“社畜”と呼ばれた私たちですが、逃げたら爵位が与えられましたわ
本作での「魔力回路」は、魔力で作動する電子回路のようなものです。
魔道具の輸出大国ギーアガーナ。
この国の経済は、高品質な魔道具の輸出によって支えられていた。
魔道具は、魔道士が魔力を込めた回路によって作動する。
中でも、半永久的に稼働する魔力回路を生み出せるのは、王宮の魔道士長ガーデルただ1人だけ。
──表向きには。
実際には、その魔力回路は、王宮地下工房で、2人の魔道士の命を削って作られていた。
◇
「まだ回路への魔力の注入が終わっていないのか!?」
怒号が、地下工房に響く。
エルフェルは魔力回路を両手で包み、魔力を流し込む。
彼女の瞳は虚ろだった。指先は震えている。
(……何日もベッドで寝ていない……。3日? 5日? あるいは、もっと……)
魔力を絞り出しすぎて、視界の端が白く霞んでいた。
けれども──
「止まるな、エルフェル! 小型遠隔通信装置用の魔力回路200個! 今夜中に全部仕上げろ!」
(今夜中に……? そ、そんな……)
隣では、もう1人の魔道士──ヴァレンが、床に膝をついていた。
「……っ」
彼らの姿を見て、ガーデルが愉快そうに言う。
「お前らみたいなのを──“社畜”というらしい」
エルフェルが、ゆっくり顔を上げる。
「……しゃ、ちく……?」
「異世界からの転移者が言っていた。仕事のために死ぬまで働く生き物だそうだ」
ガーデルは鼻で笑う。
エルフェルの胸に、その言葉が妙に刺さる。
(……社畜。仕事のために死ぬ生き物。私たちのこと……)
「ぼさっとするな! さっさと、魔力を注げ!」
エルフェルは、回路に魔力を流そうとする。だが指は動かず、魔力が流れない。もう、限界だった。
隣でヴァレンも、焦点の合わない目で魔力回路を見つめている。彼はゆらゆら揺れていた。
ドサッ。
ついに、ヴァレンが倒れこむ。
バキッ。
最悪なことに彼の身体の下には魔力回路──その基盤に、大きなひびが入ってしまった。
「まさか、壊したのか……?」
ガーデルの低い声。
「貴様ぁぁぁあ!!」
怒声と同時に、杖が振り下ろされた。
バン!!
魔力の衝撃で、ヴァレンの顔面が床に叩きつけられる。
「ぐっ……!」
「高級な魔力回路1個で、平民が5年暮らせるんだぞ!! 貴様ごときが壊していいものではない!!」
「も……申し訳、ありません……」
ヴァレンは、這いつくばったまま謝る。
鼻血が床に滴り落ちる。
その赤だけが、やけに鮮明だった。
ガーデルがヴァレンの髪を掴んで引きずる。
「損害分は働いて返してもらうぞ! 魔力が尽きるまでな!!」
その瞬間、エルフェルは立ち上がっていた。ゆらりと亡霊のように体が動き、ガーデルの前まで歩く。
「……なんだ?」
何も答えず、彼女は床に倒れているヴァレンの手を取った。
「……え?」
ヴァレンは、手を引かれ勢いよく立ち上がった。
「エル……フェル……?」
何も言わず、彼の手を引き歩き出す。
「おい、何をしている!!」
ガーデルが怒鳴るも振り返らない。
いや、エルフェルには振り返るという発想すらなかった。
地下工房の奥、製品搬出用の転移門へ向かう。
「止まれ!!」
背後での怒号は、エルフェルには届かない。
彼女は転移門の制御盤に手を置いた。
「起動」
青い魔法陣が広がり、転移門が唸りを上げる。
「待てぇぇ!!」
ガーデルが杖を振り上げる。
だが遅い。
エルフェルはヴァレンを抱き寄せ──
そのまま、転移門に飛び込んだ。
2人の姿が消える。
ガーデルの顔が、怒りで歪んだ。
後を追って飛び込むが、全く反応しない。転移門の魔力が足りなかったのだ。
「くっ……! まあ良い……。代わりなどいくらでもいる!!」
◇
意識が、ゆっくりと鮮明になる。まぶたに月明かりを感じ、エルフェルは静かに目を開けた。
木の天井。
見知らぬ部屋。
柔らかなベッド。
「ここは……」
体を動かそうとして、右手に温もりを感じる。
「……え?」
視線を向ける。
そこには、ヴァレンの手。彼はベッドの脇に座り、上体を前に倒したまま眠っていた。
静かな寝息。整った顔立ちが、今はどこか幼く見える。あの地下工房で見た、限界寸前の表情とは違う。
彼の手は、エルフェルの手をしっかりと握っていた。
(あ……)
心臓が、どくん、と鳴る。なぜか、視線を逸らせない。
手のひらに伝わる、かすかな体温。規則正しい呼吸。
ヴァレンは、看病しながら眠ってしまっていた。自分を救ってくれたエルフェルの手を大切に握りながら。
(……離したほうが、いいよね……)
そう思うのに、指が動かない。むしろ、ほんの少しだけ握り返していた。
「……んっ」
慌てて、力を抜く。
顔が、少し熱い。
(なんだろう……この気持ち……)
自分でも理解できない感覚。
眠っているヴァレン。その無防備な姿を見て、エルフェルは微笑む。
そして、再び瞳を閉じる。
握った手を離さずに。
(もう少し、もう少しだけ……このまま……)
ヴァレンの手の温もりが、あの地獄から抜け出した安心感をエルフェルに与えていた。
◇
「……起きましたか」
優しく、落ち着いた声。
エルフェルは、ゆっくりと身体を起こす。
視線を向けると、そこにヴァレンがいた。
椅子に座り、腕を組んでいる。
「あ……」
「おはようございます、エルフェル」
「……おはよう……ございます……」
ぎこちない挨拶。
しばらく沈黙が流れる。
やがて、ヴァレンが口を開いた。
「覚えていますか?」
「……え?」
エルフェルは一瞬、息を呑んだ。
昨夜、手を握っていたことを尋ねられたと思ったからだ。
「あなたは転移門を強制起動して……私を連れて逃げたんですよ」
その話ではないと知り、エルフェルは胸を撫で下ろす。
(あれ? なんで、ほっとしているの……私?)
「ええ……なんとなく……」
途切れていた記憶が、少しずつ繋がっていく。
十分に眠り、ようやく思考が回るようになった2人は、現状を整理し、互いのことを語り合った。
ここはヴァレンの屋敷。
彼は侯爵家の次男で、エルフェルは伯爵家の三女。
2人とも10歳の頃に魔法の才能に目覚め、その後、ガーデルにスカウトされた。
それから約5年、地下工房で働かされ続けた。身も心も、限界まで削られながら。
「これから、どうしますか?」
ヴァレンが静かに問う。
「うーん……そうですね……」
エルフェルが言葉に詰まると、ヴァレンが続けた。
「……湖に行きませんか?」
「湖?」
「ええ。私たちはずっと地下にいましたから、太陽の下で過ごしたいんです」
「でも、王宮からの追っ手が……」
「大丈夫です。ここは王宮から離れた侯爵領。簡単には踏み込めません。それに──」
わずかに間を置く。
「父には事情を伝えてあります」
「事情を……」
「はい。怒り心頭でした……。ですから、私たちを匿ってくれます。あなたのお父上にも手紙を出してありますので、心配には及びません」
「そうですか……ありがとうございます……」
「いえ」
ヴァレンは一瞬だけ視線を落とし、すぐに顔を上げる。
「礼を言うのは、私の方です。あなたがいなければ、私はここに戻れませんでした」
穏やかな笑み。
「さあ、行きましょう。久しぶりのピクニックです」
「はい!」
◇
湖面は鏡のように澄み、空と雲をそのまま映している。風が吹くたび、きらきらと光が揺れた。
「……きれい」
エルフェルは思わず呟く。
地下工房では見ることのなかった光景。胸の奥が、じんわり温かくなる。
「ええ。私も、久しぶりに来ました」
ヴァレンが隣で微笑む。
2人は木陰に腰を下ろした。持ってきた簡単な食事を広げる。
トマトとレタスが挟まったパンを一口かじる。それだけなのに、驚くほど美味しく感じた。
「外で食べるだけで、こんなに違うんですね」
「同感です」
しばらく、穏やかな時間が流れる。
やがて、エルフェルがふと立ち上がった。
「少し、歩いてきます」
湖畔へ向かい、水面を覗き込む。
そこに映る自分の顔は、以前より少しだけ柔らかかった。
(……ちゃんと、生きてる)
そのとき──
「きゃっ……」
バランスを崩しかけたと同時に手を引かれる。エルフェルの体を、ヴァレンの手が支えた。
距離が近い。
ふと視線が合う。
その瞬間、胸がどくんと跳ねた。
「……すみません」
「い、いえ……ありがとうございます……」
そっと手が離れる。
だが、その温もりだけが、しばらく残っていた。
エルフェルは、自分の胸に手を当てた。
(……まただ)
理由は分からない。
けれど──
(この時間が、ずっと続けばいいな……)
彼女は、そう願っていた。
◇
王宮、謁見の間。
重苦しい空気が満ちていた。
「──どういうことだ、ガーデル」
国王が問いかける。その声には、明確な怒りが滲んでいた。
床に跪くガーデルの額には、冷や汗が滲んでいる。
「は……はっ……それは、その……」
「貿易相手国より通達が来ている。品質低下により、取引を停止するとな」
ギーアガーナの繁栄を支えてきた魔道具輸出。それが止まれば、国の経済は衰退する。
「説明しろ」
逃げ場はない。
「い、一時的な不調でございます……! すぐに改善を──」
「虚偽を申すな」
鋭く、言葉を断ち切られる。国王の視線が、氷のように冷たい。
側近の一人が、一歩前に出る。
「王宮魔道士エルフェル、およびヴァレンの失踪以降、品質が急落しているとの報告がございます」
ガーデルの顔が、引きつった。
「な、何を……!」
「加えて、両名が実質的に魔力回路製造の中核を担っていた、との証言も複数確認されております」
「でたらめだ! だ、誰がそんなことを!!」
思わず叫ぶ。
「……ガーデル」
国王の声は冷やか。
「すべて、お前の手柄として報告していたな?」
「そ、それは……!」
「答えよ」
逃げられない。言葉が出ない。沈黙が、何よりの答えだった。
「……なるほど。才能ある者を使い潰し、その成果を奪い、挙句に逃げられたか」
淡々とした国王の言葉。その一つ一つが刃のように突き刺さる。
「結果、この国の柱である交易が崩れかけている」
玉座から見下ろし、告げる。
「──大罪だ」
「お、お待ちください!! 私はこの国に多大な貢献を──!」
「黙れ!」
一言で封じられた。
「その功績は、お前のものではない! エルフェルとヴァレンのものだ」
ガーデルの顔から、血の気が引く。
「魔道士長ガーデルを拘束せよ」
「な……っ!?」
近衛兵に両脇を固められ、強引に立たされる。
「ま、待て……! 私は魔道士長だぞ!!」
声が上ずる。もはや威厳はない。
「牢へ入れろ。追って処分を下す」
「やめろ……やめろぉぉぉ!!」
叫びは虚しく、謁見の間に響いた。
引きずられていくその姿を、誰も助けようとはしない。
かつて栄華を誇った男は、地に堕ちたのだ。
◇
その後。
王宮からの使者は、何度もヴァレンの屋敷を訪れた。
復帰の要請。地位の保証。破格の待遇。
しかし──
「お断りします」
ヴァレンは、穏やかに告げる。エルフェルも隣で頷いた。
やがて、国王自らの名で勅書が届く。
そこにあったのは、復帰命令ではなく──謝罪と、叙爵だった。
これまでの功績はすべて、エルフェルとヴァレンのものと認めること。そして、その対価として爵位を授ける、と。
「……今さら、ですね」
エルフェルは苦笑する。
「ええ」
ヴァレンも静かに応じた。
だが、その表情に怒りはない。
そして、2人は、新たな土地での暮らしを選ぶ。
名誉のためでも、国のためでもなく
──自分のために生きる。
それが、何よりも大切だと知ったから。
穏やかな光の中、2人は並んで歩く。
エルフェルは、そっと手を差し出した。
ヴァレンが一瞬だけ驚き──やがて、静かにその手を取る。
重なる指、伝わる温もり。
あのときは、ただ必死に引き寄せた手だった。
けれど今は違う。
自分の意思で、繋がっていたいと願い、重ねる手。
2人は顔を見合わせ、ふっと笑う。
その手は、もう離れることはなかった。
真面目な人ほど、立ち向かおうとして無理をしてしまいます。身体や心が悲鳴をあげているなら、逃げるという選択肢も考えて欲しいと思っています。
それが、幸せな未来に繋がることもあるので。
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