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異世界恋愛短編

“社畜”と呼ばれた私たちですが、逃げたら爵位が与えられましたわ

作者: 喜田 花恋
掲載日:2026/04/24

本作での「魔力回路」は、魔力で作動する電子回路のようなものです。

 魔道具の輸出大国ギーアガーナ。

 この国の経済は、高品質な魔道具の輸出によって支えられていた。


 魔道具は、魔道士が魔力を込めた回路によって作動する。


 中でも、半永久的に稼働する魔力回路を生み出せるのは、王宮の魔道士長ガーデルただ1人だけ。


 ──表向きには。


 実際には、その魔力回路は、王宮地下工房で、2人の魔道士の命を削って作られていた。



「まだ回路への魔力の注入が終わっていないのか!?」


 怒号が、地下工房に響く。


 エルフェルは魔力回路を両手で包み、魔力を流し込む。


 彼女の瞳は虚ろだった。指先は震えている。


(……何日もベッドで寝ていない……。3日? 5日? あるいは、もっと……)


 魔力を絞り出しすぎて、視界の端が白く霞んでいた。


 けれども──


「止まるな、エルフェル! 小型遠隔通信装置用の魔力回路200個! 今夜中に全部仕上げろ!」


(今夜中に……? そ、そんな……)


 隣では、もう1人の魔道士──ヴァレンが、床に膝をついていた。


「……っ」


 彼らの姿を見て、ガーデルが愉快そうに言う。


「お前らみたいなのを──“社畜”というらしい」


 エルフェルが、ゆっくり顔を上げる。


「……しゃ、ちく……?」


「異世界からの転移者が言っていた。仕事のために死ぬまで働く生き物だそうだ」


 ガーデルは鼻で笑う。


 エルフェルの胸に、その言葉が妙に刺さる。


(……社畜。仕事のために死ぬ生き物。私たちのこと……)


「ぼさっとするな! さっさと、魔力を注げ!」


 エルフェルは、回路に魔力を流そうとする。だが指は動かず、魔力が流れない。もう、限界だった。


 隣でヴァレンも、焦点の合わない目で魔力回路を見つめている。彼はゆらゆら揺れていた。


 ドサッ。


 ついに、ヴァレンが倒れこむ。


 バキッ。


 最悪なことに彼の身体の下には魔力回路──その基盤に、大きなひびが入ってしまった。


「まさか、壊したのか……?」


 ガーデルの低い声。


「貴様ぁぁぁあ!!」


 怒声と同時に、杖が振り下ろされた。


 バン!!


 魔力の衝撃で、ヴァレンの顔面が床に叩きつけられる。


「ぐっ……!」


「高級な魔力回路1個で、平民が5年暮らせるんだぞ!! 貴様ごときが壊していいものではない!!」


「も……申し訳、ありません……」


 ヴァレンは、這いつくばったまま謝る。


 鼻血が床に滴り落ちる。

 その赤だけが、やけに鮮明だった。


 ガーデルがヴァレンの髪を掴んで引きずる。


「損害分は働いて返してもらうぞ! 魔力が尽きるまでな!!」


 その瞬間、エルフェルは立ち上がっていた。ゆらりと亡霊のように体が動き、ガーデルの前まで歩く。


「……なんだ?」


 何も答えず、彼女は床に倒れているヴァレンの手を取った。


「……え?」


 ヴァレンは、手を引かれ勢いよく立ち上がった。


「エル……フェル……?」


 何も言わず、彼の手を引き歩き出す。


「おい、何をしている!!」


 ガーデルが怒鳴るも振り返らない。

 いや、エルフェルには振り返るという発想すらなかった。


 地下工房の奥、製品搬出用の転移門へ向かう。


「止まれ!!」


 背後での怒号は、エルフェルには届かない。

 彼女は転移門の制御盤に手を置いた。


「起動」


 青い魔法陣が広がり、転移門が唸りを上げる。


「待てぇぇ!!」


 ガーデルが杖を振り上げる。


 だが遅い。


 エルフェルはヴァレンを抱き寄せ──

 そのまま、転移門に飛び込んだ。


 2人の姿が消える。


 ガーデルの顔が、怒りで歪んだ。


 後を追って飛び込むが、全く反応しない。転移門の魔力が足りなかったのだ。


「くっ……! まあ良い……。代わりなどいくらでもいる!!」



 意識が、ゆっくりと鮮明になる。まぶたに月明かりを感じ、エルフェルは静かに目を開けた。


 木の天井。

 見知らぬ部屋。

 柔らかなベッド。


「ここは……」


 体を動かそうとして、右手に温もりを感じる。


「……え?」


 視線を向ける。


 そこには、ヴァレンの手。彼はベッドの脇に座り、上体を前に倒したまま眠っていた。


 静かな寝息。整った顔立ちが、今はどこか幼く見える。あの地下工房で見た、限界寸前の表情とは違う。


 彼の手は、エルフェルの手をしっかりと握っていた。


(あ……)


 心臓が、どくん、と鳴る。なぜか、視線を逸らせない。


 手のひらに伝わる、かすかな体温。規則正しい呼吸。


 ヴァレンは、看病しながら眠ってしまっていた。自分を救ってくれたエルフェルの手を大切に握りながら。


(……離したほうが、いいよね……)


 そう思うのに、指が動かない。むしろ、ほんの少しだけ握り返していた。


「……んっ」


 慌てて、力を抜く。

 顔が、少し熱い。


(なんだろう……この気持ち……)


 自分でも理解できない感覚。


 眠っているヴァレン。その無防備な姿を見て、エルフェルは微笑む。


 そして、再び瞳を閉じる。

 握った手を離さずに。


(もう少し、もう少しだけ……このまま……)


 ヴァレンの手の温もりが、あの地獄から抜け出した安心感をエルフェルに与えていた。



「……起きましたか」


 優しく、落ち着いた声。


 エルフェルは、ゆっくりと身体を起こす。


 視線を向けると、そこにヴァレンがいた。

 椅子に座り、腕を組んでいる。


「あ……」


「おはようございます、エルフェル」


「……おはよう……ございます……」


 ぎこちない挨拶。

 しばらく沈黙が流れる。


 やがて、ヴァレンが口を開いた。


「覚えていますか?」


「……え?」


 エルフェルは一瞬、息を呑んだ。

 昨夜、手を握っていたことを尋ねられたと思ったからだ。


「あなたは転移門を強制起動して……私を連れて逃げたんですよ」


 その話ではないと知り、エルフェルは胸を撫で下ろす。


(あれ? なんで、ほっとしているの……私?)


「ええ……なんとなく……」


 途切れていた記憶が、少しずつ繋がっていく。


 十分に眠り、ようやく思考が回るようになった2人は、現状を整理し、互いのことを語り合った。


 ここはヴァレンの屋敷。

 彼は侯爵家の次男で、エルフェルは伯爵家の三女。


 2人とも10歳の頃に魔法の才能に目覚め、その後、ガーデルにスカウトされた。


 それから約5年、地下工房で働かされ続けた。身も心も、限界まで削られながら。


「これから、どうしますか?」


 ヴァレンが静かに問う。


「うーん……そうですね……」


 エルフェルが言葉に詰まると、ヴァレンが続けた。


「……湖に行きませんか?」


「湖?」


「ええ。私たちはずっと地下にいましたから、太陽の下で過ごしたいんです」


「でも、王宮からの追っ手が……」


「大丈夫です。ここは王宮から離れた侯爵領。簡単には踏み込めません。それに──」


 わずかに間を置く。


「父には事情を伝えてあります」


「事情を……」


「はい。怒り心頭でした……。ですから、私たちを匿ってくれます。あなたのお父上にも手紙を出してありますので、心配には及びません」


「そうですか……ありがとうございます……」


「いえ」


 ヴァレンは一瞬だけ視線を落とし、すぐに顔を上げる。


「礼を言うのは、私の方です。あなたがいなければ、私はここに戻れませんでした」


 穏やかな笑み。


「さあ、行きましょう。久しぶりのピクニックです」


「はい!」



 湖面は鏡のように澄み、空と雲をそのまま映している。風が吹くたび、きらきらと光が揺れた。


「……きれい」


 エルフェルは思わず呟く。


 地下工房では見ることのなかった光景。胸の奥が、じんわり温かくなる。


「ええ。私も、久しぶりに来ました」


 ヴァレンが隣で微笑む。


 2人は木陰に腰を下ろした。持ってきた簡単な食事を広げる。


 トマトとレタスが挟まったパンを一口かじる。それだけなのに、驚くほど美味しく感じた。


「外で食べるだけで、こんなに違うんですね」


「同感です」


 しばらく、穏やかな時間が流れる。


 やがて、エルフェルがふと立ち上がった。


「少し、歩いてきます」


 湖畔へ向かい、水面を覗き込む。

 そこに映る自分の顔は、以前より少しだけ柔らかかった。


(……ちゃんと、生きてる)


 そのとき──


「きゃっ……」


 バランスを崩しかけたと同時に手を引かれる。エルフェルの体を、ヴァレンの手が支えた。


 距離が近い。

 ふと視線が合う。


 その瞬間、胸がどくんと跳ねた。


「……すみません」


「い、いえ……ありがとうございます……」


 そっと手が離れる。

 だが、その温もりだけが、しばらく残っていた。


 エルフェルは、自分の胸に手を当てた。


(……まただ)


 理由は分からない。


 けれど──


(この時間が、ずっと続けばいいな……)


 彼女は、そう願っていた。



 王宮、謁見の間。


 重苦しい空気が満ちていた。


「──どういうことだ、ガーデル」


 国王が問いかける。その声には、明確な怒りが滲んでいた。


 床に跪くガーデルの額には、冷や汗が滲んでいる。


「は……はっ……それは、その……」


「貿易相手国より通達が来ている。品質低下により、取引を停止するとな」


 ギーアガーナの繁栄を支えてきた魔道具輸出。それが止まれば、国の経済は衰退する。


「説明しろ」


 逃げ場はない。


「い、一時的な不調でございます……! すぐに改善を──」


「虚偽を申すな」


 鋭く、言葉を断ち切られる。国王の視線が、氷のように冷たい。


 側近の一人が、一歩前に出る。


「王宮魔道士エルフェル、およびヴァレンの失踪以降、品質が急落しているとの報告がございます」


 ガーデルの顔が、引きつった。


「な、何を……!」


「加えて、両名が実質的に魔力回路製造の中核を担っていた、との証言も複数確認されております」


「でたらめだ! だ、誰がそんなことを!!」


 思わず叫ぶ。


「……ガーデル」


 国王の声は冷やか。


「すべて、お前の手柄として報告していたな?」


「そ、それは……!」


「答えよ」


 逃げられない。言葉が出ない。沈黙が、何よりの答えだった。


「……なるほど。才能ある者を使い潰し、その成果を奪い、挙句に逃げられたか」


 淡々とした国王の言葉。その一つ一つが刃のように突き刺さる。


「結果、この国の柱である交易が崩れかけている」


 玉座から見下ろし、告げる。


「──大罪だ」


「お、お待ちください!! 私はこの国に多大な貢献を──!」


「黙れ!」


 一言で封じられた。


「その功績は、お前のものではない! エルフェルとヴァレンのものだ」


 ガーデルの顔から、血の気が引く。


「魔道士長ガーデルを拘束せよ」


「な……っ!?」


 近衛兵に両脇を固められ、強引に立たされる。


「ま、待て……! 私は魔道士長だぞ!!」


 声が上ずる。もはや威厳はない。


「牢へ入れろ。追って処分を下す」


「やめろ……やめろぉぉぉ!!」


 叫びは虚しく、謁見の間に響いた。

 引きずられていくその姿を、誰も助けようとはしない。


 かつて栄華を誇った男は、地に堕ちたのだ。



 その後。


 王宮からの使者は、何度もヴァレンの屋敷を訪れた。


 復帰の要請。地位の保証。破格の待遇。


 しかし──


「お断りします」


 ヴァレンは、穏やかに告げる。エルフェルも隣で頷いた。


 やがて、国王自らの名で勅書が届く。


 そこにあったのは、復帰命令ではなく──謝罪と、叙爵だった。


 これまでの功績はすべて、エルフェルとヴァレンのものと認めること。そして、その対価として爵位を授ける、と。


「……今さら、ですね」


 エルフェルは苦笑する。


「ええ」


 ヴァレンも静かに応じた。

 だが、その表情に怒りはない。


 そして、2人は、新たな土地での暮らしを選ぶ。


 名誉のためでも、国のためでもなく


 ──自分のために生きる。


 それが、何よりも大切だと知ったから。


 穏やかな光の中、2人は並んで歩く。


 エルフェルは、そっと手を差し出した。

 ヴァレンが一瞬だけ驚き──やがて、静かにその手を取る。


 重なる指、伝わる温もり。


 あのときは、ただ必死に引き寄せた手だった。


 けれど今は違う。


 自分の意思で、繋がっていたいと願い、重ねる手。


 2人は顔を見合わせ、ふっと笑う。


 その手は、もう離れることはなかった。

真面目な人ほど、立ち向かおうとして無理をしてしまいます。身体や心が悲鳴をあげているなら、逃げるという選択肢も考えて欲しいと思っています。

それが、幸せな未来に繋がることもあるので。



最後までお読みいただきありがとうございます。

誤字・脱字、誤用などあれば、誤字報告いただけると幸いです。

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面白かったです。夢中で読みました。 ただ、途中の悪役征伐は、すこしあっさりしすぎかなあ……と。 逃げ延びて、主人公たちへの復讐をなお企む、といった展開にすると、 物語の幅が広がるのかなあと思いました。…
ガーデルの悪役ぶりが、ちょっとむしろ好きな感じです。作品を作る側になりますと、悪役って重要ですよね。 あそこまで嫌な感じのヤツ、むしろお見事だと思います。 ヴァレンとエルフェルも、エルフェルの方がヴァ…
与えられましただとやっぱり解決してないと思います「仕事を2人でボイコットしましたが爵位を与えると言われたけと、自由に生きます」みたいなやつがいいかもです なろうって「ざまぁ」が昔からあって今はもう定…
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