無敵の人
「あの話なんだが、少し早まりそうなんだ。君の都合もあるだろうから、確認しておきたかった」
無駄に白く、広い社長室の白いソファに腰を下ろした途端、そう切り出された。
「俺に予定なんてありませんよ」
視線を床に落として言った。ああ、どこもかしこも白一色で目が休まらない。病院だってもう少し色がある。
「それより、今日、変な電話を受けました」
社長の『あの話』より、俺の今の関心はあのサイレン電話だ。
「ほぉ……どんな?」
「とても聞き取りずらい言葉で『逃ゲラレルカ』とか『全員シヌ』とか、そんな声がして……遠くでサイレンが鳴っていました――」
社長が神妙な顔で、座り直した。
「しかし……意外だな。君みたいな人間が、そんな電話くらいで動揺するなんて……。社員があることないこと無責任に言ったのか? 怖がらせるようなことを」
正直に聞いたことを話した。社長は俺のことを“無敵の人”と思っている。
「――君に言っておかないといけないことがある。この会社にはわたしを潰そうという勢力がある」
意外――と同時に、そうでもないという気持ちもある。
素は内気な人間にしか見えないこの男が、数年でここまで業界を塗り替えた。個人的に恨みを買うとは考えにくいが、嫉妬を買うには十分だ。
俺には縁のない有名大学で生物化学を学び、幾つかの研究所を渡り歩いた後、この会社を立ち上げたと聞いた。
何も答えない俺に構わず、社長は続ける。
「急速に大きくなったわたしの事業に、何か裏があるのではないか――そう勘ぐってくる連中は多い」
そう言って、悲しそうに白いデスクに視線を落とした。
「最近は熱意ある社員を装って入社し、内情や機密データを盗み出そうとするものまでいるらしい――。『らしい』というのは、まだ確信を得られていないからだ。だからこそ――君を採用した。君のような無敵の人をね」
「ですから――俺はそんなんじゃありません。ちょっと変わっているだけですよ」
これを『ちょっと』と言っていいのか知らないが、認めたくない気持ちに支配されていた。急に息苦しくなってきた。ああ、どうしてこの部屋には窓がないんだろう。思わず社長に鋭い視線を向けてしまう。
「おいおい、怖いな。わたしのことは殺さないでくれよ」
社長が大袈裟にのけぞった。
いや――大袈裟ではない。
本当に怯えている――。だから、何もかもイヤになったんだ――。
「殺したりはできませんよ」
静かに社長から目を逸らした。
事実だ。俺の力では人を殺すことなんてできない。
俺の力――それは……




