第12話 やってしまった…‥
―1―
黒が転校してきてから、三日目の朝。
朝日が差し込むステンレスのベッドの上で、僕は自己嫌悪に陥っていた。
なんてことを、してしまったのだ。
「やって…‥しまった」
そう、僕はやってしまったのだ。
ついに、やってしまったのだ。
初めての、ことであった。
例え彼女が僕を愛してくれているとしても、許されたことでは、ないだろう。
自己嫌悪に胸がいっぱいになりながらも、シャワーを浴び、下半身を念入りに洗う。
まだ宙に浮いたような、フワフワとしたあの独自の感覚が体に残っていた―
抜いてしまった。
彼女を、オカズにしてしまったのだ。
しかも、かなりマニアックなシチュエーションで、僕はトランス状態になっていた。
その証拠に、昨日の11:25分以降の記憶が断片化しているのだ。
朝食を終えて自分の部屋へもう一度戻り、僕は周囲を見回して回想する。
が、やはり、よく覚えていない。
「これはひどぅい…‥」
ティッシュが、部屋の隅のゴミ箱の周囲に転がっていた。
大方、投げ入れようとしたのであろう、愚か者め。
もう、彼女を直視出来ない。
申し訳なさ過ぎる。
自分は下劣で、知的生命体の誇りのかけらもないことを、ようやく自覚出来た。
酷い、ひど過ぎる。
「…‥くっ」
だが、今日も登校しなければならない。
どれだけ、現実が厳しかろうと学生は学校に行かなければいけないのだ。
例え、絶対正義を掲げる生徒会が待っていようと。
仕方ないのだ、行くしかないのだ。
それが、今、何も出来ない自分に出来る、唯一のことなのだから――
―2―
「黒、どうしたんだ…‥」
僕は、一人で登校し、自分のクラスの教室へとたどり着いた。
黒とは、通学路で鉢合わせにならなかった。
まあ、昨日は彼女が五色米を使い、僕の家まで来たから、一緒に登校出来たのだが、今日はそうでなかった、ということだ。
よくよく考えてみると、黒との間に、毎日一緒に登校する、という取り決めはない。
だから、あまり気にする必要はない、と思ってはいるのだが、どうしても気になっている自分がいた。
黒は、彼女ではないのに。
僕にはもったいない、女の子なのに。
それなのに、僕は、一緒に登校できないだけで、ここまで、考えてしまうのか。
小さい男だ。
いや、男なのか?
一応、さっきトイレで用を足しているときに股間を確認したから、大丈夫だとは思うが。
「あ、黒、先に来てたんだ…‥」
黒は、机に突っ伏して寝ていた。
すうすう、と寝息をかきながら、僕の机の方を向いて眠っていた。
やっぱり、こういう姿を見ると、黒猫のようである。
「はふぅ…‥逸珂くん…‥」
黒の寝言を聞き、僕は昨日の夜の出来事を再び思い出してしまった。
罪悪感が、胸をチクチクと刺激する。
僕は、自分のしでかしたことの大きさを、改めて感じた。
「先輩、おはようございまっス!!」
黒に対して小さく頭を下げる僕の後ろで、どたん、と勢いよく席につく音が響く。
「さ、猿白かッ?!」
僕は振り返り、その姿を確認する。
声の主は、猿白砂麦であった。
僕より頭半分ほど低い身長で、豊満で、尚且つ弾力性と包容力のあるバスト。
そして、ポニーテールにまとめられ肩甲骨のあたりまで伸びた緑色の髪。
すっと通った鼻に、丸い瞳、少し幼い顔立ちの彼女は、今日も笑っていた。
「はい!!MG1/100スケール猿白砂麦っス!!」
いや、君プラモじゃないから!!
「じ、自分のクラスにいきなよ…‥猿白」
というか、まだこの席あったのか。
昨日から、ずっとこのクラスにあるぞ、一番後ろの席のはずの、僕の机の背後の机。
そう、猿白砂麦の机が、まだ、そこにはあった。
「いえ、私のクラス、元々、ここでっスもん」
な、そうだったのか!?
僕は、唖然としてしまった。
「隣のA組の生徒って言ってなかった!?」
確かに言っていたはずだ。
忘れもしない、彼女と出会ったとき、そう言われたのだ。
何より、猿白と出会うまで、僕はこのクラスで彼女を見たことがない。
「あれは、主な生息地がA組って意味っス。先輩がいるから、元のBクラスに戻ってきたっス」
漫画なら、思い切りずっこけていたであろう。
僕はそれほどまでのオーバーリアクションはしなかった。
しかし、本当に出席日数は大丈夫なんだろうか。
成績も本人曰く、低空飛行らしいし―
しかし、黒ほどではないが、猿白も、謎が多い。
出自というより、言動や思考が謎である。
昨日みたいに、優しく抱擁してくれる、意外(といったら失礼だろうけど)な一面も、あるし。
あれは、よかったなぁ―
「うっ」
また、僕は思い出してしまった。
昨日の、夜の出来事を。
眼前の猿白を、僕はまじまじと見つめてしまった。
心臓が、早く脈打つのを感じた。
これは、非常にまずい。
「ん?んんーっ?」
僕の顔を、猿白が不思議そうにのぞき込む。
やめろ、やめてくれ。
近い、顔が近いよ。
「先輩、何か赤いっスよ?保健室、行きます?」
桃色の吐息が思い切り顔面にかかる。
やばい。
「い、いい!!だ…‥大丈夫だ」
僕はカチカチになりながら、猿白と目を逸らし、前を向いて壁にかけられた時計を確認する。
もうすぐ、ホームルームの時間だ。
そうだ、いちゃついている時間じゃないのだ、桃山逸珂よ。
「そうっスか。なら、よかったス」
後ろで、満足げに猿白が言い、の僕のほっぺたを後ろからつまむ。
やめなさいって。
「はーい!みんなホームルームよー!!席につきやがれー!!」
教員であり、僕らのクラスの担任である初鮫恋春先生が、勢いよくドアを開け、息を切らせながら教室に入ってきた。
僕は一瞬、美少女の新キャラかと思ったが、やっぱり僕らの先生であった。
首に二重に巻いていても腰まで届くほどに長い金髪に、鮫のような鋭い歯、真ん丸い瞳が特徴的な幼い顔立ち。
身長は僕より頭半分くらい小さい、本当に高校生のようである。
今日は白いスーツ姿である。
「せんせー!!昨日もゲームして夜更かしして遅刻寸前ですかー!?」
男子生徒の一人が、手を上げて先生をからかい、クラスの中がどっと、笑いに包まれる。
「ん…‥んなわけ、あるかー!!」
先生は確実に動揺していた。
これは、していたな。
確実に、していたな。
ん?
していた?
夜にしていた。
また、思い出してしまった。
僕も、夜にしていたのだ―
「ちゅーか、今日は一年生の生徒会役員の人から連絡があるみたいです!では、先生は一限目の用意をしてきます、以上!!」
先生はそう言うと、皆の反応を見る前に教室から飛び出していった。
逃げ足が早い!!
相変わらず、生徒会の権力には弱い!!
正義感は強いけれど、揉め事とかが嫌い。
まあ、大人は、そういうものなんだろうけれど。
しかし、生徒会のメンバーがこのクラスに来るなんて。
何の、用であろうか――
「おはようございます…‥先輩方、眠いですね、苦しいですね。死にたいですねぇ」
と、気だるそうに言いながら、彼は教室の中に入ってきた。
と、同時に、全員が静まり返り、後ろの猿白が僕のほっぺたを離した。
一応、男女間の接触は禁止されているので、猿白も空気を読んだのだろう、偉い。
しかし、クラス内が静か過ぎる。
生徒会に目をつけられないように黙っている、というのは、いつものことである。
しかし、今、クラス内はこれまでにないくらいに、深い静寂につつまれていた。
ただ、僕の横の狗川の寝息が、よく聞こえてきたが。
「あ、ボクは『生徒会四聖天』が一人。1年A組、知床寝床
しれとこ・ねどこ
です…‥どうも」
皆が押し黙ったのは、彼の格好が、異様だったからだ。
肩まで伸びた黒い髪。
顔には、『仮死』と大きく草書体で縦に、そしてその下に横書きで『911』と書かれた紙が付いており、エヴァ量産機のように、ニヤリと笑っている口元だけが見えた。
そして、ひょろ長で、まるでゴボウのような体型をしており、猫背で、ふらふらと立っている。
色も、缶スプレーのグランプリホワイトを使い漂白剤で洗ったのか、と言うほどに白く、言葉からも生気を感じられなかった。
アレキサンダー大王とか、呂布とかの死体を掘り出したほうが、よっぽど生き生きとしているのではないだろうか。
その二つの死体が土葬されているかどうかは、別として。
僕もクラスの連中と同じく、言葉が出なかった。
昨日の出来事を、思い出していたのだ。
生徒会四聖天の一人、天秤計音委員長と黒の心理戦。
そして、生徒会長鬼ヶ島千草
おにがしま・ちぐさ
と、四聖天神城褥
かみぐすく・しとね
による粛清。
その全てがショッキングだったのだが、猿白のおかげで、なんとか、学校に来ることが出来ている。
よかった、彼女がいて。
「彼が四聖天の一人…‥」
僕は、小さく呟く。
生徒会四聖天。
彼が、あの計音委員長や、触手女の神城褥
かみぐすく・しとね
と同じ、生徒会で会長の次に大きな権力を持っている、この学校の実質的なナンバー2。
というか、こいつらみんな制服ちゃんと着ろよ。
パーカーとか…‥服装がちゃんとしているの、計音委員長だけじゃないか。
「今日は連絡事項がありましてぇ、先輩方のクラスに来ました…‥計音先輩は、昨日不祥事起こしてしまいまして、謹慎中なんでぇ」
寝床は、まるで先輩を先輩とも思わないような、いかにも面倒くさくて仕方ない、といった口調で語る。
学校側の計音委員長への対応を、僕は初めて知った。
先生達は、基本的に学校の治安は生徒会に全部任せなので、面倒が起きた生徒は、基本的に謹慎か休学なのだが、彼女は前者だったのか。
「で、連絡なんですけど、今朝、一年生の生徒会役員のメンバーが一人、登校中の生徒を取り締まろうとした所、何者かにより襲撃され、病院送りにされましたぁ」
彼の言葉に、静まり返っていたクラス内が、流石にざわめき出した。
そりゃそうだ、僕も驚いている。
生徒会役員が、やられた?
ありえない。
「先輩、生徒会って確か…‥」
後ろから、猿白が身を乗り出して僕に耳打ちする。
「ああ、銃器でしっかり武装している…‥ハズだ。一年の時に見た」
あまり思い出したくない記憶なので、薄れかかっているが、一学年3クラスのこの学校の合計9人のクラス委員長(生徒会メンバー)は、皆、武装している。
だから、やられるはずはないのだ。
彼らは学校の『秩序』と『正義』の象徴なのだから。
誰なんだ一体、襲った奴って―
「幸い命に別状はなかったんで安心して下さい。でも、物騒ですよねぇ、怖い怖い」
まるで他人事のように言うので、何となく鼻についた。
でも、命に別状がなくてよかった。
流石に人死にがあっちゃ、たまったもんじゃない。
しかし、そんなことを、誰がしたというのだろうか――
「生徒会はこの襲撃してきた犯人を捜しています。心当たりのある人は、生徒会のメンバーに言って下さい。因みに言ってくれた人の身の安全は生徒会が保障します」
首を思い切り、後ろに傾けながら、寝床は言う。
そして、教壇から降りて教室の窓に足をかけた。
な、危な―
「以上が連絡事項です、では、みなさん、さようなら」
そして、彼は窓から飛び降りた。
ここは、二階である。
皆が戦慄し、女子は叫び、数人が気絶した―
「なっ?!…‥なんなんだよ!!」
僕は窓の外を見下ろすが、彼は無事であった。
いや、脚以外の間接のいたるところが折れているようであったが、彼は砂を被りながら校舎の前の花壇に立っていた。
ありえないことであるが、あれが、彼の『デストラグル能力』なのであろう、恐らくは。
不死能力、か―
「皆さん安心して下さーい!!やっぱり死ねませんでしたぁー!!あーあ、死にたーい!!」
先ほどまでとは違い、寝床は元気そうに叫ぶ。
そして彼は両腕をぷらぷらとさせながら、首を元の位置に戻して笑った。
怖い、スプラッタ映画のようである。
女子がまた数人、気絶した。
誰が、保健室に連れて行くというのだ。
おい、責任者戻って来い。
「先輩方ぁぁ!!ボクを殺せる生徒募集中でーす!!」
生徒会のメンバーの中でも、こいつは特に常軌を逸していやがる、と、感じた。
自殺願望の塊なのか。
「しかし――生徒会メンバーを襲うなんて…‥誰なんだ」
なんなんだ、何が起きているんだ。
生徒会はこの大帝都学園の絶対の権力、それが揺らぐことは、ない。
その運命に抗おうとする奴が、いるというのか。
一年の時に、彼らの『力』は嫌というほど、僕らに示されたというのに。
だから、僕達は逆らう気力すら、ないというのに。
一体、誰なんだ――
「重力に逆らえないなんて、不憫なやつっスね」
僕の後ろで、猿白が呟く。
あのね猿白さん、人間は九割がた、そんなもんなのよ――
―2―
「今日は、大体平和だったな…‥」
深夜、僕はベッドの上で眠りにつこうとしていた――
常軌を逸している生徒会のメンバーがホームルーム中に現れたものの、今日は以外に、特に何も起こらなかった。
平和だ。
そして、一日が過ぎていった。
ただ、狗川黒は授業中は寝ているし、昼休みはどこかへ消えてしまうし、放課後はまたバイトが入ったらしくすぐに帰ってしまい、僕は少し物足りなさを感じていた。
まあ、猿白が一緒にいてくれたから、淋しくはなかったが.
「猿白砂麦か…‥」
ごろん、と寝返りをうち、僕は間接が許す限りにダンゴ虫のように丸まった。
彼女は、なんで天井を歩けるのだろうか、本当に、筋力で重力に打ち勝っているのか。
父子家庭なんだろうか、母は、いないんだろうか。
そして、僕と出会うまで、なぜ隣のクラスにいたのだろうか。
謎は尽きない。
まあ、黒ほどではないのだが。
いや、その謎は、まあ、後々分かればいい。
一番、知りたいのは、なぜ、僕なんかを好きでいてくれるのだろうか、ということだけだ。
それが分からないから、少し不安になるのだ。
「さて……‥今日は早く寝よう――」
僕は、瞳を閉じて、羊を数え始めた。
変な気分になってムラムラする前に、寝てしまおう。
彼女達を想うと、どうしても、そっちの方向にも妄想が膨らんでしまう。
僕は健全な男子高校生なのだ、無理も無い。
早く、羊を数えて寝るのだ、自分。
「寝ろ、自分…‥」
人間には、唾棄すべき欠陥がある。
ゴリラだってネズミだって、そんなジレンマは感じないのに。
なぜ、一人でエンジンをふかしているんだ。
我慢せねばならん。
今、僕は試されているのだ。
「何時だろ…‥」
僕は携帯を開いた――
この夜、僕がどうなったのかは、僕自身よく覚えていない。
と、いうことにしておいた。
つづく