21.結果
だれかが倒れるということもなく日々は過ぎ。テストの返却期間になってようやく、あやめちゃんが登校できるようになった。
それは非常に喜ばしい。……喜ばしいのだが。
「うえぇぇえええん! なんでぇえええ!」
「いつまで叫んでんだ。ほら、エビフライ」
「あんむ。……んんん、んんんんむ~~!」
「す……すごいです……。な、泣きながら食べながら叫びながらイチャついてます……!」
なにやらあやめちゃんが嬉々とした表情でこちらを見つめているが、わたしはひとまず直護くんが口に突っ込んでくれたエビフライを飲み込む。
直護くん作のものには劣るけれど、食堂のエビフライもおいしい。……おいしかった、けどぉ……!
「なぁんでぇえええ!!」
「ずっと同じ言葉ばかり繰り返していらっしゃいますね」
「それだけ本気だったんだろうね。アタシは十分すごいと思ったけど」
四季音ちゃんと手鞠ちゃんは、うるさいわたしを刺激しないようにか、こそこそと会話をしている。
「わたくしも、正直驚愕いたしました。初めてのテストでこの快挙ですから、これからどんどん伸びていくのかと思うと……うかうかしてはいられません」
「たぶん、四季音以外の子もそう考えてると思うよ。まさか転入したてのブルームが——98点をとるなんて、ってね」
「うわぁああああん! なんであんなミスしたのわたしぃい! 絶対100点とれたのにぃいい!」
98点。きゅうじゅうはちてん……!
手鞠ちゃんの言葉でその点数が再度頭を駆け巡り、わたしの目はもう防波堤を失ってしまった。
——そう。そうなのだ。
昼休み直前の授業で一学期末最後のテストが返却されたのだが、その結果。最高得点が、わたしは98点。そして、直護くんの最低得点が——100点だったのである。
つまり、本気の本気で挑んだ勝負で、わたしは負けたのだ。
「あーあ。手鞠ちゃんが余計に泣かせたー」
「あ、アタシ……!? ご、ごめん、実乃……!」
弾むような声で手鞠ちゃんをからかったのは、直護くんの隣に座っている時雨くんだ。
直護くんは全教科100点満点だったのだが、なんと上位八人はみんな満点だったらしい。そして、その八人のうちのひとりが時雨くんだ。
そんな時雨くんが、さっきの授業終わりに言い放った言葉を、わたしは忘れていない。直護くんに負けたと知って愕然とするわたしに向かって、「あらら、詰めが甘いねぇ。かわいそ~。僕は直護とお揃いの100点まんて~ん!」と、にこにこ笑顔で言ってきたのだ。
98点を再認識させてきた手鞠ちゃんの言葉より、そっちの方が断然許せない。
「しぐれぐん、ぎらいぃ……!」
「え~? 僕はわりと実乃ちゃんのこと気に入ってるのにな。夕暮みたいなおもしろさがあって。だから、実乃ちゃんが好きな『意地悪』してあげてるのに」
「時雨くんの意地悪はなんか違うもん……! きらいぃ~!!」
「あはは。めんどくさいなぁ」
「はいはい、そのへんにしとけ。ほら実乃、トマト」
「あんむ」
エビフライ定食の付け合わせ、プチトマトを直護くんがわたしの口に放り込んできたので、おとなしく口を閉ざして咀嚼する。
その間に直護くんは涙を拭ってくれて…………めんどくさいことさせてごめんね。もうちょっとで立ち直れると思うから。
「まあ、今回は勝負だったから仕方ないところもあるけど……あんまりガーデナーと自分を比べすぎない方がいいよ」
手鞠ちゃんが苦笑まじりに言った。
「ガーデナーはほとんど100点で、時々ミスして99点か98点って点数しかとらないんだから。今回、実乃は同格の点数をとれた。それって、本当にすごいんだよ?」
「でもっ……でもぉ……一教科だけだもん……! ほかの教科が散々で、総合だと50位だったもん~! 犠牲を払ったのに勝ててないんだから意味ないぃ!」
「だから大丈夫だって。この学園での50位は誇っていい。なんせ、アタシは84位だからね」
「ふっふっふ……あ、あたしなんて、転入してこの方、最下位しかとったことありませんよ……!」
なぜかドヤ顔を披露するあやめちゃん。少し涙が引っ込んだ。
ウケ狙いなのか、本気で最下位を誇らしく思っているのか、あやめちゃんだからこそ判断に困る。
わたしと手鞠ちゃんと四季音ちゃんの三方向からジト目で見られて、「あ……あれ……?」とあやめちゃんは首を傾げた。時雨くんは、声を押し殺すように笑っている。
そんな彼らを横目に、直護くんがこっそりわたしの耳元で囁いた。
「で、勝負は決まったけど、秘密は?」
「……おうちに帰ったら言います」
◇
「あの、そもそもの話なんだけどね? ひ、秘密っていうか、隠したかったわけじゃなくて……は、恥ずかしくて言いにくかっただけというか」
「ああ」
「それで、あの、笑わずに聞いてほし……いや、いっそ笑ってくれた方がラクかも……?」
夕飯を食べて、お風呂に入って、話を引き延ばしに引き延ばして、わたしはソファーに座っている。逃げ道をなくすための勝負だったというのに、なんて往生際の悪い。
隣に座る直護くんは、話を急かすことなく相槌を打ってくれているけれど、わたしは直護くんの顔を見ていられなくて、ずっと自分の膝だけを見つめてしまっている。
——いい加減、覚悟を決めなくては。
「あ、あ、あの、あのね!」
「ああ」
「き」
「き?」
「…………す……してほしいな……と」
無言。いままで律儀に反応してくれていた直護くんが、うんともすんとも言わなくなった。
心臓がバックンバックンして、息が詰まりそうなくらい痛い。
そろりと直護くんを見上げると。
「……ど、どういう感情……?」
直護くんは、とんでもない真顔だった。照れも喜びも嫌悪もなにも読み取れない。ただただ真顔で、わたしを見下ろしている。
「マジで言ってんのか?」
「う、うん?」
「婚約者で、家で、ふたりきりで、だれもいない、この状況で?」
「え? むしろ、だれかいるとこでこんな話しない……」
「お前をベッドに引き摺り込むのも簡単な、この状況で?」
——理解した。
もともとあがっていた体温が、限界突破した気がする。汗が噴き出して、手が震えて、でも逆に心臓は止まったような。
つまり、つまりだ。直護くんはわたしとキスどころか、『そういうこと』をしたいと思っている、と。そう……だよね? そうなんだよね?
ここ最近はお互いふたり暮らしに慣れてきて、直護くんなんていつだって余裕そうな顔で、そんな気配一ミリも漂わせてこなかったのに。
「あぇ…………」
なにを言えばいいのか。なんと答えればいいのか。
直護くんは変わらず真顔で、わたしをまっすぐに見つめている。わたしの言葉を待っている。
——どうしよう。どうするべき?
頭が沸騰する。空回って思考がまとまらない。
わたしはキスがしたい。してみたい。直護くんがわたしにそういう欲を抱いてくれていることも、正直嬉しい。でも、でも。まだそこまでの覚悟は決めてない……!
必死に、必死に考えた。オーバーヒートしてぐちゃぐちゃな思考回路で、それでも考えた。どうすべきか、どうするのが正解か。
——答えは、出なかった。
だから……だから、わたしは。
「——実乃?」
立ち上がる。座ったままの直護くんを見下ろす。視線はそらさず、まっすぐに。
——わたしは、わたしの望むままに、わたしの望みだけを、わたしの欲だけを優先することにした。
ちゅっ。
なんて、マンガみたいにかわいらしい音は鳴らなかったけれど。わたしの悩みも欲も、これで解消された。
そして、目を見開いた直護くんの手が、わたしを捕まえる前に。
「あああああとは我慢してください!!」
わたしはダッシュで自室に逃げ込んだのである。




