第21話 僕は…‥君の彼氏だ!
―1―
狗川黒は戦っていた。
全ては、約束のために。
学校で、僕と手を繋ぐために。
僕と、学校でキスをするために。
それを許さない生徒会と、真っ向からぶつかっていたのだ。
そして、鬼ヶ島会長に連れさらわれた。
黒のデストラグル能力『終焉の漆黒』を、彼は悪魔の完全封印に利用したいらしい。
そんな勝手な理由、僕は許せなかった。
「まさか!!」
猿白の家の前の道路に立つ僕は、スポーツバックを取り、そこに付いていた小さな袋を見つめる―
この袋は、彼女が僕の家を探すために勝手に取り付けた、五色米が入った袋であった。
僕は、それを凝視する。
やはり、そうか―
この袋は、僕がいぬくろちゃんと別れるときにあげた、リボンの布が使われていた。
彼女は、狗川黒は、最初から、こんなにも不器用なヒントを出していたのだ。
わかんねえよ、これ。
昔からそうだけど、君は、何でも出来るのに、不器用過ぎるよ。
そこが、かわいいんだけどさ。
そこが、ほっとけないんだけどさ――
「いぬくろちゃん…‥僕は!」
僕は、走り出していた。
学校へと続く街中を、わき目もふらず、駆け抜ける。
もう、迷いはない。
彼女は、僕との約束を守るために、戦ってくれた。
だから、今度は、僕が約束を守る番だ。
「先輩!」
砂麦が、後ろから馬車の如き猛スピードで追いかけてくる。
「ごめん砂麦!君は普通に授業に出てくれ――出席しないと単位ヤバイんだろ!?」
僕がそう叫ぶと、彼女は立ち止まった。
そして、どんどん僕と距離が遠くなっていく。
「…‥分かったっス!」
振り返り、そう叫んでいた彼女を確認し、僕は一層速く走った。
猿白砂麦、君も僕は守る。
あんなにぞんざいな態度で別れた僕を見つけだしてくれて、どん底だった僕を助けてくれた、好きでいてくれた、君を。
だから、そのために僕は戦う。
僕は男になったから、もうデストラグル能力なんてない。
だけど、僕はどんなに非力でも、どんなに勝ち目がなくても、戦わなきゃいけないんだ。
僕は、狗川黒と約束したから。
僕は彼女達の恋人だから。
だから僕は戦う、生徒会長と。
「はぁ…‥くそッ」
僕は、長い桜並木を抜け、校門を通過し、ようやく校舎の前に広がる校庭へと辿りついた。
きっと、いや、確実にやつは生徒会室にいる。
なぜなら、奴は生徒会長だから。
そして、彼が『ダークモノリス』の中の悪魔を封印するとしたら、考えられる居場所は、生徒会室しかない。
眼前にそそり立つどこから見ても普通の高等学校の上空にある、『聖なる空中庭園』に、彼は確実にいる。
「待ってろぉ…‥生徒会長、鬼ケ島千草ぁ!」
僕は、まだ誰も登校していない、静まりかえった学園の校舎に向かって叫んだ。
おお、なんか今、凄い主人公っぽいぞ、僕。
そうだ、僕は主人公なのだ。
これがバトル漫画なら、僕は確実に主人公だ。
だから、なんとかなるかもしれない。
ちゃんと補正が入って、あの童貞を、どうにかして倒せるかもしれない―
―2―
数分後のことである。
生徒会室に、僕はいた。
その生徒会室『(エンジェルガーデン)』は、大きく姿を変えていた。
ここは以前来たときは、この世のものとは思えないくらいに美しい花々に囲まれ並び立つ二つのモノリスを中心に十字の形を描くように、床にタイルが張られている通路になっており、タイルが張ってある部分意外の場所は草木が生えていた。
というか、数分前まではその形であったのだ。
しかし、今、巨大な二つの石版『セントモノリス』と『ダークモノリス』は宙に浮かび、その下には6メートル四方の四角形の純白のリングが出来上がっており、その外は誰もいない観客席に変化し、『聖なる空中庭園
エンジェルガーデン
』全体が、巨大な特設ステージになっていた―
「驚いたよ、まさか君が来るなんてね――桃山逸珂くん。だが、これは――何の冗談だい?」
その特設リングの、丁度真ん中に、僕と、鬼ヶ島はいた。
鬼ヶ島は、両足で踏ん張ってリングに立っている僕の首に両足を絡めつつ、両腕を思い切り万歳の格好のまま握り締めて僕の肩の乗っている。
頚動脈が確実に締め上げられていく。
両腕の間接が、あらぬ方向に曲がっていく。
両足が、がくがくと震えて、今にも膝をつきそうになる。
凄まじく、痛い。
「僕も驚いてますよ、本当に…‥」
こんなに勇気を振り絞れることに、僕は驚いていた。
今、僕は、あの生徒会長鬼ヶ島に、一歩も引かずに、膝もつかずに、戦っている。
昨日までの僕では、考えられないほどの勇気であった。
昨日の僕だったら、ジャンピング土下座で黒を自分と引き換えに返してくれるよう懇願するのが、限界だったと思う。
しかし、今日の僕は、彼と戦っていたのだ。
その事実に、一番僕が驚いていた。
「こんな…‥はずでは――」
それと共に、自分自身の主人公補正のなさに、驚いていた。
こういうものは、心意気でなんとかなるものだと、思っていたからだ。
全然、どうにもなってなかった。
「ぐうぇっ…‥」
生徒会室のドアを蹴破るところまではよかった。
いや、玉座に座る鬼ヶ島を思い切り挑発し、彼がデストラグル能力(なんだろうな、恐らく)で出現させたこの特設リングに颯爽とリングインして、メンチを切るところまではよかった。
白ランを脱ぎ捨て、白い制服のズボンと、やっぱり白いタンクトップの戦闘スタイルとなり、腰の刀をコーナーポストに突き刺してリング中央に立ち、ボクシング風のファイトスタイル(だと思う)をとる鬼ヶ島を前にして、一歩も引かなかったのも、素晴らしい勇気の賜物だと思う。
主人公らしく黒い学ランを脱ぎ捨て赤いTシャツと黒いズボンの姿となり、頭上に浮かぶ黒光りする大理石のような形状に変化し、緑色に輝く『ダークモノリス』に両手と腰から下を吸収されたまま固定され意識を失っていた制服姿の狗川黒に「もう大丈夫だ黒!!僕が…‥絶対君を助ける!」と叫んで勇気を振り絞り、闘志がギラギラと燃える瞳で鬼ヶ島を見据えながら拳を構え、誰が鳴らしたかわからないゴングと共に駆け出した僕は、バトル漫画の主人公のようにかっこよかったと自負したい。
しかし、ゴングが鳴ってから数秒後、彼は僕の背後をとり、背中から僕の肩に乗ったのだ。
そして、両腕の間接を万歳の格好で極められ、全く脱出出来ずに現在に至っている―
「で、君は生徒会に入ってくれるのかい?」
この期に及んで、彼はわかり切ったことを訊いてきやがる。
大体、生徒会は童貞の集団ではないか。
僕を入れる気など更々ない癖に、この男は、こういう事を言うのだ。
どうせ彼は今、僕の肩の上で勝ち誇ったような微笑を浮かべているに違いない。
首を絞められて確認は出来ないが。
うぜー。
「ノーですな!」
容赦なく絞まり続ける咽喉から、僕は声を張り上げる。
「君は万歳の格好をしているけど、これは降参という意味かい?」
まだ訊くか。
絶対ニヤニヤ笑ってるだろ。
超うぜー。
「ノー…‥です…‥な!」
声が絶え絶えになっているが、それでも僕は明確に拒否する。
降参なんて、死んでも嫌だ。
ネバーギブアップだ、この野郎馬鹿野郎。
「じゃあ…‥ちょっと消えてくれないかい?」
彼は、自分以外の意にそぐわない全てに、そう思っているに違いない。
消えて欲しいのだ。
以前の僕なら、少しは分かったであろう、その気持ち。
自分以外の人間が妬ましい、うっとおしい、うざい、消えてくれ。
死ね、壊れろ、くたばれ、なくなってしまえ。
そう思っていたのだ、僕も。
だけど、そんな僕を変えてくれた二人のために、僕は反撃しなければいけないのに―
「断じ…‥てノーだ…‥」
言葉とは裏腹に、僕の全身から散々振り絞っていた力が抜け、膝が地面につきそうになる。
折れないように踏ん張っていた両腕も、力が一気に抜けていく。
その時であった―
「…‥ううっ」
僕の頭上から、小さな呻き声が聞こえた。
それは、ブラックモノリスに縛り付けられた狗川黒のものであった。
僕が散々叫んだから、意識が少しだけ戻ったのであろう。
「黒っ!!」
僕は、思い切り頭上を見上げた。
思い切り絞め付けられているというのに、僕は彼女を見つめたのだ――
「いつ…‥くん…‥」
黒は、泣きそうな顔で、僕の名前を呼んでいた。
その姿が、幼稚園の頃の彼女と重なる。
強そうに見えるけれど、心が脆くて、不器用で、それでも未来に希望を見出して僕と別れた彼女を、僕は思い出だした。
この現実が、彼女の願った未来が壊れた姿なのだろうか。
「たすけ…‥て――」
否。
断じて、否。
そうじゃない、彼女が願っていた、もっと暖かくて、優しくて、それでいて、未来は、まだ、壊れちゃいない。
だって、まだ彼女は生きているんだ。
一番大切な親に、死ねと言われても。
本当に、死にそうになっても。
その親が逮捕され、施設に行くことになっても。
彼女は負けずに生きてきたじゃないか。
そして、僕も、今、まだ生きているじゃないか。
なら、まだ、未来はある。
今からだって、十分間に合う、間に合わせる。
「あ…‥ああ!いぬくろちゃん!」
僕は、頭上の彼女に言うと、彼女はこくん、と頷いて、再び意識を失った。
その顔に先ほどまでの不安の色はなく、まるで幼子が昼寝をしているかのように、安らかなものであった―
「いぬくろちゃんは…‥僕が…‥助ける!」
そうだよ、僕は、バトル漫画の、この世界の主人公なんかじゃない。
そんなの、子供の発想じゃないか。
世界は皆のものだ、僕のものでも、もちろん鬼ヶ島のものでもない。
僕は、ただの人間だ。
だが、僕は、僕という物語の主人公だ。
桃山逸珂という人間の、物語の主人公だ。
その物語は、二人のヒロインがいて、その少女達と共に僕が歩んでいく、人が起こした奇跡の物語。
愛しくて、恋しくて、楽しくて、おかしくて、ふざけていて、それでいて、どうしようもなくかけがえのない物語の、主人公なのだ。
それだけで、沢山だ。
それが僕の発想だ。
誰かが聞いたら笑うかもしれない、否定するかもしれない、それでもいい。
だが、僕は胸を張って誇りたい、僕が僕であることを。
そして、そう思えるようになったのは、黒と、砂麦のおかげだ。
だから、僕の物語をここで終わらせるわけにはいかない。
この物語は、絶対にハッピーエンドにしなければ、ならないのだ――
「僕は…‥君の彼氏だ!」
僕の中で、なにかが弾ける。
全身に、僕自身でも計り知れないほどの力が漲るのを、感じた。
世界で一番幸せな童貞の物語は、どうやら、もう少し続くようであった――
つづく