19.勝負
「さすがに引っ掻き回しすぎたかな?」
光量を絞ったランタンの前で、ぼーっと星を眺めていた直護は、背後を振り返った。
声をかけてきたのは、夕食の片づけ後からキャンプ地を離れていた時雨だ。ふたつ並んでいるテントのどちらもが消灯しているのを目視で確認してから、時雨は直護の隣に腰を下ろす。
「俺は気にしてねぇよ。本気で嫌われたいわけじゃないってんなら、泥を被る役ももう少し控えた方がいいとは思うけどな」
「んー。まあ、僕のものにならない女の子に嫌われたところでね?」
直護はため息をつく。
友達想いであることと、性格が捻じ曲がっていることは両立する。長年時雨と付き合っていれば、嫌でも思い知らされる事実だ。
……とはいえ、直護も『実乃が泣かされたわけでもねぇし、好きにさせときゃいいか』と考えるくらいには善良からほど遠いところにいるわけだが。
「ふふふ。でも、我ながらうまく行ってよかった。実乃ちゃんと四季音ちゃんとあやめちゃん——ブルーム三人が同じテントにいてくれれば、見張りがうんとラクになるからね」
直護たちのすぐそば、片方のテントで寝ているのは夕暮、そしてもう片方のテントで寝ているのが時雨の言った三人だ。
実乃と冬優を切り離すため、他グループとメンバーチェンジをした結果である。
「ちゃんと許可とれたんだな」
「うん。先生に『僕は外回りより、テント担当の方がいいと思うんです。直護はどうしても実乃ちゃん優先になっちゃうし、そうしたらなにかあったとき、残りふたりのブルームを守りきれるか心配で……』ってしおらしく訴えたら、余裕でオッケー」
「そりゃよかった。祢宜田もわざわざ俺の前でいじめられた甲斐があったってもんだ」
「人聞きが悪いなぁ。いじめたんじゃなくて、実乃ちゃんと直護のためを想っての発言だったのに」
これはブルーム含めた女子や、半数近い男子には知らされていないことだが、高等部のガーデナーは今夜、全員徹夜でキャンプ地の警備をすることになっている。
婚約者のいるガーデナーは婚約者周りの警備を、それ以外のガーデナーは婚約者のいないブルームやテントから離れた場所の警備を担当することが定められているのだ。
それはひとえに、寮への侵入事件があったからである。
学園や管理機関は、この事件が綺麗に完結したとは考えていない。もちろん、生徒側もそうだ。もしまた同じような輩が現れたときのため、対策は講じなければならない。
しかし、キャンプ地に仰々しく警備員を配置しては、閉塞感を与えるばかり。ブルームの息抜きが主とした目的である以上、それは歓迎されないだろう。
そこで抜擢されたのが、本来であれば保護される立場のガーデナーたちだ。
ガーデナーは肉体的にも頑丈で、かつ一日二日の徹夜程度は難なくこなせる。生徒なのだから、キャンプ地にいることは当たり前。教師陣も泣く泣くといった様子ではあったが、これ以上ない好物件に頼らざるを得なかったというわけだ。
もちろん、キャンプ地の外側はプロの警備員たちが見張りをしている。教師も交代で巡回にあたっている。完全に油断していた寮侵入事件のときと比べれば、なにかが起こる可能性はかなり低いだろう————と思われていたのだが。
直護と時雨がのんびり雑談をしながら迎えた翌朝、実乃たちブルームの大半が目を覚まさないという事件が起こってしまったのである。
◇
わたしの目覚めは、快適とは言い難いものだった。
倦怠感、頭痛、そしてなによりも吐き気。
テントのなかではなく病院のベッドの上にいると気づくより先に、嘔吐した。
幸い、そばにいた直護くんが袋を差し出してくれたことでベッドを汚すことはなかったが、出てくるのは胃液ばかりで、それがまた苦しくて、久々にぼろぼろと泣いてしまった。
「お前、昨日から目を覚まさなかったんだぞ。マジで心配した……」
落ち着いて話が聞けるようになったときには、目覚めてからさらに二時間が経過していたらしい。
横になっているわたしの手を握りながら、憔悴した顔の直護くんがぽつぽつと状況を説明してくれた。
テントで寝泊まりした翌日、わたしだけでなく四季音ちゃんやあやめちゃんも目を覚まさなかったこと。先生に助けを求めたら、ほかのブルームも同様の状態だったこと。
四季音ちゃんはその日の夕方には目を覚ましたけれど、あやめちゃんはまだ起きていないこと。
個々人で発現している症状に違いがあること。わたしの場合は、食中毒に似た症状が強く出ていること。
ほかにも細々と話してくれたけれど、頭がぼんやりしてほとんどを聞き流してしまった。
「おなかすいた……」
「食ってもすぐに吐くと思うぞ。点滴はしてるから、医者がオッケー出すまでもうちょい我慢な」
「んー……」
胸がむかむかぐるぐるしているような感覚。最高潮に具合が悪い。なのになぜか空腹感は襲ってきて、胃までむかむかぐるぐるしてくる。
静かな個室の病室で、寝て、起きて、吐いて、直護くんと少し話して、また寝てを繰り返すこと五回。
さらに一日が経過してようやく、わたしは重湯を用意してもらえる程度に回復した。
「……おいしくない」
「まあ、うまさを求めるもんじゃないからな。それでも、昔よりはマシって話だけど」
「雑炊とかうどんが食べたい。たまごたっぷりのやつ」
「なら早く元気になって安心させてくれ。帰ったら好きなもん作ってやるから」
「ハンバーグ!」
「はいよ。退院する日に、材料買いに行こうな」
「やった! 直護くんのおいしかったから、もう一回食べたかったんだよね」
「弁当のやつか? あれよりもっと豪華なのにしてやるよ」
「もっと豪華……!?」
頭に思い浮かぶのは、分厚くて肉汁があふれていて、チーズなんかも乗っちゃってたりするハンバーグ。あまりにも楽しみすぎて、お腹がぐうと鳴った。
「はは。まずは目の前にあるのを食べてやれ」
——わたしは思わず、直護くんの顔をじっと見つめてしまった。
なんとなく……本当になんとなくでしかないけれど、笑い方がいつもと違う気がしたのだ。
べつに疲れた顔をしているとか、そういうわけではないけれど……。
「もしかして、寝てない?」
わたしが問いかけると、直護くんは一瞬目を見開いた。
「寝てはいるよ。いつもと比べりゃ短い時間になるが」
そう言って微笑んだ直護くんの表情は——時雨くんの笑顔に似ていた。
こちらに敵意があるわけではないが、本心を隠すような、うさんくさい笑い方。直護くんに似合ってなさすぎて、わたしはますます直護くんの顔を見つめる。
すると、直護くんも観念したらしい。そっと顔を逸らされた。
「……そんなにわかりやすかったか?」
「やっぱり! もう、わかりにくいよ! いままで全然気づかなかったじゃん! いつから寝てないの?」
「………………キャンプの日」
「キャンプの日!?」
開いた口が塞がらないとは、まさにこのこと。
頭がいいくせに、連日の徹夜がどれだけ体に悪いか知らないのかな……!?
「直護くんまで病人になる気!?」
「いや、ガーデナーはべつに少し徹夜したくらいじゃ——」
「少しじゃないでしょ! 看護師さん呼ぶ!? ベッド用意してもらおうか!?」
「いい、いい! ちゃんと帰って寝る!」
「じゃあ、いますぐ帰ってください! 寝すぎなくらい寝てからじゃないと、お見舞いも拒否するからね!」
◇
「でもね、そのあとも『実乃が食べ終わるまでいる』『検査が終わるまでいる』『寝るまでいる』ってどんどん長引かせようとしてきて! 心配だからとか言ってたけど、こっちの方が心配だよ! 病人に気遣わせるってよくないと思う!」
「甘楽さんのお気持ち、痛いほどにわかります……! ガーデナーの方々が丈夫であることは重々承知しておりますが、だからといってご自身をないがしろにしていいはずがないのです!」
「だよね! わたしが怒るの、間違ってないよね!」
がっちりと手を取り合うわたしと四季音ちゃん。その横で、同意を示すように頷いているあやめちゃんと手鞠ちゃん。
ここは、あやめちゃんが入院している個室である。わたしたちのなかで一番最後に目を覚まし、まだ不調が続いているあやめちゃんのもとに、暇を持て余しているわたしたち三人が遊びに来た次第だ。
ちなみにあやめちゃん以外は、明日退院の許可をお医者さんからもらえた程度には、もう元気になっている。
「その類の話で言うなら、アタシより年下のトモが授業をほっぽりだして見舞いに来たのも、怒るべきかどうか悩んだな。結局、泣きそうな顔をしていたから強くは言えなかったけど……どう思う?」
「うーん……。もしかして、初等部も来週テストだったり?」
「まさしくその通り。しかもここの初等部、高等部や中等部の期末テストと同じように、しっかり順位づけされて、成績悪いと補習も受けなくちゃいけないらしいんだよ」
「わあ……だとしたらなおさら、授業を優先してほしいよねぇ」
「そうなんだ。もしガーデナーなのに補習なんてことになったら、バカにされたりとかさ…………くっ、考えただけで罪悪感が」
非常に悩ましげな顔で頭を抱える手鞠ちゃんは、申し訳ないけれど微笑ましく見えた。
直護くんも授業を放棄してお見舞いに来ていたわけだけど、正直彼の勉強面に関してはなんの心配もしていないし、罪悪感も持っていない。このあたりの感覚の違いは、やはり年齢差によるものだろうか。
「ガーデナーのみなさまは当然上位に入る、という空気感がございますからね。なかには家を背負っている方もいらっしゃいますし、彼らは彼らでプレッシャーに思うこともあるでしょう」
「あ……あたしたちブルームはその点、どんな順位でも補習免除なので気が楽ですよね……。とはいえ……ど、どうせなら、テストが終わるまで入院していたい気分ですけど……」
「いや、あやめちゃんはマジで早く退院できるくらい元気になって。テストやりたくないなら、白紙で出しちゃえばいいんだから」
「えー……。ず……ずっとイスに座ってるだけっていうのも、それはそれで……」
「はは……アタシも自分の成績はどうでもいいし、それくらい割り切れたらラクできるんだけどな。テスト勉強、さすがに少しはやらないと。四季音は今回も上位狙いかい?」
手鞠ちゃんにそう問いかけられた四季音ちゃんは、眉尻を下げる。
「そのつもりではありましたが……正直に言うと、不安を覚えております。恐らく、休んでいる間にテスト範囲の発表もあったでしょうし……。出遅れてしまっていることはたしかですから」
「う……」
その発言で、わたしはとあることを思い出した。
テスト勉強の出遅れ。これはいまのわたしにとって、かなり重大な問題である。
「あ、あのね。わたし、入院なんてなかったら四季音ちゃんにお願いが——ううん、こんなことになったからこそ、四季音ちゃんを頼りたくって……! 聞いてもらっていいかな……!?」
「は、はい。どのようなご用件でしょう?」
「わたし、一教科でいいから、テストで100点とりたくて! 出題傾向とかコツとか、いろいろ教えてくださいっ!」
きょとん、と四季音ちゃんは目を丸くする。
彼女に問われ、わたしは100点を目指すことになった経緯を説明することになった。
——それは、キャンプをするより前の話。
「直護くん! 今度のテストで勝負だ!」
直護くんが、わたしから秘密を引き出すために持ち掛けた勝負。その勝敗結果を、わたしはテストに託すことにした。
しかし、そう来るのは予想外だったようで、直護くんは「テスト」とわたしの言葉を反芻したのち、「……いや、それはどうなんだ?」と首を傾げた。
「わかってるよ、比較にならないくらい直護くんの頭がいいことは。だからハンデください!」
「潔いな。まあ、そっちの方が俺も安心して挑めるってもんだが…………実乃も、勉強にはある程度自信があると思っていいんだよな?」
「うん、あり寄りのあり! でもハンデはちょうだいね、お願いだから!」
「それはわかってるよ。……そうだな」
しばし考え込んでから、直護くんは「ならたとえば」と口を開いた。
「俺の一番悪い教科の点と、実乃の一番良い教科の点を比較するってのはどうだ?」
「えっ。それはハンデつけすぎじゃない?」
「そうか?」
「だって、わたしが100点とったら、直護くん絶対負けちゃうよ」
「俺が全教科100点とって、引き分けになる可能性もあるけどな。それに、なんつーか……まあ正直に言えば、初めてのテストで100点とるのは難しいと思うぞ」
この直護くんの言葉に、わたしはつい、むっとしてしまった。火がついたとでも言うべきなのかもしれない。
そもそもわたしにとっての本題は、勝負の流れからキスにもっていけるかどうか、というところにあり、最悪負けたとしても『ちょっぴり悔しい』で終わるはずだったのだ。
けれど自慢じゃないが、中学時代のわたしは常に上位の成績をキープしていた。高校だって、一応そこそこいい進学校に自力で合格している。たったの一教科すら100点をとれないと思われているのは、わりと、けっこう、それなりに、心外だった。
「むくれんな」
「あう」
直護くんが、わたしの頬をつねる。
「授業進度が実乃の通ってた学校とかなり違うのは事実だろ。俺は復習で足りても、お前がテスト範囲を網羅しようと思ったら、予習までする必要がある」
そんなことはわかっている。わかっているけれど、でも一教科に絞っていいのなら、絶対に100点をとれないなんてことはないと思うのだ。
「テスト勝負なら、俺はこれ以上ハンデを譲るつもりはないぞ」
そう言って、直護くんはまったく痛くしてくれないまま、わたしの頬から指を離してしまった。
「むむむ……」
なにもかも不服。遺憾の意。
けれど、こうなったらもう絶対に100点をとって、直護くんを驚かせてやる! としか考えられなかった。
だからわたしは、「わかった、いいよ、それでいこう!」と意気込んだのである。
——という内容をかいつまんで話すと、四季音ちゃんと手鞠ちゃんは苦笑し、あやめちゃんは『勉強で勝負なんて正気?』みたいな顔をしてくれた。
わたしも正直、いまになって非常に焦っている。だってもともと、入念な準備と対策を練ってからテストに挑むつもりだったのだ。だから、本気で100点もとれると信じていた。
けれど現状テスト勉強どころか、入院のせいで授業にすら出られていない。テスト範囲も確認できていない。得意科目と範囲を鑑みて、どの教科に力を入れるか決めるつもりだったのに。
「わたくしはもちろん了承いたしますが……」
「ホント!?」
「ふふ、はい。ですが、勝負をしてまで隠している甘楽さんの秘密というのは、とても気になりますね」
「そ……それはあたしも……!」
「アタシたちにも秘密なのかい?」
「うぐ……! み、みんなにも言わないっ」
みんなには、わたしたちがまだキスしてないことを知られてしまっているけれど、だからといってあれからキスしたいって思い続けてるなんて、口が裂けても言えるわけがない……!
「か……顔が赤い……。ハッ……え、えっちなことですね……!」
「違う! あやめちゃん、そればっかり!」
熱い頬を押さえて叫ぶと、四季音ちゃんが「それは本当に甘楽さんの仰るとおり」と深く同意を示してくれた。




