第5話 なんでパンツを被るのさ!
―1―
「ねえ、そのパンツ貸してくれないっスか?」
叫びたい気持ちを耐えつつ、僕は思い切り後退りをする。
ここで叫べば、教室から初鮫先生がズバッと参上して、僕は択捉か竹島で立ってろとか言われそうだからだ。
どちらも、遠慮しておきたい。
そして、僕は後退りして壁にもたれ掛かりつつも、まじまじとその少女を見つめた――
「な、なぜ…‥パンツを」
僕より頭半分ほどの身長で、少し丸みを帯びた女性らしいラインの体。
そして、それを包む、この学校指定の白いセーラー服。
黒に負けず劣らずの、いや、彼女よりも若干大きい、豊満なバスト。
午後の太陽に輝く、緑色のポニーテールの髪。
すっと通った鼻に、丸い瞳で、ヒマワリのように笑顔を咲かせている。
そんないでたちのふわふわとした印象の美少女が、大きな枯山水をバックに、僕の眼前の天井に立っていた。
「というか――君は誰?」
そう、逆さなのだ。
彼女だけではなく、胸や髪やスカートなど、逆さになっていたら本来下に垂れるものすら、天井に向かって伸びており、重力を無視しているのだ。
「私?ああ、私は猿白砂麦って名前っス」
ニコッとはにかみ、彼女は華麗に一回転しながら床に着地する。
そして、その華奢な脚で僕の前に立ちふさがった。
何となく、ではあるが、天然系の印象を受けた。
悩みがなさそうである。
なんだか、頭の上に蝶々が飛んでいるし…‥
「え、見たことないけど、同級生?」
僕は記憶力があまりよろしくない方であるが、こんな特徴的な特徴をもつ少女、一度見たら忘れない。
断言できる、僕は彼女を見たことがない。
「君がこのクラスでしょ!?隣のA組だよ。まあ、私はあまり人前には顔を出さないからねぇ、まあ、成績も恐るべき低空飛行っスよ。」
彼女はアハハとのん気に笑う。
どうやら、あまり低空飛行な成績にはこだわっていないようであった。
「あ、それよりさ、パンツ貸して下さいっス」
そして、申し訳なさそうに頭を下げ、再び謎の要求を突きつけた。
「な、だから…‥なんでパンツが欲しいの?」
一応、この学ランの中にはパンツがあるが、僕のものではないため、あまり手渡したくなかった。
持ち主の狗川に返さなければいけない、ハズなのだ。
まさか彼女もプレゼントするつもりで僕に渡したわけではないだろう。
「穿いてくるの忘れたんで、朝寝坊しちゃって」
スカートを押さえながら、頬を膨らませる。
「……‥」
言葉が出なかった。
僕は、ただただ、驚いていた。
パンツを穿き忘れるような頭が明るい少女がこの日本に、しかも、同じ学校にいたなんて。
天然という簡単な言葉で、こういう少女を片付けていいんだろうか。
なんだか、違うカテゴリーに属している気がしてきた。
気のせいだと、思いたい。
「はい、どうぞ」
僕は白い布切れをポケットから出し、彼女に差し出す。
「あ、ありがとうっス」
彼女はそれを、頭に被った。
それで、僕は狗川のパンツの形状をしっかりと確認することが出来た。
いや、確認してしまったのだ。
レース調のアダルトな感じのパンツであった、しかも、肌を覆う面積が少ないときたもんだ。
というか、それは大した問題ではなかった――
「なっ、なんでパンツを被るのさ!」
僕に言われ、彼女はさすがに慌てた様子でパンツを頭から脱がした。
「あ、ごめ、逆さになってたらこっちがお尻なのかと思ったっス」
彼女は少しだけ照れながら、パンツを穿き始めた。
と、同時に、すさまじく大胆な更衣シーンを視界に入れないように、俯いた。
「な、なんなの…‥」
なぜ尻と頭を間違える!?
なぜ人前で着脱する?!
と、ツッコミを入れる気すら萎えていた。
まあ、いいよね、多分。
この状況なら百人の中で九十九人はツッコムだろうから、僕は別にいいよね、スルーしても。
「よっしゃ、これで完璧っス!!」
彼女は穿き終えた様子で、くるくると廊下で華麗にターンをしてみせた。
「完璧なのはいいけど、お尻が冷えるから今度は忘れないようにね」
まあ、春だから体を壊すほど冷えることはないだろうけれど、もし今度穿き忘れたらスカートの中を見られないように気をつけて欲しい、と思う。
次はパンツ貸せないし。
「ありがとっ!!気をつけるよっス!!へへっ、私、キミのこと気に入っちゃったかも、名前は?」
彼女は赤面しながら笑い、僕の手を握り締める。
石鹸やシャンプーのような、いい匂いがした。
恥ずかしながら、僕はどきどきしていた。
胸が、熱く、心臓が速く脈打つのが、自分で分かった。
「ぼ、僕は、桃山逸珂、普通の高校生だよ」
彼女の手から自らの手を離し、照れながらも僕は笑った。
ちょっと根暗だけれどど、僕は普通だと思った。
極めて普通だ、普通過ぎて、物足りないくらいに普通である。
「いい名前っスね、逸珂クン…‥か――あ、そうだ!!」
彼女は何かを思い出したようで、ぱん、と手を合わせる。
「はい、どうぞっス!!」
そして、彼女はスカートのポケットの中から、何かが入っている茶色い紙袋を差し出した。
「え、なにこれ…‥」
生理用品!?んなわけないか。
手のひらの乗るサイズの茶色い紙袋には白いシールが貼ってあったが、何が入っているのか、よくわからなかった。
そんな得体の知れない物を、彼女は少し強引に手渡した。
「かにパン!!」
両手でピースサインを出し、彼女は、にぱっ、と笑う。
「は、発明ボーイ?」
今の僕の発言にはとりあえず意味はない。
つうか、平成生まれは知らんだろうカニぱん。
しかし、かにパンということは、カニが入ったパン、ということであろう。
袋越しに触った感触からすると、揚げたカレーパンに近い表面であるらしく、匂いも美味しそうである。
さすがに温かくはなかったが、先ほどソイジョイを食べていなかったら、多分今、食べているであろう。
「じゃ、また会いましょう逸珂っち!!」
僕がにパンに集中している間に、彼女は枯山水の絵の横の窓に腰を下ろしていた。
彼女の動きが速すぎて、虚をつかれたような感じである。
「って危なっ!!」
慌てて制止する僕の声と同時に、彼女は笑顔のまま体を後ろに反らし、頭から落下した。
おい、ここは二階――
「……‥マジですか」
窓に身を乗り出して下を見たが、誰もいなかった。
まあ、大丈夫だろう。
気休めではなく、僕はそう思えた。
だって、重力を完璧に無視して、天井にぶらさがれる人間が窓から落ちて怪我をするとは思えない。
きっと、着地したか、壁を伝ってどこかに行ったのだろう、おそらく、多分。
「なんだったんだろう…‥」
僕は、春の日差しが差し込む静かな廊下に一人取り残された。
かにパンの袋を学ランのポケットにしまいながら、僕はにやけていた。
どうやら、お尻と頭を間違える美少女に、気に入られてしまったらしい。
告白されたり、パンツを貸したり、本当に今日は慌ただしい日だ――
―2―
ようやく下校時間だった。
やっとだ。
思えば、今日は色々ありすぎた。
朝のホームルームではいきなり転校生の美少女に告白されて接吻され、昼休みに図書室行って、知らない間に学ランにパンツ入れられたり、そのパンツを宙ぶらりんの美少女にあげたり…‥本当に、色々なことが凝縮し過ぎである。
誰か脚本家を呼べ、この世界を作った奴がいるならば、僕が文句を言ってくれる。
まあ、それは冗談として、とにかく、僕の普通の一年分くらいのイベントが一気に押し寄せたかのような濃密な一日であった。
「今日は、忙しかったな…‥」
僕と狗川は、学校の敷地内から出て、桜の並木道の真ん中を歩いていた。
桜は満開、そして生暖かい風が吹いていて日差しもよく、いかにも春といった感じだった。
そうだった。
僕は、あまりに卑屈になっていたから気づかなかったが、春、だったのだ――
「ねえ、あれ、どうしたの?」
隣を歩く狗川は、少しだけ赤面し、僕の顔を覗き込む。
あれ、とはパンツのことであろう。
僕がポケットに入れられてから特に話題にしなかったため、彼女の意外に思ったのだろう。
「ああ、パンツ穿き忘れてた女の子がいたから、あげちゃったよ」
僕は正直に言った。
彼女は首を傾げて、少し残念そうな表情であった。
「勿体ないことをするのね…‥」
僕は意外だった。
彼女が、僕の言葉を疑わない。
よく、パンツ穿き忘れた少女の存在を信じるな、と思った。
もし僕がそんな話を聞いたら、まずそんな話をする奴を疑う。
彼女は、僕を信用してくれている、ということなのだろうか。
というか、どのようにあのパンツを取り扱えばよかったのだろうか。
「まあいいわ、しかし――変な子もいるものね」
それ、あなたが言いますか。
「あ、今の台詞を聞いて、お前が言うなってツッコミを入れたら、負けだからね」
自覚してらっしゃる?!
黒さんは自分が、まあまあ変なキャラと思ってらっしゃる!?
まあ、変なキャラだから、僕を好きなのかな。
それとも、わざとキャラを作ってるのかな。
でも、本当に今日は彼女のせいで―
いや、彼女のおかげで――
「ぷっ…‥は、ははは!!」
僕は笑いが込み上げてしまった。
だって、有り得ないことばかりで、おかしいんだから。
今までの自分の悩みが、おもいきり矮小であるように感じられた――
「ひひふふっ!有り得ないし!だってポケットにパンツ入ってんだよ?!しかも、宙ぶらりんのノーパン美少女もいるし!なんだかやばっ、ツボにハマったあっ!!」
僕が思い切り笑うので、彼女は満足そうに、静かに笑う。
「いきなりね、逸珂クン。でも、そういう突拍子もない所も、しゅきよ」
突拍子もない彼女が真顔で噛んだので、隣を歩く僕は更に笑ってしまった。
「あっ!!笑わないでよ逸珂くん、噛んじゃうのは仕方ないんだから!!」
彼女は噛んだことに気づいた様子で、赤面し、僕のにやけた顔を両手で押さえた。
珍しく慌てているようすで、彼女も気にしているようであった。
意外な一面である、多分、大切な台詞ほど噛んでしまうのであろう。
「ご、ごめ!!でも…‥やば、まだ腹いた…‥パンツがっ面白ッ!!」
彼女を笑うつもりはない、が、まだ僕は笑っていた。
「もう、でもいいわ。あなたの笑顔が見れてよかったわ」
彼女は僕の顔から手を離し、ふふっ、と満足そうに笑う。
僕は、こう思った。
生きてるって、楽しいのかもしれない。
生きていても苦しいことだけしかない、と思っていたが、違うのかもしれない。
黒は、明日は何をしでかすんだろう。
僕には全く予想がつかない。
だけど、いや、だから面白い。
きっと明日からも、こんな日々が続いていくのだろう。
僕は心から、そう願いたい。
なんか、最終回みたいなモノローグで今日という日を締め括るが、次回に続く――