分かった。私は返答に困ったので、適当に相槌を打った。
「良かったね」
「うん」
頷いて、欠伸を一つ。始業のベルが鳴る。彼は机に突っ伏して、日課の睡眠学習を始めた。
うん、頼まれてもこいつには絶対にノートを見せない。
ここらへんで、彼の見た目の特徴を少し。
そんなに長いわけじゃないのに、なんかぼさっとした髪。制服である学ランは、ちゃんと着ている方。身長は高め。でも、一八〇センチはない。顔は、なんというか、年を重ねると二枚目になってくるようなイメージ。若い時は輪郭がスッとしすぎて微妙だったのに、年齢的な厚みが加わるといい感じになる俳優とかっているじゃない。伝わんないかな、このマニアックな意見。まあ、言いたいから言っただけ。
後は、少し垂れた目と長いまつげが、いかにも寝るのが職業みたいな雰囲気を引き立てていて、彼には良く似合う。似合うって言うのは変かな。でも、そんな感じ。
総評するなら、「残念なイケメン」。
はい、残念。ざまあ。なんてね。
「清水くんはさ、なんでいつもそんなに眠いの」
三時間目前。これこそ核心と言えるんじゃないかっていう今回の質問に、彼は「うーん」と言うだけ言って、全然悩まずにこう答えた。
「分かってたら、なんとかするし」
まあ、そうでしょうね。私は質問を変える。
「じゃあ、いつからそんなに眠いの」
「ちっちゃなころから」
「悪がきでー」
「なんで歌った」
「え、歌わせる気でその言い回しを使ったんでしょ」
「いや、俺、その歌知らない」
「なんだと。踊らされた」
一人で唸る私を見て、彼が珍しく笑った。垂れた目を緩く細めると、すごく柔和。おお、と思ったら、もうただの眠そうな目に戻っていた。
「残念」
「何が」
「いや、なんでもない」
残念なイケメンなんて、思っても口に出せないなあ。そんな冗談を言ってごまかした。都合良い感じで始業ベル。少し不満そうだった彼も、授業が始まれば居眠り。実に図太い。
一方、私は物思いにふける。本当は、ちょっとひっかかってるんだ、さっきの会話。
ちっちゃなころから居眠り坊や。それなら、もしかして彼にとっては、寝ている時間も起きている時間みたいなもんじゃないのかな。むしろ、夢の中の方が楽しいんじゃなかろうか。
お、なんか詩人っぽい。
でも、だって、そうでしょ。熱帯魚になれるんだって。私には良く分かんないけど、そうとう楽しいんじゃないの、例に挙げるくらいだし。
彼にとっては、学校に行って勉強したりする毎日の方が、夢みたいに、なくてもさして困らないようなものなのかもしれない。
別にいいですけどね。友だちだって、とりわけ仲良い人はいないみたいだし。この、ボッチが。
別に、いいんだよ、別に。
そうして、授業終わりのベルが鳴る。
な、どういうことなの。私も全然ノートをとってない。
「清水くんはさ、起きてる時と寝てる時、どっちが好き?」
まあ、しっかり気にしていた私は、すぐに彼に聞いてみた。彼は珍しく、露骨に困った顔をする。私は、なんだか枝毛を探しながら待つ余裕もなくて、ただじっとしながら彼の眉間のしわを見ていた。
「難しい」
「どうして」
「迷う」
何を迷う必要があるんだろうか。目の前に、起きてる時にしか会えない人がいるのにさ。悔しいけれど、ちょっとむかついた。
そりゃ、好きなものだらけの世界には敵いませんでしょうけど。
「私だってケーキだらけの夢だったら、その方がいいよ」
「だろうね」
「でも、やだ」
「なに、どっち」
「知らん」
すねた。会話を強制終了。私は露骨にそっぽを向く。そうしたら、清水くんは珍しく焦ったのか、それとも困ったのか、授業に起きたまま参加していた。してやったりと思ったよ。だけど、途中にちらっと横目で見たら、いつの間にかしっかり居眠りしてやがんの。
ああ、死ねばいいのに。
なに、好きじゃないよ。
そんなの私も知らないよ。
ただ、寂しいじゃん。良く分かんないけれど、カウントされてない気分になったんだ。
入学式の翌日、教室を変な空気にしちゃった後の休み時間、互いに「なんかゴメン」とか言い合った時から、波長が合った気がして、気になって、観察してるのは私ばっかりでさ。
清水くんはいつも寝ててさ。
なんとなく話しかけるのだって、私からだしさ。
ぶっちゃけると、「なんとなく」って難しいんだよ。「お隣さん」じゃなくなったらどうすればいいんだ。
明日から六月に入る。席替えの噂を聞いたんだ。だから、今日は目一杯の会話を心がけてるわけなんだけど、相手は何にも感づかない。清水くんと違って私にはちゃんと女友達もいるわけで、今、女子としてどんな冒険に出てるのか分かって欲しいものだよ、本当に。
ああ、まったく。
ケーキは好きですよ。女の子だからね。
でも、ケーキばっかりの夢より現実がいい。
誰かさんと話せるからね。
なに、好きじゃないよ。
ノートに一文字も書けないまま四時間目が終わって、昼休みに入る。清水くんが購買に消えている間に、いじけ中の私は女子の輪へ戻りお弁当を食べた。
「優衣、今日は清水くんと随分しゃべってたじゃん」
「いつも思ってたけどさ、なに話すわけ?」
「あ、気になる気になる」
「趣味とか合うの? てか、二人って付き合ってるの?」
私は友人たちの質問攻めにどう答えようか迷ったけれど、すぐに面倒くさくなって大幅に会話を省略した。
「あれだよ、あれ、熱帯魚の話とかしてた」
なんかどん引きされた。ちくしょう。
授業開始ギリギリまでくだらない女子トークをして、清水くんとの会話を避けてみた。避けてみた、けど、気になる。五時間目。どうせ寝てるから見たって問題ないでしょと、変態みたいなことを思いながら隣を見た。
そしたら、目が、あった。
焦った。なんか顔が炎上した。
これは、あれか、目をそらした方が負けなのか。混乱の先にたどり着いたそんな思考で、私は清水くんを睨みつけた。
一方、清水くんはというと、いつも通りの眠そうな目を不思議そうにパチパチとまばたかせた後、何を思ったか私に微笑んだ。その、妙に満足そうな笑顔に私はどうしたらいいのか分からなくなり。
とりあえず、負けておいた。
その後は、清水くんの方を向く勇気もなく、またもやノートが真っ白のまま授業が終了してしまった。
ああ、こんなノート、もはや頼まれても貸せない域だ。
そして。
今日は月曜日。一週間のうち、唯一、五時間授業しかない日。速やかに帰りのホームルームや掃除が終わると、後は放課後だけが残された。
「高野さん」
清水くんに呼ばれてドキッとした。初めて名前を呼ばれた気がする。とか、喜んでる場合じゃないか、今は。掃除中は話しかけられないようにせっせと掃除をしていたが、もう逃げられない。
「なんでしょう」
私は自分の席につき、がっつり話し合う姿勢を見せた。開き直った犯人みたいになっている気がするが、まあ仕方あるまい。うむ。
「いや、別に、なにってわけじゃないんだけど」
そう言いながらも、清水くんも自分の席についた。その時点で、クラスに残っていた数人の生徒が謎の気を利かせて教室を去って行った。ちょ、二人きり。変に緊張する。
「帰りのホームルーム。明日の朝、席替えするって」
「言ってたね」
「うん。あのさ」
清水くんは、そこで言葉を切って、机にいつものように突っ伏した。
「ね、寝るの?」
「いや、違うんだけどさ」
そう言いながらも目を閉じる清水くん。待て待て、馬鹿なのか居眠り坊や。何する気よ。
「俺、やっぱり寝るのが好きなわけ」
「まあ、それは存じ上げておりますが」
「目を瞑るだけでも、けっこう至福」
「気持ちはお察ししますが」
「夢見もいいし」
「羨ましい限りで」
「だから、寝てる時か起きてる時か、どっちが好きかって言われたら、絶対に寝てる時なんだよね」
そこで彼は目を開け、いちいちコメントに困っていた私を見上げるようにして眺めた。
「前までは」
とりあえず彼が今寝るわけではないことに安堵しながらも、私は眉をひそめた。
「前までは、って」
「今はね、なんか、迷う」
彼は突っ伏すのをやめて、椅子に座ったまま背伸びした。そして、大きく息をついてから少し笑って話を続ける。珍しいことに、わりと眠そうじゃない瞳。まっすぐに私を見た。
「夢よりも現実が良かったりする時もある、気がする。誰かさんと話せるからね」
その言葉に、私は舞い上がりそうだった。実際、ちょっと浮かんだ気もしたくらいだ。
だって、だってさ、それって、私が考えてたことと同じってことでしょ。人の口から聞くと、恥ずかしすぎてヤバいけれど。
喜びで何か言おうとした私を、だけど清水くんは「でも」の一言で遮った。
「夢もね、なかなか捨てたものじゃなくてさ」
「なにそれ」
「だから迷うんだよ」
私の不安に反して清水くんは穏やかな笑顔をしていて、もう、なにがなんだか。長いまつ毛がまばたきで揺れるたびに、なんだか彼の目がいつもより輝いていく気もして、いろいろと爆発しそう。
「もう、本当に勘弁。本題を言って」
私がホールドアップすると、彼は今までで一番明るく、楽しそうに笑った。その、なんとも素敵に見える笑顔のまま、吐いた言葉はまさしく凶器。
「夢に高野さんが出てきて、凄く楽しかったから、やっぱり夢もいいなっていう話」
うん。
おっけー、爆発しました。
とか、冗談言ってる場合じゃなくて。
私は真っ赤になってどうしようもないまま。
とりあえず深呼吸してみる。呼吸ってこんなに難しかったっけ。なにこれ。でも、酸素は今、人生で一番おいしい気がして仕方がない。
「それって、ね、あのさ」
確かめたくて、でも、言葉にするのが恥ずかしい。
つまりさ、何が言いたいのかって言うと、清水くんの夢には好きなものがいっぱい出てくるわけでしょ。なら、その夢に、私が出てきたって言うことはさ、ね、ほら、あれだよ。
そんな葛藤の結果、出てきたのは、「し、清水くんは眠くないと、いけてる饒舌でずるい」という棄て台詞。それを聞いて、清水くんは、また机に突っ伏した。眠いんじゃなくて、どうやら笑いをこらえているらしい。
おい。乙女の心境を察しろや。私は清水くんに鉄拳を一発見舞わせてから、ようやくちょっとだけ笑えた。
ふう、これこそいつもの私。
しっかし、ほんとに、もう、なんなんだ、この居眠り坊やは。いろいろと困ったものだ。
なに。なに、好きじゃないよ。
たぶん。
「あー、今日で清水くんのお隣さんも終わりか」
「寂しくなるね」
そんな殺し文句の対処として、私は思いつく限り一番くさい台詞をチョイスした。
「夢でも会えるんだから、そのくらいどうってことないでしょうに」
「清水くんはさ、運命ってあると思う?」
そして、翌朝。新しい席になった私は、新しいお隣さんに声をかけた。
うむ、なんて代わり映えのしない寝ぼけ顔。
「よく分かんないけど」
昨日の放課後とは打って変わって、すっかり居眠り坊やモードになっている清水くんは、口を開いては欠伸を一つ。いまにも夢の世界に行きそうな勢い。
それでも、口の端でちょいと私に微笑んでくれた。
「わりと運のある二人かもね、お隣さん」
おわり(2010年11月23日)
2010.11.23 執筆
2011.05.28 投稿
2011.05.29 行間編集