第13話 だめっこんな所でっ
―1―
昼休みのことである。
僕と猿白は向かい合って、今、元々は二つであったものを、一つにしようとしていた――
「せっ!!先輩だめっ…‥こんなトコで合体なんて!!」
「猿白のと、僕のをくっつけるだけだから、そっちは動かなくていいよ」
「そ、そうっスか…‥!?」
眩しい太陽の光が差し込む、教室の窓際の、一番後ろの席。
それは、猿白砂麦の席である。
「そりゃ、ただ席をくっつけるだけだからね…‥」
そして、その席に、僕は自分の机を密着させ、猿白と合い向かった。
彼女はピンク色の袋から、重箱に近いサイズのお弁当箱を取り出し、くすす、と笑う。
お弁当箱は花柄で、フタの部分にはシャボン玉を吹いている二人の妖精が向かい合っており、かなりファンシーなデザインであった。
どこに売っているのだろうか、そういうデザインのものは。
とりあえず、ホームセンターにないのは明らかである。
「…‥」
黒は今日も、昼休みになったら、すぐどこかに行ってしまった。
呼び止める隙すらなく、どこかに。
だから、僕は猿白と昼食をとるために、こうして机を合わせて、向かい合っている。
クラス内の数人の視線が注がれるが、僕はとりあえず気づかないフリをしていた。
「あ、先輩、私作りすぎちゃったから、よかったら食べてくださいっス」
彼女は、そういう視線を、本当に気にしていないようであった。
「そうなんだ、じゃあ、もらおうかな」
彼女が差し出した可愛らしい弁当箱の中を見ると、確かに女子高生が食べるには少しだけ多い量であった。
卵焼き。
タコさんウィンナー。
ハンバーグ。
メンチカツ。
ご飯。
どれも美味しそうである。
台詞から察するに、彼女が作ったものであろう。
「まあ、計算通りなんですけど」
彼女は得意げに微笑み、フォークでタコさんウィンナーを軽く刺し、くるくると回した。
「計算してるんだ…‥って」
僕は動揺を隠せず、思わず二度見をしてしまった。
彼女は、僕の口元にタコさんウィンナーを差し出して、にこにこと笑っていた。
「ふふっ先輩、どうぞっ!!」
そして、彼女は頬をその弁当箱のようにピンク色に染め、あーん、と口を開いた。
「さ、猿白っ…‥みんなが見てるし、男女間の接触は校則違反じゃ…‥」
僕はそのウィンナーを拒もうとするが、彼女は構わずに目を閉じ、フォークを更に直進させた。
「直接触れてないッス、ノープロブレームっス」
そうきたか。
確かに、このまま僕がパクリと食べても、校則には触れない。
「そ…‥そりゃ、そうだけど――」
と、いいつつ、僕は自らに迫るそのタコさんウィンナーを口にした。
そして、恥ずかしながらも、彼女の作ったそれを咀嚼し、嚥下する。
「…‥あ、うまっ」
正直な感想が口をついて出た。
美味しい。
ウィンナーをただ温めただけじゃなくて、何か味付けがされているんじゃないか、おそらく。
「…‥おいしいっスか?」
「うん!猿白、料理上手なんだ!!」
猿白は、恥ずかしそうに小さくなりながら、こちらを見つめる。
「えへへ…‥褒められちゃったっス」
そして、今度はフォークにミートボ―ルを突き刺し、僕に向かってゆっくりと近づけていく―
「ま、またやるんだ猿白……‥恥ずかしいな、もう」
と、言いつつ、僕は口を開けて、目を閉じた。
次の瞬間であった。
目を閉じた僕の前の方で、ガラスが砕ける音が聞こえた。
クラス内の女子が、ぎゃああ、と叫ぶ。
男子も悲鳴をあげる。
「って―なんじゃあっ!?」
僕も目を開き、叫んだ。
猿白の後ろの窓を破って、死体みたいな『何か』が飛来したのだ。
その『何か』は、黒い闇に包まれており、無数のガラス片が突き刺さっていた。
「な、なんなんすか―って」
そして、猿白も振り返り、その『何か』を確認する。
「ひひいっ!?」
驚く猿白の持つスプーンが、僕の眼球に直撃した―
「うぎゃあああああああ!!」
僕は、多分クラスの中で一番大きい悲鳴をあげた。
―2―
死ぬかと思った。
とりあえず、目は大丈夫であった。
「危うく失明するところだった」
「す、すみませんっス」
僕と猿白は、窓の外から飛来してきた『それ』を見下ろしていた。
クラスの皆は、あまりの事態に教室の外に逃げ出してしまい、教室の中や周辺には野次馬すらいなかった。
しかし、ま、まだ眼球が痛い。
「猿白のせいじゃない…‥誰だって驚く、こんな事―」
僕は、泣きそうになっていた猿白をフォローした。
彼女のせいではない。
そう、『こんなもの』が落ちてきたら、誰だって驚く――
「あ…‥先輩方、こんにちはございます…‥着地、失敗ですね、ボクとしたことが」
力なく笑い、蚊の鳴くような声で挨拶をしたのは、生徒会四聖天の一人、知床寝床であった。
この覆面で顔を隠し、不健康そうな体躯をしている少年を、僕はこの前のホームルームで一度見ているため、彼がただガラスを割って登場しただけならば、特にここまで驚いていない。
僕が驚いた理由、それは、彼を包む黒い学ランはボロ雑巾のように破け、そこから覗く白くて華奢な全身は黒いマダラ模様に染まっており、右腕が欠損していたのだ。
欠損した右腕の先からは、全身のどす黒い液体が垂れ流されており、『可死』と縦に、その下に『911』と横に書かれた紙に隠れているため表情は読み取れなかったが、露わになっている口元は、苦悶し、震えていた。
僕は、そんな状態の彼に驚き、恐怖を感じながらも、目が離せなかった。
生徒会メンバーを放ってその場から立ち去り、後で面倒なことになるのが嫌、というのも大いにあったのだが。
「ど…‥どうしたんだ?せ、生徒会四聖天は、強いんじゃ…‥」
そうだ、四聖天をここまで追い詰めることが出来る人間なんて、この学校にはいないはずだ。
いるとしたら、もうこの学校に生徒会はない、既に革命が起きているであろう。
しかし、眼前の彼は、どう見ても―
「あはは…‥いやぁ、そんなボクもやられてしまいまして、例の生徒会メンバーを連続で襲撃してる奴に…‥ほら、この前ホームルームで話したヤツ」
寝床は弱弱しく笑いながら、残った左腕を使い、器用に立ち上がった。
「これも…‥『デストラグル能力』なのか?」
僕は恐る恐る、寝床に問いかける。
こんなことが出来るのは、それしか考えられなかった。
「は、はい…‥なんか、黒いドロドロの液体を自在に操る奴でした…‥激強ですよマジで。顔とか、全く見えなかったけど…‥」
寝床はそう言い、まあ、会長には勝てないでしょうけど、と付け足した。
「腕…‥大丈夫なんスか?」
猿白が僕の制服の袖を掴みながら、恐る恐る問いかける。
「あ、まあ大丈夫です。すぐ生えてきますから。ボクは不死能力『無限再生
ネバーエンディング
』が会長に気に入られて、四聖天に選ばれたんで、再生だけは得意なんですわ」
そういうもんなのか。
なんでもありだな、本当に。
しかし、痛みを遮断できないのは不憫だな、と 僕は思った。
どうせ不死身ならば、痛みなど不要であろうに。
「戻るのか?」
僕が訊くと、寝床は首を横に振り、にやり、と不敵な笑みをもらす。
紙により顔が見えないので、不気味である。
「……‥いえ、桃山先輩、あなたに伝言があるんです。生徒会長からの」
僕は、自分の体が強張ったのを感じた。
「ぼ、僕にか…‥」
なぜ、このタイミングなんだ。
そして、なぜ、僕なんだ。
僕は、関係ないはずだ。
黒と計音委員長との戦いでは、こちら側に非はなかった。
そして、僕はルールを破っていない、生徒会長に呼ばれる理由が分からない。
「そう、桃山逸珂先輩、あなたです」
しかし、寝床はにやりと笑いながら僕を指差す。
間違いなく、僕を指差している。
僕は上級生だというのに指を差すな、このエヴァみたいな猫背の野郎は。
とりあえず、敬うという言葉は、この少年の辞書にはないのだろう。
社会に出てから苦労するぞ、僕が言えたことじゃないが。
「放課後、一人で生徒会室に来て下さい。だそうです、これを伝えようとしたら、突然襲われまして…‥」
「な、なんで…‥僕が」
「さあ、僕には分からないです…‥というか、保健室、行って来ますわ…‥やべ、死にそう」
知ったことではない、といった様子で会話を切り上げ、寝床は急ぎ足で廊下へと駆けていく。
死にたいんじゃなかったのか、彼は。
ただの死にたい死にたい言っているだけの近頃の若者なのか、僕が言えたことじゃないが。
「だ、大丈夫っスかね…‥」
猿白が、少し不安そうに呟く。
「ヤツは大丈夫だろう、死なないみたいだし」
「いえ、彼ではなく…‥先輩が、でス」
猿白が、僕の手を握る。
ルールなど、知らない、といった様子で、僕の手を、強く、握り締める。
そんな彼女の手のひらは、柔らかく、暖かい感触がした。
「猿白、僕は…‥」
呆然と立ち尽くす僕達の元へ、一人の少女が接近して来た。
それは、狗川黒であった。
「あ、逸珂クン、ただいま…‥って、なんか汚れているわね」
散乱したガラス片と黒い液体を前にして、黒は少し怪訝な表情をした。
こんな惨状を前にして、彼女があまり驚かないことに、僕は少し驚いた。
「く、黒…‥今日は、どこ行ってたの?」
最近、黒は昼休みにいつもいなくなる。
コンビ二に行ってきた、とか、おなかの調子が悪かった、とか、理由はいつも違うのだが、彼女には秘密が多すぎるので、こう毎日いないと僕も不安である。
もしかして、しょうもない僕に愛想がつきた、とか。
いや、そうじゃないと、思いたい。
黒の好意は本物だ、出会った日に、そう感じたのだ、僕はその気持ちを、信じたい。
「ん、家に忘れ物をしてしまったから、取りにいっていたの」
スカートについた埃を払いながら、彼女は笑った。
どうやら走っていたらしく、息を荒くしていた。
その様子が、不謹慎だが、少し色っぽかった。
「そ、そうなの?」
「転校してきて色々出さなきゃいけない書類あって、今日提出だったのよ」
忘れ物なんて、黒にしては珍しいな、と僕は感じた。
「そ、そうなんだ…‥」
よかった。
ほぼ死体のような、満身創痍の生徒会メンバーが飛来したのだ、そんな場に居合わせなかっただけ、黒はラッキーだ。
しかし、そんな惨状を見た猿白は、よほどショックであるに違いない―
「…‥というか、逸珂先輩、黒先輩、これ、片付けないとっス」
と、思ったのだが、猿白はそれほど動揺していないようであった。
彼女は教室の後ろの掃除箱から三人分の箒を持ってきて、僕に差し出した。
「そ、そうだね…‥猿白」
僕は箒を受け取り、ガラスの破片を掃き始めた。
「しかし、散らかっているわね。野球ボールでも飛んで来たのかしら?」
呆れ顔でチリトリを持ち、黒は箒でガラスをかき集める。
まさか人間が落ちてきたなんて、彼女は思いもしないであろう。
「野球のボールなら、まだよかったんだけどね…‥」
僕はそんな彼女の脚に目がいっていた。
綺麗な曲線を描く、ストッキングを履いた足に、その先にある、スカートに隠されたヒップ。
こんな状況のときに、我ながら、最低である。
「生徒会か」
放課後に、僕は生徒会室に行かなければいけない。
嫌だ。
凄く、嫌だ。
逃げたいけど、逃げたら、どうなるか分からない。
「…‥」
僕はガラス片を片付けながら、黙って箒を掃き続ける黒を見つめた。
彼女なら、この状況をどう乗り切るのであろうか。
僕は、どうしたらいいのか。
それとも、もう、選択できない状況になっているのか。
僕は無力だから、仕方ないというのか。
やはり、この世界は理不尽に満ちている。
黒は、そんな世界にいた僕に、幸せを与えてくれたのに。
猿白は、安らぎをくれたのに。
それでも、僕は何も出来ないというのか、黒が、計音委員長に呼び出されたときのように。
やはり僕は、最低だ――