第7話 不愉快ね――
―1―
昼食を教室で食べ終え、黒や猿白と他愛のない話をしていると、次の授業が始まってしまった。
まあ、その黒との会話まで遡ってみるのもやぶさかでないのだが、いかんせん、他愛がなさすぎるために、省略。
省略します。
二度、言いました。
とりあえず五限はホームルームなので、僕達のクラスの担任である初鮫先生が現れた。
「では、ホームルームを始めますっ」
初鮫先生は小柄な人で、顔立ちも幼いため、まるで同級生がスーツを着て先生のコスプレをしているようにも見えるが、本人はそれを茶化されるとご立腹なさる。
まあ、先生もしっかりとした大人であるため、生徒ごときに茶化されてカチン、とくるのは当たり前ではあるが。
僕は、初鮫先生は好きというほどではないが、嫌いではなかった。
生徒に対して優しくて、フレンドリーなのだ。
それ故に、茶化されることが多いのだが、僕は先生は仕事熱心で責任感のある大人だと思っている。
ただ――
「先生気づかないっスね、先輩」
一番後ろであったハズの僕の席の背後に机と椅子がワンセットで増えており、なぜかその椅子に隣のクラスの女の子が座っていることをスルーしてしまうという、お茶目なところはあるが。
「というか、クラスに戻りなよ猿白さん…‥」
そう、先ほどまでの昼休みの間に、僕の後ろに猿白が隣のクラスから移動してきたのだ。
だから、僕はとりあえず自分のクラスに戻るよう進言する。
というか、単位大丈夫なのかこの子は。
同学年の僕を先輩と呼んでいるが、留年なんかしたら、本当に先輩・後輩になってしまうぞ。
「いえいえ先輩、二号である私は背後からの敵に対応するために、こうやって守りを固めているのです」
と、言いながら、彼女は右手を握りしめて肩の前に上げ、その肘に右手を添える。
ち、力の二号のポーズのつもりなのだろうか、微妙に違う気がするが。
というか、敵って誰だよう。
僕は内心つっこみつつ、先生の立つ教卓の方に視線を戻した。
「じゃあ天秤計音さん、後はよろしくっ」
初鮫先生は『第三回ホームルーム』とどデカイ字を書くと、このクラスの委員長を呼ぶ。
「はい、先生」
そして、クラスの中央部分に位置する机に座っていた委員長は――天秤計音は短く回答し、黒板の前に立った。
天秤計音は、このクラスのクラス委員長であり、生徒会の役員である。
黒縁の四角いメガネに、きれ長の瞳。
二つのお下げ黒い髪。
背丈は、少し小柄で、中学生に見えないこともない。
胸もない、そして、セーラー服の右肩に『委員長』と書かれた黒い腕章を付けている。
そんな姿の少女が、天秤計音であった。
「逸珂くん、あの人は、誰かしら」
黒は、計音を指差す。
昨日転校してきた彼女は知らなくても仕方ない。
委員長は目立つときは目立つが、普段は普通に授業を受けており、友達もいない大人しいタイプの人間であるため、接点がなかったのだろう。
「私も気になるっス、誰でしょうか」
右肩に着くぐらいに首を傾げて、猿白もううむ、と唸る。
つうか君は知ってて下さいよ、同級生でしょうが。
「あの子はクラスの委員長の天秤計音。他の学校はどうか知らないけど、ここでは各学級のクラスの委員長達が集結して生徒会を名乗っている。あ、あと成績は優秀みたい」
説明を聞くと、黒はいつものクールフェイスのまま「ふうん」とだけ言い、少し俯く。
彼女は前の学校では体制と対立する立場の存在だったのか、まあ、どこの学校でも、ルールを破るものに対して厳しいのは同じ、ということか。
いや、だが、この学校は―
「では、最初の議題に移ります。最近、構内の風紀が乱れている、と、生徒会の皆の間でよく話題になるのですが、私も、よくこの目で見たり、注意をしたりしています。特に最近は、男女の過度な接触が――」
かちゃり、とメガネをかけ直し、委員長はクラス全体を見つめていた、まるで、囚人を見るかのような、瞳で。
彼女はルールを破るもの、規範から外れたものは容赦なく、軽蔑の視線を送る。
故に、このクラスの大半の人間は、彼女に軽蔑されているのであろう、だが、彼女の考えるルールは、僕の考えているものよりも厳しい。
正直、彼女や生徒会のルール通りに生きていたら、息が詰まり過ぎる。
狗川黒と出合う前まで、ルールを守って生きるべき、ルールを破る皆は嫌い、と僕も思っていた。
しかし、それは僕の周囲への劣等感からくるものでもあった。
彼女は、天秤計音という少女は、僕とは比べることができないくらいに、ルールを破る学生を純粋に嫌悪しているように感じられた。
「校長みたいな喋り口で面白くない話ね」
黒は僕の隣で、怪訝な表情でため息を漏らした。
それは僕も感じていた、委員長の話は回りくどくて、つまらない。
「――ですので、今回のホームルームでは、青少年の構内での不純な交遊を、どこまで校則で取り締まるべきか、皆で考えていきたいと思います」
皆で考えていきたいとは言うが、この人は既に自分の中で結論が出ているのであろう。
彼氏と別れたほうがいいか恋愛の相談をする輩と同じだ、答えがもう出ている。
だから、早く話しを終わらせてくれ、と僕は思った。
いや、このクラスの全員が、そう思っているであろう。
「学校は勉学に勤しむための場所です。大衆の面前で告白したり、木陰に隠れてキスしようとしたり、そんなことをする場所ではありません」
なにか、昨日と今日の僕達のやってることを指摘しているように思えて、どきっ、としてしまった。
「うっ…‥」
告白はまあ、皆の前で黒がやったことであるから、まあ知ってて当たり前であろう。
しかし、今朝の木陰で隠れていたことは、誰も見ていなかったはずだ。
もしかして、見られていたのだろうか。
なんだか、凄く嫌な気分だ。
彼女を、狗川黒をバカにされた気がした。
僕なんかのために頑張ってくれる、狗川黒を、そんな彼女の誘惑を「そんなこと」と言われた。
いままで彼女がいなかったから分からなかったが、もしかして、クラスの皆も、同じ気持ちを抱いていたのだろうか。
男女の肉体的な接触を禁じられ、このように挑発されてきたのだろうか。
「…‥ねえ、黒」
僕が話しかけようとしたが、黒はそれが聞こえなかった様子で、小さく震えていた。
彼女が、ぎり、と奥歯を噛み締めた音が聞こえたのは、おそらく気のせいではないだろう。
「不愉快ね――」
ああ、やっぱり気のせいではなかった。
黒は、あからさまに、不快感を露わにし、眉を顰めて、静かに炎を燃やしている。
その視線は、黒板の前に立つ計音を真っ直ぐに見つめていた。
それは、まるで、獲物を見つめるライオンのようであった。
やばい、これはやばい。
僕は、初めて見た、怒っている、彼女を――
「はい!委員長!!」
一番前の席の男子が勢いよく挙手をした。
彼は野球部の二軍で、一年の後輩と付き合っている、クラスのムードメーカー的な存在だ。
「手を繋ぐくらいはいいんじゃないですか!?別に、この社会でも手を繋ぐ行為は法律で禁止されていないので、特に校則でもその一線は越えなけてもいいと思いまーす!!」
すぐ挙手する悪癖がある彼であったが、今回ばかりはよく言ってくれた、と僕は思った。
なるほど、彼はそれなりに考えて生きてきたのか。
女の尻ばかり追いかけている野球バカ、と思っていたのに、僕は歪んでいただけなのか。
「確かに一理あります、しかし、若い私達が手と手を繋いだら、それだけで済むでしょうか?」
いや、八里くらいはあっただろう。
というか、君は彼氏いないだろう、おそらく、いや、確実に。
計音は、完璧に皆を見下していた。
「故に、身体的接触を禁止したいと思うのですが、どうでしょうか皆さん?」
計音はまるで、ヒトラー総帥のようなジェスチャーで訴えかける。
クラス内は、流石に騒然としていた。
男子も女子も、隣や後ろの人間とヒソヒソと話している。
その光景を、計音はまるでゴミでも見るかのような視線で見渡して、反対意見を持つものがいないか、確認する。
そして、うん、と計音は頷いた。
何が、うん、なのだろうか。
全て、自分で決めやがった。
いや、自分で決めてきたことを発表した、だけなのだろう、どうせ。
「因みに、生徒会も私とほぼ同じ意見です。このクラス全体の承認を得ることが出来たら、校則も変更になるでしょう」
その一言で、クラス内は静まり返った。
先ほど発言した男子も、まるで口をホチキスでとめられたかのように、押し黙ってしまった。
僕はその様子を、黙って見ていた。
悔しいが、生徒会の名前を出されたら、もうこうするしかない。
生徒会と戦争は出来ない。
なぜなら、生徒会は――
「恐怖政治ね」
僕の隣の席の黒はめんどくさそうに机に頬杖をつき、呆れたような表情で今の全ての流れをそう言い切った。
確かにそうだ。
計音のやっていることは、ホームルームじゃない。
これはもう、皆の意見など通らない。
生徒会を盾にしているので、誰も抵抗できない。
しかも、いつの間にか初鮫先生はいなくなっているし!!
テストの採点ですか!?ご苦労さんですもう!!こんなときに!!
しかし、初鮫先生も好きでエスケープしているわけではないのだろう。
この学園は、特殊過ぎた。
先生達ですら、生徒会を制御できなくなっているのだ。
「クラスの委員長の集まりである生徒会はこの学校で絶対的な権力をもつ集団なんすよ、先輩」
僕の後ろの猿白が眉をひそめながら、机に身を乗り出して黒に説明する。
「歪んでいるわね」
黒は、瞳を細めて計音を見つめながら嘲笑した。
「そうっスね」
黒の言葉を、猿白は短く肯定した。
「まあ、別にルールを作りたきゃ作ればいいわよ。別に」
黒はもう完全にルールなど知ったこっちゃないのだろう。
僕も、半分くらいそう思っていた。
まあ、そんなに大っぴらにルールを破ろうとは思わないけど。
だが、今は状況が違った。
僕と黒は完全にマークされている。
計音は釘を刺したのだ。
そして、このホームルームの議題も、恐らくは――
「さすが先輩」
そんな僕の考えなど知らず、猿白はのん気に関心している。
「息苦しかったでしょうね逸珂くん。でも大丈夫よ、私がいるもの」
黒は、自分の豊満な胸に手をあてて、僕を見つめて微笑んだ。
彼女も、今の状況がどれだけ緊迫しているのか全く理解していないようであった。
無理もない。
彼女は、この学校の真の姿を知らない。
だから、こんなにマイペースなのだ。
「二号の胸もお貸ししますよ、先輩」
ぼよんと、黒よりも更に豊満な胸を突き出してお色気ポーズをとる猿白。
「あなたのは大きすぎて息苦しいわ、私の形がよいもので思い切り呼吸したほうがいいわよ」
その胸を、黒は後ろを向いて右手で一回揉み、首を傾げた。
「手厳しいっスね、はうんっ」
胸を揉まれた猿白は赤面し、小さく呻く。
そんなことしてる場合じゃないのに。
「あ、ありがとう…‥」
僕は、黒の言葉に感謝していた。
が、感謝の言葉に、気持ちが乗っかっていない。
二人の好意は素直に嬉しいが、それを喜べる余裕が、今の僕にはなかった。
「では、反対意見がないので、このクラスはこの案に対し『賛成』ということで、次回の生徒会の活動時に報告させていただきます。では、次の議題ですが――」
僕達が三人で喋っているうちに、議題は変わっていた。
なんなんだ、もう。
本当に、歪んでいやがる。
こんな学校で、生きてこれたのだから、僕も、もう少し自分に自信をもっていいのだろうか。
「なんか私達が喋ってるうちに、可決になってしまったわね」
黒は机に顔を突っ伏しながら、めんどくさそうに言う。
確かに、かなり早く議題が変更になってしまった。
反論するタイミングすらなかった、まあ、この状況で何か言える勇気のある僕ではないが。
「見えない圧力の下での民主主義っスね、人それを独裁という」
猿白砂麦は、次の議題は興味がない、といった様子で、机の上でプラモデルを作り始めた。
いや、どうやら、今までずっと作っていたようであった。
机の上のHGFC1/144スケールのボルトガンダムは、上半身と腰が完成し、残るは両脚を作るだけになっていた。
て、丁寧に合わせ目まで消していやがる…‥
呑気な様子の彼女達は分かっているのだろうか、今の自分達の状況を。
理解しているのだろうか、この学校の絶対の掟を。
「こ、これは…‥やばいな」
この学校の生徒会は、自分達が作ったルールを破るものは容赦なく断罪する――
―2―
そして、二十分後。
様々な議題が可決された、というか、可決以外の選択肢がなかった。
全ては、天秤計音委員長の思い通り。
それが、このクラスの絶対の流れ。
僕は、いままではどうでもよかった。
自分が大切じゃなかったから、どんなルールができても、特に気にしなかった。
むしろ喜んだくらいだ、リア充達が苦しんでいるさまを見て。
そして、出来たルールを上手く無視してみせる男女を見て、いらいらしたものだ、一昨日までは。
しかし、今は違う――
「これが、リア充の苦しみ…‥」
僕は黒と同じく、机に突っ伏していた。
計音委員長の恐怖政治から、目を逸らしたかったのだ。
時間が、遅く流れていくような感覚であった。
そして、五限が終わろうとしていた―
「では、終わりますが、すみません、狗川さん?」
狗川の名前が出てきたため、僕は思わず顔を上げた。
計音はしてやったり、といった表情で、ねぼけ眼をこすっている黒をチョークで指差していた。
何なんだ。
何なんだ、一体。
「なんでしょうか?」
なぜ私が?といった表情で、首を傾げる黒。
皆の視線が、狗川に集中していた。
「放課後、一人で体育館の裏に来てくれませんか?」
にやり、とサディステック笑う計音。
怖い。
初めてだ。
初めて、彼女の笑顔を見た。
悪魔だ。
悪魔のような笑顔だ。
「あら、愛の告白かしら」
そんな笑顔に、黒は怖気づく様子もなく、挑発的に微笑み、答える。
「私にその気はありません。我々生徒会に協力を願いたいのです。」
その反応が予想外だったのか、計音の顔から笑顔が消えた。
「これは生徒会の権限による指示です、出来る限り、協力して下さい。お願いです」
無表情のまま、真っ直ぐに黒を見つめて、計音は恐ろしく淡々と、黒にお願いをしていた。
いや、これはお願い、というレベルのものではない。
脅迫だ。
断れば、ただではすまないことを、このクラスの皆は知っている。
そのために、クラス全体が息を呑んだ。
昨日転校してきたばかりの生徒が、いきなり生徒会の一員である委員長に呼ばれたのだから。
「はーいはい」
それでも黒は、気だるそうに答え、欠伸をしながら大きく背伸びをした。
何を考えているのだ、黒は。
計音委員長の考えていることも分からないが、黒も黒だ。
少しは焦ってくれ。
これはもう、戦争だ―
「…‥黒」
僕に、何が出来るのだろうか。
生徒会に目をつけられ、呼び出されてしまった彼女を、僕は、守ることが出来るのだろうか。
駄目だ、自信がない。
僕に、出来るのだろうか。
こんな、僕に――
「先輩…‥なんか、嵐の予感っス」
後ろの席から僕の肩に手を伸ばす猿白。
そうだ、嵐が来る。
だが、僕はどうすればいい。
僕は、どうすれば――
つづく