第9話 あの子、許さない!!
―1―
黒がとった次の一手。
それは、酷く単純なことだった。
狗川黒の背後の壁、その上のガラス部分が炸裂したのだ。
そして、ガラスや壁の無数の破片が計音のもとに落下していく。
次の瞬間、紫色の煙幕が地面から噴出し、一瞬にして二つの壁に囲まれた校舎裏に充満した―
「なっ!?目潰しですって?!げほっ!!ぶはっ!!」
煙幕により、視界を完全に奪われた計音は咳き込み、珍しく狼狽する。
そして、黒を探して煙の中を動いているようであった。
「げほっ…‥くっ、こッすい手段を…‥」 充満する煙の中で、計音はそう吐き捨てる。
煙幕が風に乗って飛んでゆき、計音の視界が開けた時には既に黒の姿はなかった。
「くっ…‥完全に逃げられたわ」
いや、思えば、あの最初の爆発で完全に計音の意識をそこに集中させ、その隙に逃げたのだ。
用意周到過ぎる。
狗川黒。
成績優秀、容姿端麗、運動神経抜群、しかも、忍者みたいなスキルをもっている彼女も、ここまでくると、もう超人レベルである。
「でもまあ、いいわ、絶対追い詰めてやる。虫の関節をちぎるようにジワジワと、なぶってやるわ、ははは、あははははっ!!」
計音は、邪悪な笑みを浮かべて顔を歪める。
怖い。
まるで、バキに出てきそうな顔である。
生真面目な羊の皮を被った悪魔の一面を見てしまい、僕の全身は凍った。
「爆弾とか黒先輩らしいっすね、ま、とりあえず今のうちっス」
そんな凍ったままの僕をおぶっている猿白は、短く言う。
「だね…‥逃げるべし」
猿白と僕も、彼女が高笑いをしている隙に、見つからないようにその場から逃げ出した。
何なんだ。
何なんだよ、全く。
「しかし、どこに行ったんだ、黒…‥」
計音委員長は全く諦めていない。
むしろ、その邪悪な思いを強くさせてしまった。
どうするんだ、黒。
君は、あんな女と、どう決着をつけようというんだ。
そして、その後は、どうするんだ。
こんなときに、何も出来ない僕が本当に嫌になる―
―2―
僕達は体育館の中にいた。
校庭、校舎、屋上、様々な場所をくまなく探したつもりだが、いないのだ。
どこにいるというんだ、黒。
「ここに戻ってきた…‥ってわけでもないのか」
先ほどの爆発により、内部にはまだ粉塵が舞っていた。
思い切り割れたガラスが、痛々しい。
「先輩…‥黒先輩いないっすね」
周囲を見回す猿白が、弱弱しく呟く。
「どこいったんだよ…‥」
僕は俯いた。
彼女の力になれない。
それどころか、傍にいることも出来ない。
なんて無力で、卑怯な男なんだろうか。
いや、僕は男なんだろうか。
本当に、男性器がついているだけで、ただの人間のゴミなんじゃないだろうか。
「しかし、何なんだ『デストラグル能力』って…‥猿白は何かしらないか?」
僕の口をついて出た言葉は、先程から気になっていた事であった。
デストラグル能力。
土くれから鎧の騎士を作り、意のままに操る能力など、常識では考えられない。
「うーん、知らないっス」
だからこそ、パンツをはき忘れる常識では考えられない彼女に訊いたのだが、どうやらあてが外れたようである。
しかし、ここで彼女に対する最大の疑問が残った。
「え?天井を歩いたり、さっきみたいに高い所に乗るのは、その能力なんじゃ…‥」
そうなのだ、今までスルーしていたが、猿白は天井を歩いたり、電柱を苦も無くよじ登ったりできる。
能力のことについては全く知らん未知の領域であったが、それをデストラグル能力と言わずして、なんというのだ。
「あれは全身の筋力を使って重力に抵抗しているだけっス。あんなスタンドもどきに比べたらカスっすよ、カス」
普通にお前の方が凄えよ!!
どうやったら筋肉で重力無視出来るんだよ!!
「…‥とにかく、探さないと」
黒を見つけだせない焦りと無力感により、僕は苛々としていた。
そして、そんな感情に任せて頭を掻きながら、僕は体育館内の倉庫へと歩き出した。
もしかしたら、中でほとぼりが冷めるまで、隠れているかもしれない。
「じゃあ、私はあっち探してくるっス。」
猿白は、そんな僕を励ますかのように笑い、倉庫とは正反対の出入り口の方向へと向く。
そして、全身を震わせて力を溜め、一気に体育館の床を蹴る。
「とうっ!!」
すると彼女は一瞬にしてその場から消えた。
まるで、伊賀忍者である。
やっぱ凄いよ、普通に。
彼女に今度、重力をしっかり感じているのか聞いてみよう。
「それに比べて、僕は――」
猿白のような力があれば、僕は黒を守ることが出来るのに。
しかし、僕は非力だ。
しかも、それを理由に、僕は計音に呼び出された黒に同行できなかった。
本当は、一緒にいるべきだったのだ、彼女に反対されようと、本当に大切な人であれば。 それを、僕はしなかった。
自分が大切なのだ。
僕は彼女の、黒の好意が本物であることを昨日の昼休みに知った。
でも、僕は彼女に好かれるような人間じゃない。
卑怯な人間だ――
「ちょっと、待ちなさい!!」
僕の全身は一瞬、強張った。
これは、僕がチキンだからではないことを言っておこう。
鬼のような形相をした計音が、息を切らしながら校舎の方向から走ってきたのだ、無理もない。
こんな形相でいきなり声をかけられたら、十人中、八人は強張り、残り二人は失禁するであろう。
「な…‥い、委員長」
おそらく、校内をくまなく探しても黒はいなかったのだろう、かなり焦っている様子であった。
「ど、ど、どうしたんですか委員長、何かあったんですか?」
どもりながら、僕は凍りついた笑顔を見せる。
それが今の僕の限界であった。
「あなたを使えば、奴をおびき寄せることが出来る――」
え。
まさか、この女、僕達を人質にするつもりか?
なんてクレイジーな奴なんだ!
彼女は悪魔のような笑顔を見せて思い切り僕を指差し、再び甲冑の騎士『鋼鉄の処女』を出現させる。
そして、全長2メートルほどの『鋼鉄の処女』の右肩に乗り、鋼鉄の騎士はその銀色の右手で彼女を支えた。
「う、嘘でしょう、い、い、いやだなあ冗談がキツイっすよ、あはは」
僕は冷や汗をどっと出してがくがくと震えながら、思い切り後ずさる。
『鋼鉄の処女』は左手に握り締めた槍
ランス
を振り上げ、がらんどうの兜部分で僕を一瞥した。
「大丈夫、抵抗できないように片腕をもらうだけだから。この不可避の槍
ゲイボルグ
でね――ふふっ」
虫の手足を千切るような幼子の笑みを浮かべたまま、彼女は僕を見下ろす。
そんな時、校内放送のスピーカーの音が鳴り、全校放送が入った。
『何で委員長である私に呼ばれたか…‥分かってますよね?』
眼前の計音が瞳を大きく広げ、驚く。
無理も無い。
スピーカーから響く声。
それは、僕の眼前にいるはずの委員長、天秤計音のものであった――
―3―
校内放送は続いたが、僕は意味が分からなかった。
彼女は、計音は眼前にいる。
「今の放送は…‥私の声?!」
しかし、その彼女が一番狼狽していた。
『計音生徒会長…‥どうしたんですか?こんな…‥ところに呼び出して…‥きゃっ!?』
次にスピーカーから響く声は、狗川黒のものであった。
どうやら、屋内の静かな場所にいるらしく、他の音が聞こえない。
彼女がつかみかかられたような音だけが、聞こえた。
『やめて下さい!?私は逸珂くんと帰りたいんです!!』
もみ合いになっているらしく、狗川は必死そうに叫んでいた。
『迷惑なのよ。あれだけイチャイチャされたら』
再び、スピーカーから計音の不満げな声響く。
『まさか委員長、私を―』
もみ合いの音が激しくなり、黒の荒い息が響く。
『私は大好きよ、あなたみたいな娘』
狂気を孕んだ計音の声、その次の瞬間、黒が床を這って逃げるような音が、かすかに聞こえる。
『きゃっ!!やめて下さい!!計音委員長!!私、いやですっ!!』
必死になって叫ぶ黒。
『私はあなたの処女を貫く』
そして、冷酷に言い放つ計音。
『きゃあぁぁぁっ!!』
がちゃ、と勢いよく扉を開ける音が響き、黒は逃げ出した様子であった。
それから数秒して、放送は終わった――
―4―
「こんなのでっちあげよ!!私は彼女を襲おうとしていないわ!!」
一瞬、委員長は凍りついた。
意味が分からなかった。
計音は眼前にいるのだが、先ほどの放送で黒と会話をしていたのは、疑いの余地もなく彼女だった。
というか、襲おうとはしただろう。
ただ、放送ではなぜか計音がレズっぽい感じに改変されていたが。
ん?
改変…‥編集?
「まさか、黒…‥」
そうか、そういうことか!!
黒は無駄に計音と喋っていたわけじゃない。
先ほどの音声は捏造なのだ、学校中に放送して計音を追い詰めるための。
それを放送するために、必要な計音の声を録音していたのであろう、生徒手帳の機能を使って。
なんて作戦だ。
絶対に、黒だけは敵に回したくない、そう僕は思った。
「あの子…‥許さない!!放送室付近にいるわよね…‥絶対ぶっ殺してやるわ――クソッ!!」
体育館の床を踏み抜き、僕など眼中にないといった感じで、計音は鬼のような形相で走り出そうとした。
その瞬間であった―
「駄目じゃないか計音くん、女の子がクソとか言っちゃあ」
黒がぶっ壊した体育館の窓から、淡々とした声が響く。
窓には、僕と同い年くらいの一人の少年が立っていた。
肩まで伸びた黒い髪、まるで芸能人のような顔面の造形。
どことなく、聡明な狼のような印象を受けた。
そして、スマートで背が高く、僕と同じ形状の白い学ランを着ていた、この学校の生徒、ということなのだろうか。
見た目だけでも、僕とは比べ物にならないスペックであった―
「せ…‥生徒会長」
その姿を見て、計音は全身を震わせながら後ずさる。
生徒会長?
あの男が、ルールを破る生徒を容赦なく断罪する生徒会のリーダー、生徒会長だというのか。
そういえば、肩の腕章には、『生徒会長』と豪快な字が書かれた腕章が付いていた。
しかもそれだけではない、腰のベルトには物干し竿のような日本刀が装着されており、胸にはいくつもの勲章が輝いていた。
どこで戦争をしてきたんだ、というツッコミは無用であろう。
「この人が…‥生徒会長」
さすがに生徒会の長だけあって、彼にはオーラがあったように、僕には思えた。
ぽっかりと空いた窓の穴に颯爽と立つその姿は、背中に後光が射しているようであった。
「この音声、おおかた君が彼女を襲おうとして、その時に録音されたものだろう。そんな君を生徒会メンバーにしておくわけにはいかないんだ、生徒会は絶対正義の組織だからね」
窓から下りて華麗に着地し、生徒会長は腕を組みながら計音を真っ直ぐに見つめる。
まるで、悪の大幹部を見つめる、正義の味方のような瞳であった。
「そんな!!私はただ――」
生徒会長は聞く耳持たない、といった様子で計音から目を逸らし、右手を彼女の立つ方向に向かって突き出す。
すると、必死に弁解しようとする計音の口を、突如現れた十字の形をしたガムテープが塞ぐ。
そして、計音はふるふると震えながら、その場に立ち尽くした、金縛りにあったかのように。
これも、生徒会長の『デストラグル能力』ということであろうか。
本当に何でもありだな。
「な、なんなんだ…‥」
突然現れた生徒会長を前に、僕は完全に固まっていた。
情けない。状況に流されるだけで、僕はあまりに無力だ。
「怖い思いをさせてすまなかったね、生徒会のメンバーには、こういう歪んだものもいるんだよ、悲しいことだけどね」
計音を一瞥し、申し訳なさそうに言う生徒会長。
狗川黒を懲罰しようとしたのは、生徒会の意思ではなく、計音委員長の独断ということだったのか。
「生徒会長…‥どういうことですか?」
漠然とした質問をする僕に対し、生徒会長はニコリと笑った。
「生徒会長、鬼ヶ島千草。君の味方だよ」
生徒会長は日本刀を鞘をつけたままベルトから外し、その束を握り締めた。
「ぐっ?!」
そして、野球のバットのように振り、その鞘部分で計音の体を壁際まで吹き飛ばした。
「うっ」
痛々しい光景に、僕は目を背けた。
あれだけのことをした計音であったが、今のは流石に可哀想、という感情が僕の中に生まれた。
「確かに生徒会はこのように粛清することがある。しかしそれは、相手が絶対の悪だからだ」
埃が舞いあがる体育館の中を、生徒会長は計音の吹き飛んだ方向へとゆっくり歩いていく。
「デストラグル能力は、その歪みを切り裂く力だというのに―」
生徒会長は壁に大の字になってめり込んだ計音の髪を引っ張り、そして、残念そうに彼女の顔を見つめ、みぞおちに拳をめりこませる。
「ぐっ!!」
思いきり呻きながらも、虚ろな目で生徒会長を睨む計音。
しかし、呼吸が荒く、額からは一筋の血が流れている。
「君はそれを汚した。だから、私は君を汚す」
生徒会長は日本刀を持ち両脚を広げ、居合いの構えをとった。
「目を閉じて、耳を塞いでいるといい。ここからは…‥惨い」
生徒会長が、僕の方を見ながら警告する。
その顔からは、一切の表情が消えていた。
まるで、粛清するためだけに存在するかのような、無機質さであった。
というか、この段階で既に惨いんですけれど。
「生徒会長、な、何を――」
次の瞬間、生徒会長の刀が計音委員長に向かって、横一線になぎ払われた――
つづく