24.失敗
「なるほど、練習」
「ごべんなざいぃ~!」
換気扇を回していても、そこはかとなく漂っている焦げたにおい。黒くなった鍋底。無駄になってしまった食材たち。そして、苦笑いする直護くん。
恥ずかしい気持ちと、情けない気持ちと、申し訳ない気持ちでいっぱいである。
ただ、料理の練習をしたかっただけなのだ。借りてきた料理本に、市販ルーを使ったクリームシチューの作り方が事細かに書いてあって、本日掃除に来てくれた年嵩のハウスメイドさんがシチュー好きって言ってて、作ったらもらってくれるしアドバイスもしてくれるって話になったから。だから、ちょっと課題の息抜きに作ってみようと思っただけだったのに。
失敗も失敗。焦がして鍋ごとダメにして、証拠隠滅も果たせないまま直護くんが帰ってきて、普通にバレた。
「慌てて怪我したとか煙吸ったとか、そういうのはねぇんだよな? 火の扱いにだけは気をつけろよ。マジで心配になる」
「はいぃ……」
本当に、ほんっとうに申し訳ない。勉強で疲れて帰ってきたら、この有様だもん。怒らず苦笑と注意だけで済ませてくれるなんて……直護くんは聖人かなにかに違いない。
「俺もあんま縛るようなこと言いたくはないが……さすがに何度も同じようなことが続くなら、俺がいない場所で火を使うの禁止にするからな」
「うう……気をつけます……。でもね、言い訳っぽく聞こえるかもだけど、今回はイレギュラーなんだよ……」
「イレギュラー?」
「電話がかかってきて……そっちに意識をとられて……。お鍋の前にはずっといたんだよ。五分も目を離してないつもりだったの」
「だれからだ?」
「あやめちゃん」
直護くんの目がわずかに見開かれる。転がり出てきた「珍しいな」という言葉には、わたしも深く同意する。
基本的に、わたしに電話をかけてくるのはお母さんだけだ。ただ、最近の事件後なんかには、四季音ちゃんや手鞠ちゃんを始めとしたクラスメイトからかかってくることもあった。
しかしそんな状況下でも、あやめちゃんが電話をかけてきたことは一度もなかったのだ。メッセージですら頻繁にやり取りをするタイプではない。だから今回、着信音が鳴って画面にあやめちゃんの名前が表示されたときには、驚きを通り越して緊急事態かと焦ってしまうほどだった。
「あやめちゃん、泣いててね。なんとか慰めようと必死になってるうちに……こんなことに」
「なんかあったのか……ってのは、聞かない方がいいのか?」
「あ、んーっとね、むしろ聞いてほしいっていうか、直護くんも同じことしてないか確認した方がいいってあやめちゃんから言われてて」
「ん?」
「あやめちゃんの婚約者さん、あやめちゃんの代わりに事情聴取を受けてたんだって。キャンプのときの事件のことで、あやめちゃんが入院中に、あやめちゃんには聴取が求められてることも全部隠したままで。……直護くんはそういうこと、してない?」
「………………あー、まあ」
——直護くんって、あれだよね。わたしが追及しないしない限り、いろいろと隠しがちっていうか。聞きさえすれば、わりとすんなり吐いてはくれるんだけど。
じーっと見つめれば、直護くんは少し焦ったような表情になる。
「いや、あんときは病室に警察来られた方が迷惑だっただろ。回復するもんもしなくなるって」
「そりゃ最初のころはそうだろうけど。退院間際あたりは、めっちゃ元気で暇してるくらいだったじゃん。学校にお見舞いにって忙しくしてた直護くんが、わたしの代わりまでする必要なかったって、絶対」
「…………そんなん、いまなんともねぇから言える結果論だろ」
「いまなんともないって結果になってるのに、こうやって聞くまで黙ったままだっただし」
「……………………悪かった」
体の大きな直護くんが、しょんぼりと背中を丸めて小さくなっている。
思わずわたしは笑ってしまった。
「なんてね。べつに怒ってるわけじゃないよ。それだけ心配してくれてたってことでしょ? まあ、ちょっぴり心配性すぎーとは思うけど」
「……心配もするだろ。襲われたりぶっ倒れたり、今日も一歩間違えれば怪我じゃすまねぇし」
「くっ……! 今日のは本当にごめんなさい……」
カウンターが痛い。たしかに、直護くんの心配症はわたしのせいとも言える。もう少ししっかりした人間にならなければ。
「岸が泣いてたっつーのは、この件で喧嘩したってことか」
「大体そんな感じ。もともとプチ喧嘩中っていうのもあったんだけどね。家出してやる、実家に帰るーって叫んでるあやめちゃんのうしろから、めっちゃうろたえてる婚約者さんの声が聞こえてきて……ふふふっ、申し訳ないけど、笑いを堪えるのが大変で。……まあ、そのすぐあとシチューの惨状に気づいて、笑えなくなったけども」
「実家……実家? 岸は実家に帰省中じゃなかったか?」
「うん、そうだよ。でもなんか、あやめちゃんの実家、いつの間にか改築されてて、婚約者さんとの二人部屋ができてたんだって。前の実家の自室が恋しいって意味だと思う」
「ふーん」
あと、『えっちしてくれない人なんてもう知らない……! み……実乃ちゃんに処女あげます……!』とも叫んでいたが、これは直護くんに言わなくていいだろう。実家なら、きっとご両親も近くにいるだろうに……あやめちゃんは一見おとなしく気弱な子に見えるけれど、その実なかなかの強メンタルの持ち主だ。
……いやでも、繊細で傷つきやすい子でもある。わたしは、あやめちゃんとの会話の一部を思い出しながら、直護くんを見上げた。
「直護くんは……えっと……」
「どうした?」
「えっとね……その、知ってた? あやめちゃんたちが……カレーに薬を混ぜた容疑者になりそうだったってこと」
「ああ……知ってたっつーより、事情聴取のときに実乃と岸の関係とか、不和が生じるような出来事がなかったかとか、やたら聞かれたからな。疑われてんだろうなってのは、まあ」
「も、もしかして、直護くんもあやめちゃんが犯人かもって考えた……?」
「さすがにそれはねーよ。もしそうだったら、それとなく実乃と岸を引き離してる」
「そ、そっか。よかった……」
「つーか、一番重症になったのはあいつだったろ。なんでそれで疑われてんのか不思議に思ったくらいだ」
「あ、それはね——」
わたしは、あやめちゃんから聞いたことを、かいつまんで説明した。
寮侵入事件のせいで花が変色してしまったあやめちゃんは、その回復のためにもともと件の薬を処方されていたこと。しかも、あやめちゃんが病院に行きたがらない質なので、婚約者さんが無理を言って、数か月分まとめて研究機関から受け取っていたこと。その量が、キャンプの事件を起こすに足るものだったこと。
「へえ……。もしかして、岸が一番重篤になった理由も?」
「うん、さすが。最初から服用してたところに、カレーに混ざってたぶんが追加だったから。わたしたちよりも、もっと過剰に摂取したってことになっちゃったみたい」
「なるほどね。運がねぇっつーか、不憫っつーか」
そのあとに続いた「心配が尽きねぇのは、どこも同じなんだな」という呟きが、妙にしみじみとした響きを伴っていて、わたしはつい唇を尖らせてしまった。




