第8話 女の戦い
―1―
放課後になってしまった。
何も解決されないまま、放課後になったのだ。
天秤計音に呼び出された狗川黒は、一人、体育館の裏にいた。
僕達の通っている高校は公立で、二つの本校舎に隣接する体育館はバスケットボールに事欠かないくらいの大きさではあったが、少し昔に作られたものであり、ところどころにガタがきていた。
体育館の裏は、狭い。
学校の敷地の外と内側を隔てる、高く赤いレンガの壁と、白い体育館の壁に囲まれており、人目につかない。
男女が逢引するのには絶好のスポットではあるが、ここを選択するカップルはこの学校にはいない。
なぜなら、ここは通称『赤の壁』と言われる、生徒会の領域だからだ。
「しかし、体育館裏なんて、前時代的ね…‥」
黒は呆れたようにと笑いながら、白い体育館の壁にもたれ掛かる。
そして、ジャンボーグ9の歌を口ずさみながら、白い携帯をいじくっていた。
選曲が渋いよ、誰もわかんないよそれ。
午後の太陽の暖かな日差しが、そこに差し込んでいた――
「本当に、一人で大丈夫なのか…‥黒」
僕はそれを、彼女に気づかれないように、上から見下ろしていた。
本当は彼女と一緒に来たかったのだが、彼女は頑なにそれを拒否した。
僕を巻き込まないつもりっだ、黒は。
全て、自分の責任だと思い、一人で決着をつけようとしているのだ。
「先輩、本当にいいんスか?ここで見てて」
僕を肩車で背負いながら、長い電柱の先端に立つ猿白は珍しく弱々しい表情で問い掛ける。
「付き合わせてごめん、猿白さん。僕にも責任があるから…‥あと、やっぱり心配だから」
そうだ。
本当は、男として、黒の隣にいるべきなんだ、彼女に反対されただけで、僕は引いてしまった。
僕は卑怯だ。
彼女を守ることすら出来ないのか、黒は彼女じゃないけど。
「優しいんですね、逸珂先輩。私、やっぱ二号になってよかったっス」
いや、僕は優しくない。
頼むから、僕という人間を都合よく解釈しないでくれ。
僕は、本当に、どうしようもないのだから。
「優しくなんかないよ、本当なら、僕は彼女の傍らに立って守らなきゃなんだから」
そう言うと、猿白は苦笑いをして僕を見つめた。
「いや、だってそれは、仕方ないじゃないっスか。黒先輩、かなり露骨に拒否してたし。」
確かに、そうなのだ。
彼女は、頑なに、ここに一人で来ることを望んだ。
でも、それでも僕は、一緒にいるべきだったんだ。
そんなに思うなら行動しろよと、自分を情けなく思う。
「本当に危なかったら、この二号が、助けに入りますから、大丈夫っス」
「猿白…‥」
しかし、由々しき事態である。
委員長に呼び出されて、無事に帰ってきたものはいない―
「その時は、僕も――」
僕は猿白が用意したハンドサイズの望遠鏡を覗き込み、視界を下に戻す。
既に、校舎の方向から天秤計音が、狗川黒の立っている場所へ歩いてきていた――
―2―
「ごきげんよう、狗川さん」
生徒会の権限を使って自分で呼び出しておいて、白々しい笑顔で天秤計音は挨拶をする。
本当にむかつく女である。
友達、絶対いないだろう。
「どうも」
黒は気だるそうに挨拶を返し、弄んでいた携帯を閉じ、ポケットに戻した。
そんな彼女を、計音は眉をひそめて見つめる。
その瞳には、明らかな嫌悪と敵対の意思が込められているように思えた。
「何で委員長である私に呼ばれたか…‥分かってますよね?」
口元だけで笑い、計音は黒を睨みつけた。
「さあ?私はやりたいことをやっているだけなんで。しかも、他人には迷惑かけてないわ」
面倒くさそうに首をもたげて、しかし鋭い視線は計音から全く逸らさずに自分に非はないと言い切る。
そうだ。
僕達は、確かに少しルールを破った。
しかし、それは、人に迷惑をかけないように、心がけた。
口頭で注意をうけることはあっても、皆の前でからかわれたり、こうして校舎裏に呼び出される筋合いなどないはずだ。
「迷惑なのよ。あれだけイチャイチャされたら、しかも、れっきとした校則違反よ」
しかし、この女には、そんな言い分は通用しない。
全ては、自分の裁量。
生徒会のメンバーは往々にしてそうなのだが、傍から見たら八つ当たりにしか見えない。
本当に、こんな奴らがまかり通っている学園って、どうなんだよ。
「…‥私、大分、気が立ってるの。あなたは私をどうしたいのかしら?」
黒は計音の回りくどい口ぶりに、いらいらしているようであった。
遠くからでは少し分かり辛いが、眉を寄せているように見える。
そして瞳には、拒絶の意思が見て取れた。
首を真っ直ぐに直し、黒は壁から離れて計音と2メートルくらいの距離をとったまま腕組みする。
「ふふっ、気が早い人ですね、転校初日に告白するわけだ、笑える。」
くすくす、と本当に悪魔のように、黒を指差して笑う。
安っぽい挑発ではあるが、黒はその言葉に口角をつり上げ、組んだ腕をふるふると震わせていた。
そんな彼女を前にして、計音は両脚を開き、右腕を振り上げる。
次の瞬間、僕は驚愕した―
「教えてあげる――私達生徒会はね、あなたのようなルールから外れた人間を許さない。更正させるの選ばれたのもの力で」
彼女の動きに呼応するかのように、周囲の地面の砂が彼女の横に急速に集まる。
そして、それは、黒よりも頭一つ分大きな、人の形をした何かを作り始める。
僕は最初、目の錯覚と思い、瞳を擦った。
なんだよ、あれ。
隠れていなければ、僕は、思い切り大声でつっこんでいるところだ。
生徒会のメンバーは全員がスタンド使い、というのは、有名な噂である。
そして、生徒会は生徒会長を筆頭とする懲罰集団で、実在する『赤の壁』は、罰を与えられた者の返り血、という噂も加えて流布されているため、少しだけ、信憑性があった。
しかし、本当だったのか。
天秤計音は、スタンド使い、だったのだ。
まあ、スタンドではないかもしれないが、超能力使い、というのは、確かだ。
「恐怖政治だけじゃなくて、選民主義なのね。いつの時代の人よ、全く」
呆れたように含み笑いをして、黒はやらやれと肩をすくめる。
というか、驚こうよ、スタンドですよ黒さん!!
「でも、私はあなたみたいな娘、大好きよ。ルール違反をする奴がいないと、処罰できないもの――ブッ潰したいほど大好きよ」
邪悪な満面の笑みを見せ、計音はスカートのポケットから何かを取り出した。
生徒手帳であった。
この学園の生徒手帳は、当然のように生徒全員が持っている。
数年前まで中身は紙だったらしいが、日々更新されていく膨大な数の規則を閲覧するために電子化されており、黒い本体の大きさは手のひらサイズで、折りたたみ式の携帯のようになっている。
そして、タッチパネル式で学校のメインサーバーに繋がっており、録音やナビゲーションなどの様々なアプリケーションもあるが、通話機能がないというのが携帯との違いである。
「大帝都学園対規則違反者法、第十二条。生徒会メンバーは規則を破った人間に、自らの裁量で罰則を与えることが出来る」
計音は、真っ直ぐに見据えて、その手帳の表紙の、金色の星十字を黒に見せ付ける。
酷い法律だな。
ん?
この学園って規則だけじゃなくて、法律があったのか、こんな、パッケージだけはどこにでもありそうな、公立の学園に。
まあ、パッケージは普通の学園でも、中身はカオスであるが。
というか、この学校って、大帝都学園ってネーミングだったのか。
「やっぱり相容れないわね、私はあなたが大嫌いだわ」
軽蔑の視線を送り、うんうん、と頷きながら、組んだ両腕を離し、黒は眼前の化け物を見据えた。
そう、計音が砂を再構築して作り上げたスタンドは、既に完成していた――
「私のデストラグル能力は鉄の騎士『鋼鉄の処女
メタルヴァージン
』。私は手を汚さない、私はルールを破らない。だけど『鋼鉄の処女』は確実にあなたを貫く」
計音が超能力(どうやらデストラグル能力というらしい)で作り上げたもの。
それは、銀色の甲冑を身に着けた、一つ目の騎士であった。
西洋風の鎧に、右手に巨大な三角柱状の鋭い槍
やり
をもつそれは小さく咆哮し、自らの巨体をふるわせ、天高く、槍を振り上げる。
「やれ」
計音は短く言い放ち、手を振りかざす。
それに呼応するかのように、『鋼鉄の処女』は槍の切っ先を黒に向けて突き出す。
え!?
危険である。
僕は思わず飛び出そうとするが、肩車をしている猿白が「だめっス」とか言いながら、僕の太ももを強く挟んで離さない。
よく考えたら、電柱の上から飛び降りたら、助けるどころか即死してしまうが、それでも、僕は飛び出そうとした。
しかし――
「笑えるわね、本当に。」
そんな化け物を前にしても、黒は一歩も引かなかった。
『鋼鉄の処女』の突き出した槍の先端は、彼女の髪を数本切り裂き、紙一重のところで宙を切った。
威嚇のつもり、だったのだろうか。
そして、それを分かっていて、黒は動かなかったのか。
「くっ」
計音は初めて驚いたような表情を見せ、一歩だけ、後ずさる。
「いいわね――そういうこと、分かったわ、狗川黒。最初から全力でいきましょう」
そして、計音は黒縁のメガネを外し、思い切り地面に投げ捨て、にやり、と口元で笑う。
口元は笑っているが、目は真剣そのものであった。
僕には、分からなかった。
今の一撃で、何が変化したというのだ。
「ようやく理解したのね、なら、早く終わらせましょう。私、今日彼のおうち行きたいの」
そうだったのか。
というか、今日家に来るとか、そんな話、わたし聞いてない!!
まあ、彼女は僕の家の位置をもう把握しているし、またアポなしで来るんだろうけど―
とりあえず、そんなことを言っている事態じゃないだろう、黒。
君は、戦えるのか、そんな化け物と―
「じゃあ、見せてあげる――私の、この狗川黒の『能力』を」
黒はスカートの中身が見えないギリギリのラインまで両脚を開き、右手を腰に添え、左手を眼前に突き出して構え、戦闘態勢に入る。
そして、口角を上げて小さく笑い、巨大な『鋼鉄の処女』を真っ直ぐに睨みつける。
自信満々といった感じの笑みである、彼女はこんなにも好戦的、というか、バトル漫画の主人公だったのか。
なんか、タツノコヒーローみたいだぞ。
僕は、どうすればいいのだ。
というか、動けないぞ。
まるで、両脚を、思い切りロックされているようだ。
「というか、離してくれ、猿白さん」
高い電柱の上に立つ猿白に肩車をしてもらい全ての状況を見つめていた僕は、いてもたってもいられず、じたばたとする。
「すみません先輩、実は絶対手出ししないよう、黒先輩に言われてるんです。『これは女の戦いだから』って、強く、言われたんです」
そうだったのか。
狗川黒、どこまで用意周到な女なのだ。
そんなにまでして、僕を巻き込みたくないのか。
あんさん、ルルーシュでっか。
「というか、離したら落ちちゃいますよ先輩」
まあ、それも、そうなんだが。
つづく