表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/32

蔵ホテル

 わたしの名前を意味深にゆっくり発音したのが気になった。

 一体どこまで知っているんだ――。助手席に座り、雨が降り始めた町をじっと見ている青年に、たまらず声をかけた。


「わたしのことは何と聞いています? ほら、急な話だったから、わたしもやっくん――社長と短い会話をしただけなもので」


 これは本当のことだった。金曜日の午後、急に職場の電話が鳴った。

 電話に出たバイトの若い子が、「ミナトさんに用事があるって……トモバイオサイエンスの社長って名乗ってますが、悪戯じゃないですよね?」と戸惑い顔でわたしを呼んだ。


 急成長を遂げたこと、社長の人好きする容姿、話題性のある製品の数々――今や知らない者はいない。こんな片田舎の観光課の職員を名指しで呼び出す理由なんて、思いつかないだろう。

 やっくん、こっちに仕事か? それとも旅行? それなら手配してくれる秘書や部下がいるはずだ。


 しかし、わたしには思い当たるふしがあった。燃える島の記憶が鮮やかに蘇る。

 あのことに関係しているのは間違いない。


「……もしもし」


 周囲に緊張を悟られないよう、手短に要件だけの会話を済ませた。


「トモバイオサイエンスの社長とお知り合いなんですか?」


 今度はベテランの女性職員が、目を輝かせて聞いてきた。


 ああ、この人が知らないのも無理はないか。あの火事こそ大きな話題になったが、火事を起こした当人の名前が出ることはなかった。そもそも、あれは――。


「ああ、まあ、古い友人でね。彼のよくしている社員がこっちに来るから、面倒を見てやってくれと頼まれた」


「すごい……」


 有名人と知り合いというだけで、そんなにすごいのか。


「すごくはないよ。ただ、そういうわけで、わたしは今週末ちょっと抜けてしまうかもしれない。迷惑をかけて申し訳ないが、よろしく頼むよ」


 観光課は、むしろ週末や連休のほうが多忙だ。

 観光客の増加とともに、新たに観光館が完成しつつある。昔は杓子定規に土日祝休みを貫いていたそうだが、少なくともわたしが入職してからは、ずっとこの体制だ。


「間もなく観光館の館長になる人が、ずいぶん腰が低いですね」


 彼女はそう言って笑った。




「社長はあなたのことを、もう少しで観光館の館長になる人だ――と」


「え?」


 考えていたことをそのまま声に出されて、思わず身体がびくりとした。


「危ない!」


 青年が、出会ってから初めて大きな声を出した。

 目の前の車道に、海鳥がすっと立っていた。誤って轢き殺してしまうところだった。


 なんだって、こんな雨の降り出した道路にポツンと鳥が――。


 また寒気がした。こいつ、もしかして? いや、そんなはずは――。


「すみません、雨で道が滑ってしまって……。大丈夫でしたか? 大事なお客さんに怪我をさせては大変だ。鳥も無事でよかった」


「はあ……」


 気まずい沈黙に、車内が支配される。ワイパーのキュッという音が、苦しそうに響いた。


「ああ、あそこに見えているのが『蔵』です」


 耐えられず、話題を変えた。


「蔵……?」


 青年が戸惑いながら、雨で歪む外の景色に目を凝らしている。無理もないか。


「ええ、あれが、今夜あなたが泊まるホテルです」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ