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第17話 バナナの皮を踏んでしまった。

 ―1―


 そこは、彼女の部屋だった。


 フローリングの床の、真新しく、少女には少しだけ広い部屋。

 壁にはかわいい栗色の猫が眠っているポスター、窓には花柄のカーテンがあり、木製のベッドには白いシーツと布団があり、枕元には赤いリボンを額にテディベアがいた。

 勉強机の上には様々な料理の本やマンガ本が散在し、タンスも置いてあり、その上にはこの前作っていたガンプラが置いてあった。

 そんな、ファンシーな部屋で、学ラン姿の僕はテーブルの前に座って、セーラー服のままの猿白と鍋を囲んでいた。

 鍋の中には、鶏肉のダンゴや鶏肉、葱に白菜に白滝、などなど、とりあえず色々なものが入っている。

 そう、猿白の提案で、学校帰りにスーパーにより具材を購入し、僕達は鍋を食べていたのだ。

 あんなことがあったばかりなので最初は拒んだのだが、彼女がどうしても、というので、そうしていた。

 彼女も、僕を思ってのことであろう、だから、僕は彼女の言うとおりにしたのだ。


「なぁ猿白ぉ~もぉ僕はいやだぁ~」


 僕は真っ赤な顔で立ち上がり、千鳥足で猿白に接近し、彼女の膝に顔を埋

うずめた

める。

 柔らかい、そして、制服のスカートの感触も、よい。

 思考が遅く、体がふらふらとして軽く、熱い。


 そう、僕は飲酒をしてしまっていたのである。

 

 勿論、校則どころか法律違反である。

 良い子も悪い子も真似しないで頂きたい。

 そして、良い子にも悪い子にも普通の子にもお飲酒を勧めないでいただきたい。

 僕が言えたことじゃないが。

 

 僕も、飲酒など、するつもりはなかった。

 しかし、仕方ないのだ。

 猿白の父さんが大量に買い込んであったという冷蔵庫の中のチューハイを見て、ああ、これを飲めば少しは楽になるのか、と思ったのが、発端であっtあ。

 魔がさしたのだ。

「うぃぃぃっ…‥」

 もう、嫌だ。

 何もかもが、嫌だ。

 だから僕はシラフな状況であることを拒んだ。

 もー本当に、このまま酔っ払っていたい。

 初めてのアルコール類で、思考が鈍るが、それがいい。

 もう、考えたくないのだ、色々なことを。

「先輩、もうお腹いっぱいっスか?」

 猿白が僕の顔を覗き込む。

 膝まくらをされ、とても頭が気持ちいい。

 ああ、もう、本当に何でもいいや。

「まだ食べたい~」

 まるで赤ん坊のように、太股にスリスリと頬をすりよせる。

「ふふっ、甘えんぼさんがいるッス。はい、あーんっ」

 ああ、なんか眼前にポニーテールの女神がいます。

「あ~んっ」

 僕ははふはふ言いながら、彼女が箸でつまんだ鶏肉を食べる。

 あったけぇ。


「猿白ぉ…‥転校しようよもう~あそこヤダよ、マジで。くそウザい童貞会長を筆頭に童貞処女軍団

せいとかい

が独裁してるしッ!!最低だよッ!!」


 僕はそう言い、どんどん、と床を叩いた。

 既に、僕の周囲で起きていること、この学校で起きていることは猿白に全て話した。

 そして、それが今は酒が回り、愚痴になっていた。

 しかし、なんて甘い匂いなんだろう。

 この部屋にもファンスィーな匂いが充満しているが、猿白本体からは、それを何倍にも濃くしたような香りがした。

 もう、なんでもいいや。


「明日、黒先輩を何とかつかまえて、初鮫先生に相談しましょ…‥ね?」


 猿白の言葉使いが、普段の気さくなものから、母性に満ちたものへと変わっていた。

 この状態の猿白は普段の二倍増しの可愛さだ。

 というか、どストライクだ、普段もかわいいんだが。

「うん…‥僕は、猿白の言うとおりにするー」

 しかし、うちの学校の先生達の無能さ、無責任さといったらないな。

 あのチビスケな初鮫先生だって、転校の相談くらいのってくれるだろうけど、本来なら、もっと今回だって介入してもいいはずだ。

 ほんっっとに大人って奴は、保守的で、自分だけが大切な奴らばっかりだ。

 自分達が危ないと思ったら、平気で生徒達を放置しやがる。

 あの事件のときもそうだ―


 『血の一年生歓迎会』


 ―2―



 僕達の学年は、入学してきた当時、不良達が三割、という、どうしようもない人間達の集まりであった。



 彼ら不良達は、入学当初、この学園を取り仕切ることなど簡単だ、と豪語していた。

 上級生に不良がほぼ、いなかったからだ。

 だから、彼らは入学式で壇上に上がり、他の生徒達に迷惑をかけまくった。

 上級生はその光景をみて、ただただ、怖れていた、不良達ではないものを―

 そして、入学式の次の日、『一年生歓迎会』が行われた。

 生徒会の主催で、体育館で行われたそれは、大帝都学園という組織の在りようをこれ以上ないほど表現していた。

 なんと、入学式を妨害した主犯格である13人の不良生徒達が壇上の上に設置された十字架に磔にされてリンチにされ、残りの不良達は生徒会メンバーと一対一の戦いを強いられた。

 それを、生徒会は見世物のように行い、僕達を戦慄させた。

 流れる不良達の血は、広い体育館の床を赤く染め、今でもその跡が残っている。

 その時、先生達は何もしなかった、生徒の自主性を尊重する、という理由で。

 僕達の学年は先輩達の中になぜ不良がいないのか、入学式で何を怖れていたのか、ようやくそこで理解した。


 この学園にとって、生徒会は全ての決定権をもつ絶対の組織であり、僕達はそれに従うしかないのだと―



 ―3―



 圧倒的な力による、一方的な粛清。


 それが、『血の一年生歓迎会』の全容だった。

 そんな狂気に満ち満ちた学園で、いちゃいちゃしつつ、学業を全うすることなど、初めから不可能だったのだ。

 誰だよ、シナリオ書いたヤツ。

 狂ってるよ。

 バイオレンスでアナーキーだよ。

 なら僕は、いつまでも、こうしていたい。

 もう、彼女の太ももに住もうかしら。

「だって僕は猿白の彼氏だし~ねえ?」

 それもいっそ、それでいいかもしれない。

 このフトモモの感触をいつまでも、味わっていたい。

「うん、逸珂先輩は私の彼氏だから…‥いちばん、好きだから――」

 猿白は、僕を受け入れてくれるから。

 彼女は、僕を包んでくれるから。


「猿白~もう、何も考えたくないよぉ~僕はもう限界だよぉ…‥本当に…‥」


 僕はテーブルの上に置いてあるチューハイを手に持ち、ちびちびと飲む。

「センパイ…‥辛かったんですよね、本当に辛かったんですよね――」

 そんな僕の髪を、彼女は優しく撫でる。

 柔らかい指の感触が、心地よい。

「僕はいつもそう、小さい頃から誰もこうしてくれなかった――母さんだって、僕より仕事が大事だったんだ」

 そう、結局人間なんて、一番自分が大切なのだ。

 だから、僕が僕を一番大切でいて、何が悪い。

 僕は悪くない。

 悪いのは、この歪んだ世界全体だ。


「だから僕は一番になりたいんだ、一番好きでいてほしいんだ。こんな最低の状態になっても…‥絶対に嫌いにならない、そんな絶対的な愛が欲しいんだ」

 

 僕は秘めた思いを吐露する。

 それは、産まれたて赤子と同じものである。

 それは分かっちゃいるんだ。

 だけど、仕方ないじゃないか。

 僕は、本来与えられるべき愛情を、与えてもらえなかったのだから。

 歪んでも仕方ないのだ。

 そうでなければ、弱い僕は生きてこれなかったのだ。


「先輩はずっといちばんだったんですよ、私にとって。だって、あなたに助けられた命だから…‥」


 猿白は、僕を見下ろして、優しく微笑む。

 その微笑は、まるで女神であった。

 いや、本当に女神なのかもしれない。 

 ああ、女神さまなのだ、彼女は。

 三本目のチューハイを空にした僕は、すりすりと彼女

めがみ

のお腹に顔を擦り寄せる。

 すると、彼女はくすぐったさそうに体を震わせる。


「だから、私は先輩を否定しませんし、嫌いになんてなりません…‥私は、先輩の女です」


 ちゅく、と、彼女は僕のおでこに昆布ダシの匂いのするキスをして、二号だけれど、と笑った。

 どうせなら唇のほうがよかったかな、と思いながらも恍惚としていると、彼女はそれを察したのか、柔らかい右手の指先を、僕の口の中に侵入させる。

「猿白…‥きもちいぃ~ゆび、やわらけ~」

 まるでマシュマロのような指を甘噛みして、僕は目を瞑った。

 本当に、このままでいたい。

 しゃぶっていたい、彼女の指を。

 なんだか、体がぽかぽかして、温かい。

「はうっ…‥歯並びいいですよね、センパイ」

 しかし、僕は甘噛みし過ぎていた。

 僕は飲酒をしていたため、なんとなく、こみあげてくるものを感じた、しかも、一気に。

 我慢できない。

 やばい、これは非常にまずい――




「ううっぷ…‥」




 なんてことであろうか。

 僕は膝枕の体勢のまま、彼女のスカートと太ももに戻してしまった。

 女神のお召し物を、汚してしまったのだ。

「きゃっ」

 さすがの猿白も、驚いて小さく声をあげる。

 僕は、酔ったままではあるが、彼女の膝枕から離れ、土下座した。

 それはもう、深々と土下座していた。

 頭が、真っ白になっていた。 

 嫌われてしまう。

 流石に、これはまずい。

 どうしよう。

 怒られる、嫌われる、幻滅される。

 捨てられる。

 母や父が、鳴かず飛ばずの僕を見限ったように。

 僕を好きじゃなくなる、一番じゃなくなる。

 嫌だ。

 僕は、なんてことをしてしまったんだろう。 

 全てが、一瞬にして、奪われた。

 いや、自滅だ、墓穴だ。

 僕のせいだ、全て僕のせいだ。

 僕が…‥

「ごっごめ!!猿白…‥僕は!!」

 土下座したまま、何回も謝罪の言葉を口にする。

 猿白は、驚いた表情のままテーブルの上の雑巾でスカートの上の僕のリバースをひとまず集める。

「だ、大丈夫です。ちょっと、驚いちゃったけど…‥」

 そう言いながら、彼女は立ち上がり、その場でスカートをするすると脱ぐ。


「もう、大丈夫だから。不安なことなんて、ないから。センパイは、安心してください…‥ね?」


 そして再び、あの女神のような微笑をたたえ、部屋の照明を背にうけながら、僕を見下ろした―


「さ…‥猿白…‥砂麦…‥君は――」


 いや、女神のような、ではない。

 僕は確かに、彼女の姿に、女神を見た。

 彼女は、女神だ。

 こんな最低な、本当にこれ以上墜ちることのないほどに最低な僕を赦し、愛し、包んでくれる。

 彼女を女神と呼ばずして、何を女神と呼べばよいのだろうか。

 僕を助けてくれる、絶対的な愛。

 それは、僕の小さな世界の、唯一の希望、光だ―

「あ、ありがとう…‥」

 彼女に汚れた学ランとシャツを脱がされ、上半身裸になった僕は、ただただ、感謝の言葉を口にしていた。

 それしか僕には出来なかった。

 それしか出来なかったのに、僕は今、幸せだった。


 絶対的な存在が、眼前にいるのだから― 

「猿白ッ!」

 僕は、猿白を抱きしめようと彼女に抱きつこうと一歩を踏み出す。


「あっ…‥」


 が、その一歩で僕はバナナの皮を踏んでしまった。

 なんでそこにバナナの皮が置いてあったのかは分からない、僕も猿白も食べてない。

 バナナでコケルなんて、コントかよおい。

 

「せっ!?先輩っ!?」

 驚く猿白の声が、遠くに聞こえた。


 そして、僕の意識は黒い渦の中に消えていった――



 ―4―



「なんでお母さんは、いつも家にいないの?」



 物心ついた時に、僕は母にそう訊いていた。

 


 母が僕を抱きしめたのは、たった一回だったという。

 赤子の頃のことは知らないが、確かに、僕は母に抱きしめられたことがないように思える。

 僕は生まれたときにだけ抱きしめられ、あとは、何もなかったのだ。

 母は仕事をしており、僕を産み、体力が戻らないうちから病院で仕事をし始め、そして、退院と同時に職場に復帰した。

 僕の育児は、じいちゃん(故人)と保育園の保育士さんが行ってくれたのだ。

 だからであろうか、僕はひどく他人の体に触りたがる子供だったようだ。

 そんな子供が、周囲の人間に受け入れられるわけもなく、僕は先生からも煙たがられるプチ問題児であった。

 保育園のお迎えの時間が、一番嫌いだった。

 なんで、他の子はお父さんとお母さんが迎えに来てくれるんだろう。

 なんで、あんなにくっついているんだろう。

 なんで、僕の母さんはいつまでたっても、むかえにきてくれないんだろう。

 別に、迎えに来てくれる祖父が嫌いだったわけではないが、数々の疑問を抱えた幼い僕は、夜遅くに帰ってきた母に訊いていたのだ。

 なんで、家にいないのか、と。



「それはね、お母さんは、あなたが愛おしいと思えないからよ」



 背中を向けながら、母は、そう答えた。

 その時の僕は幼く、その意味がよく分からなかった。

 少し大きくなるまで、母の言葉の意味を、その残酷さを理解できなかったのだ。

 産んでは見たものの、母にとって僕は全てではなく、自分の人生を食い潰す、邪魔者だったのだ。

 邪魔だから、せめて、いい子であってほしい、自分の邪魔はしないでほしい、そう、願ったのだ。

 不幸中の幸いだったのは、母が、息子に愛がないことを十分理解し、自覚していたことであろう。

 偽りの愛は次第に歪む、傍にいたくもないのに傍にいたら、憎しみに変わる。


 そして、その答えが、僕を次第に歪ませていった。

 

 なぜ、僕をつくった。

 避妊に失敗したのか。

 いや、社会的な立場から結婚し、子供をつくったのか。


 どうして、ここに僕がいるのだ。


 愛し合って、生まれた尊い命が、僕ではなかったのか。

 それが違うと知ったとき、僕は納得した。

 僕は多分に怠惰であったが、それは、仕方のないことだったのだ。 

 むしろ、そんなに世界から疎まれている僕ならば、生きているだけで素晴らしいではないか。

 僕は、他の人間よりも、生きている価値があるのだ。

 他の人間は恵まれているから、生きていて当たり前、努力が出来て当たり前、しかし僕は、生きているだけで素晴らしいのだ。

 だから、どれだけ他人が泣いていても、僕が笑えればいい。

 僕が笑顔になれるなら、他の人間は、泣いていていい。

 だが、現実は厳しい。

 僕以外の人間は笑っていた、笑いながら、他人と手を取り合い、僕が与えられなかった愛に満ちた人生を歩んでいく。

 僕は、そんな奴らを見るたびに、灰色の涙が流れてしまった。

 どんどん、世界から色が消えていくような、感覚。

 もし『力』があれば、僕は幸せそうな奴らを、片っ端から、消していったであろう。

 粛清し、殺戮し、皆が平等に、ルールに則って生きる世界。

 しかし神は、それをなす力を僕に与えなかった。

 僕は、羽をもがれた黒い天使だったのだ。 


 だから、死にたかった。


 投身、入水、首吊り、等々。

 色々な願望が、逃避したい思いが僕の胸の中で渦巻き、世界への怒りのマグマと融解し、心の中に混沌

カオス

を生み出す。


 だが、僕は死ななかった。


 それで、よかったのだ。

 

 生きていて、よかった。 


 生きていてよかったのだ。

 僕は、生きていてよかったのだ。

 死なないでよかったのだ。

 モノクロの世界は、今、終わる。

 彼女が、僕の歪んだ物語を終わらせてくれる。

 そのあとに何があるのかはわからない。

 大切なのは、今。 


 もしも、とか、だったら、とか、そういう仮定の話ではなく、僕が選択し、そして、直面している今なのだ。

 折れても曲がっても、ゲロ吐いても、バナナでコケても愛してくれる人がいる、そんな僕が生きている、今なのだ―




18禁版ではここからが濡れ場だったんですが、某知事が規制するのでバナナを置かざるをえなかったのです。

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