プロローグ 甘い罠
この作品は、同作者による作品『狗川黒の告白』の前年齢対応版です。
午後一時、三十分過ぎ。
昼休みの時間だ。
この時間帯の校内は、昼食を終えた学生達で溢れていた。
そんな中、僕と彼女は、科学準備室にいた。
この学校はクラスの教室がある第一校舎と、被服室など特別教室がある第二校舎の二つに分かれており、科学室は人目を避けたい僕たちにとって、絶好のスポットだった。
「さて…‥そろそろ始めましょうか」
教卓と黒板の間に立ち、彼女はにこり、と笑った。
「そ、そうだね」
僕は、そんな彼女に対して小さく頷いたが、あまり気乗りはしていない。
「緊張してるのね、かわいいわ」
彼女は僕を真っ直ぐに見つめ、少し挑発的に微笑んだ。
小悪魔的、というよりも、魔女とか、サキュパスとか、そういう類に似た笑顔であった。
どうやら、ここまで来ておいて弱腰な僕を、どうにかして乗り気にさせたいようだ。
まあ、確かに無断で化学室に入っておいて乗り気にならない僕にも非があるんだけれど―
「でも、こんな場所に来ておいてつれないじゃな――」
「ちょ!!誰か来た!」
口から心臓が飛び出るかと思いながらも、僕は咄嗟に彼女の口を塞ぐ。
教室の外の廊下から、男子生徒の嬉々とした声が聞こえたのだ。
慌てながらも彼女の身を屈ませ、僕は教卓の後ろに隠れた。
「大丈夫よ、まったく不粋ね。男子はこれだから嫌いだわ」
あのう、僕も男子なんですけど。
「もちろん、あなたという絶対的例外はあるけどね」
僕の心を読んだかのように、彼女は付け加える。
「さいですか…‥」
ほっとしている、僕がいた。
どたどた、と慌しい足音と、騒ぎ声が、通過していく。
「はぁ…‥はぁ…‥今のはちょっと驚いたね」
教室の前の廊下を数人の生徒が通り過ぎたのを確認し、僕は汗を拭いながら少し戸惑う。
「まあ、ちょっとだけね。でも、ちゃんと閉めたから、問題ないわよ」
肝が据わってらっしゃるらしく、彼女はしれっと言いながら、スカートの埃をパンパンと払い、立ち上がった。
勿論、この時間、この教室は施錠されているのだが、手際のよい彼女の手によって、入室することが出来た。
職員室から拝借したのだろうか、彼女はこの教室の鍵を持っていたのだ。
「ほら、あの通り――」
彼女が指差した教室の入口には『KEEP OUT』と書かれた黄色い規制線が幾重にも貼られており、まるで、事故か事件現場のようである。
しかし僕は知っている、彼女は入室した時、鍵をしていない。
見つかるか、見つからないかの、ギリギリのスリルを、この人は楽しむつもりだ。
僕も先ほどから彼女のように楽しもうとは思うのだが、彼女のような度胸と反骨精神の塊を真似ることなど、どうやら出来ないようだ。
「あれは閉めたことになんないよ…‥」
「ふふっ、そうね。ここと…‥同じね」
彼女はクスクスと笑いながら、僕の黒い制服のズボンの股間部分を指差す。
あ。
社会の窓が、開いていた―
「はうっ?!」
僕は慌ててチャックを上げる。
恥ずかしさに、顔が熱くなるのが、自分でもよく分かった。
「まあ、さっき私が開けたんだけどね」
悪びれるどころか、誇らしげに彼女は胸を張って語る。
犯罪ですよ、それ。
「あなたって人は…‥」
僕は呆れるよりも驚いた、いつ、チャックを開けたんだろう。
「ふふっ、ズボン下ろしはイジメだけど、チャックを開けるのは社交辞令よ」
「社会の窓空ける社交辞令がはびこるようなら、社会は終わりだよ…‥」
やれやれ、と僕は肩をすくめた。
「というか、こんなことして…‥いいのかな?」
今更過ぎる台詞を、僕は吐き出した。
もう、後戻りなど出来ないのに。
いけない事だというのは、分かりきっているのに。
僕は彼女に、『また』訊いてしまった。
「いいに決まってるじゃない。誰に迷惑かけてるわけでもない」
そして彼女は、弱腰な僕の背中を押す。
もう何度、僕は、この台詞を聞いたんだろう。
そして、何度、この台詞に助けられたんだろう。
僕はこの台詞こそ、彼女の信念だと、思っている。
滅茶苦茶な女だよ、本当に。
「そ…‥そりゃ、そうだけど…‥」
そして、僕は、何度この台詞でお茶を濁してきたのだろう。
本当は、楽しみたいくせに。
彼女に誘惑されるのが、嬉しくて仕方ないくせに。
「じゃあ、やめておく?」
彼女はやや挑発的な上目遣いで僕を見つめ、問いかける。
もう答えが決まっている質問を。
「うう…‥いや、やる。ちょっと待って…‥」
そして僕は頷き、彼女を見た。
腰まで届くほどに長い黒髪を。
挑発的な視線を送る、切れ長の瞳を。
少しだけ赤く染まっているシャープな顎のラインと、ぷりっとした唇を。
少し背が高いスタイル抜群のボディラインと、それを包む紺色のセーラー服を。
僕の握り拳くらいのサイズはある、放漫な胸を。
右から。
左から。
見つめる。
そして僕は、思わず生唾を呑んだ――
「じゃあ、カラフルクイズの答えを聞こうかしら」
くすくす、と少々サディスティックな笑みを浮かべて、彼女は僕の瞳を真っすぐに見つめる。
「…‥」
僕は彼女に見とれつつ、しかし、彼女の問いに対する答えを考えていた。
彼女の挙動に、全身に、必ずヒントあるはずだ。
僕はこんな馬鹿馬鹿しいやり取りでも、本気だ。
そういう性分の、人間だから。
「…‥」
彼女に気づかれないように鼻をきかせる。
カビくさい教室の中で、微かに、大人っぽい香水の香りが漂っている。
なるほど、今日の彼女はいつもと違う、年相応の女子高生の香りだ。
「分かったかしら?」
彼女は待ちくたびれたといった様子で、首を思い切り傾げて問いかける。
勝算はある、先程の匂いが最大のヒントだ。
大人っぽい、下着を穿いているにきまっている。
僕は、深く頷いた―
「黒」
僕が短く言う。
すると、彼女は、してやったり、といった表情で、笑った。
まさか…‥
まさか!!
「ふふっ…‥‥」
心臓がバクバクと脈打つのが分かる。
みのさんのクイズに出てる人の気分だ。
まあ、このクイズは何が貰えるかわからないけど。
とりあえず今日は、当たっていると信じたい。
先の笑顔は一週間やって、やっと当たったのね、的な笑顔であると信じたい。
頼む!神様!
あ、いや、神様はこんな背徳的な僕たちに力は貸してくれないよね…‥
ならば、信長様!!
僕に力を――
「は・ず・れ」
彼女は紺色のスカートを、ピロッと、上げ、大腿部の根元まで露わになっていく―
僕は、目を見開き、息を荒くさせる。
履いていたのは、レースの編み目が大人の女性の雰囲気を醸し出す、白い下着であった―
年相応の香りがするフレグランススプレーは、囮だったのだ。孔明の罠だったのだ!
自分のイチモツが股間の辺りに少しずつテントを作っていくのを感じ、僕は思わず前のめりになる。
「狗川には敵わないなぁ…‥全く」
やれやれ、と、僕はため息をもらす。
因みに、僕はこのクイズに正解したことがない。
彼女は、僕を助けてくれた、クラスメートだ。
そして、同志でもある。
彼女の名は、狗川黒
彼女と僕の出会いそれは、二周間前に遡る――
18禁バージョンとは少し違います。