18.嫉妬
テントへの荷運びも終わり、カレーライスももらってきて、よし串も焼けた! という段階になってから、ようやく時雨くんが戻ってきた。
夕暮くんはブチギレの表情である。
「き・さ・まァ……! よもや、すんなり食事にありつけるなどと思っていないだろうな……!」
「いやだな、ちゃんと感謝してるよ。みんなありがとうね、僕のために」
「こんのッ……!!」
夕暮くんの拳が振りあがる。
さすがにそれはマズイ、と冷や汗をかくと同時に、その腕を直護くんが掴んだ。
「時雨。後片づけはお前がやれよ」
「えー? もう、しょうがないなあ」
「しょうがなくないだろうが、粗大ゴミ以下の分際で! 直護に感謝しろ!」
「はいはい、ありがとありがと」
殴られそうになったことは理解しているだろうに、この態度。時雨くんの図太すぎる神経に、むしろ脱帽してしまう。
直護くんは慣れているのか、「ほら、お前のぶん」と時雨くんに串焼きを渡した。
ひとまず盛大な兄弟喧嘩に発展しなくてなによりだ。
「それじゃ……いただきまーす!」
肉と野菜を焼いただけ。しかし、いつもよりおいしく感じるのは、シチュエーションによるものだろうか。……いや、直護くんの料理の腕のおかげかもしれないが。
初夏の夜。熱気を疎ましく思いながらも、炭でじっくり焼いた甲斐があった。
「んんん~! 全部おいしい! でも、とくにこのタレのやつめっちゃ好きぃ~!」
「そりゃよかった。タレはお前の好みに合わせたやつだからな」
なんと、こんなときまでわたしの好みを考慮してくれるとは。
直護くんの愛をひしひしと感じる。にやけてしまいそうだ。
しかし次の発言により、わたしはにやけるどころか真顔になってしまった。
「ちなみにこっちのハーブ系は、僕の好みに合わせてくれたやつ。でしょ?」
「好みっつーか……お前、少しでも肉の臭みが残ってると食わねぇだろ」
「ふふ。やっぱり、よそじゃなくてこっちで食べることにして正解だね」
好みを考慮してもらっていたのは、わたしだけじゃなかったようだ。
……もしかすると、時雨くんってわたしのライバルなのかもしれない。
「直護くん……あんまり人をたぶらかすようなことしない方がいいと思う」
「あ? いま、そんな話してたか?」
「してた」
「なにぶすくれてんだよ」
こつん、と頭を小突かれる。
「うっ」
心臓がぎゅーっとなった。
そんなことしたからって、いつでもわたしの機嫌が直るなんて思ったら大間違い——でもマズイ。人前で意地悪されてる背徳感も合わさって、よだれが出そうなくらい顔が緩みそう。
「実乃? 顔がしわくちゃになってるわよ」
「いまは放っておいて、芽繰ちゃん……! いろいろ耐えてるの……!」
「ふーん……? ピーマン、嫌いなの?」
「副委員長。それを本気で言っているのなら、俺は貴様も低能グループに分類する必要があるぞ」
ピーマンは正直、苦手寄りだ。でも、お肉とタレで味はそこまで気にならないし、それどころじゃない。
「ちなみのちなみに、僕はピーマン好きだよ。直護の料理、今日一番堪能してるのは僕ってことになるね」
「もーっ! 時雨くんは時雨くんで、さっきからなんなの!」
「ふふふふっ。だって実乃ちゃん、わかりやすいから楽しくて」
本当にイイ性格をしている。
ある意味、時雨くんの言動も『意地悪』に分類されるのだろうけど……なんだろう、このドキドキのなかにイライラも混じるような気持ちは。
「ちなみのちなみのちなみに、中等部のころは僕より直護の方がモテてたよ。婚約者がいなかったし、成長期が早くて大人びて見えてたからかな」
——あ、嫉妬だコレ。
唐突に理解した。
直護くんと仲良しアピールしてきたり、昔のことを掘り返して嫉妬心を煽ってきたり。たぶんそのせいで、純粋なドキドキを味わえなくなっているのだ。
自分が嫉妬で苛立ちやすい性格してたなんて、初めて知った。
「聞きたくなかったぁっ……!」
「時雨、お前余計なこと言うなよ」
「えー、べつによくない? やましいことはしてないんだし。告白してきた子は、全員ちゃんと断ってたでしょ?」
「告白までたくさんされてるぅ……!」
「だから言うなって。実乃も時雨の言葉なんか適当に聞き流しとけ」
嘆くわたしの頭を、直護くんが撫でてくれる。強めに小突いてくれた方がわたしは嬉しいけど、まあ撫でられるのも嫌いじゃないので「ありがとう……」と返しておく。
「ごめんごめん、からかいすぎたね。でもほら、想定通りすごい顔してくれるから」
「すごい顔……?」
わたし、そんなにおもしろい顔してる? と思ったが、時雨くんはわたしや直護くんを見ていなかった。
「ね、冬優ちゃん」
「えっ」
みんなの視線が、自然と祢宜田さんに集まる。
食事中ずっと無言だった彼女は、時雨くんの言う『すごい顔』はしておらず、困惑の表情だ。
「こわーい目で実乃ちゃんのこと睨んじゃってさ。直護の視界には入ってないと思っていたんだろうけど、僕らからは見えてるよ」
「な、なにを……してない、睨んだりなんてっ……! 是橋くん、してないから……!」
「僕や実乃ちゃんじゃなくて、直護に弁明するんだね」
——こ、この流れ、よくないかもしれない。
そりゃあ、祢宜田さんから睨まれるのは日常茶飯事だったけど、わたしは責めるつもりなんてなかったのに……!
祢宜田さんはくしゃりと顔を歪めて、いまにも泣きそうな顔になる。
慌てて時雨くんにアイコンタクトを送り、『この話はおしまいにしよう!』の意味で首を横に振る。時雨くんからは、微笑みが返ってきた。
「ごめんね。実乃ちゃんは制裁みたいなこと考えてないって知ってたけど、僕が普通に気分悪かったから。せっかく直護もいるし、ボロを出させてやろうと思っちゃって」
「貴様は本当にズレているな。こんな空気になった方が気分悪いだろうが。しかも、作業を手伝わず俺の気分を悪くさせ続けている貴様が言うか」
「だって、このあと実乃ちゃんと冬優ちゃんは同じテントで寝るんだよ? 僕ら男子は介入できなくなるし、なにもしないままの方が心配じゃない?」
「………………ふむ」
一理ある、という雰囲気で夕暮くんは黙ってしまった。
お願い、負けないで。いつもの暴言を駆使して、もっとがんばって反論して。
そう祈ってみたが、口を開いたのは夕暮くんではなく芽繰ちゃんだった。
「是橋くんはどう思ってるの?」
「ん?」
「もうこうなったら、はっきり言ってあげた方がいいと思うわよ。実乃と一緒のテントが不安なら、それもはっきり言って。こっそりほかのグループの子とメンバー交代すればいい話だし。……まあその場合、そのグループの子たちからは邪推されるだろうけど」
「んなこと言われてもな」
直護くんは興味なさげに言った。
「交代したいならすればいいし、ここにいたいならいればいい。どっちでも好きにしろよ」
「どっちでもって……直護、実乃ちゃんのこと心配じゃないの? なにかあったとき、傷つくのは直護じゃなくて実乃ちゃんだよ?」
時雨くんは意外そうに目を瞬かせている。
はあ、とため息をついた直護くんが「つっても、その実乃本人がな」と言い、わたしに視線を向けてきた。
「お前、祢宜田のこと気に入ってるだろ」
「——は?」
真っ先に反応したのは、祢宜田さんだ。驚きと、疑念と、嫌悪が一緒くたになったような声。
「やん、もう、直護くんってば。なんでわかったの?」
べつに隠すことでもないのでわたしがそう言うと、祢宜田さんはさらに嫌悪をの色を濃くして「は?」と繰り返す。
「見てりゃわかる。そもそも、祢宜田が実乃を嫌ってることに気づいてないみたいな言い草だったが、俺はそこまで鈍感じゃねぇよ。気づいてたうえで、実乃が楽しそうにしてるから放置してただけだ」
「そんなに楽しそうにしてた? 表には出さないようにしてたつもりだったんだけどな……」
「表に出さないよう我慢してるのがまるわかりだった」
「そっかあ」
つまり——実は祢宜田さんから睨まれるたびにドキドキしていたのも、全部お見通しだったのか。
うーん、なかなかに目敏い。祢宜田さんが悪く思われてしまわないよう、直護くんにもろもろ黙っていたのも無駄だったというわけだ。
「…………んーと? ちょっと予想もしてなかった展開で頭がストップしかけたんだけど」
おや、とわたしは少し驚く。
珍しく、時雨くんの眉間にシワが寄っていた。
「実乃ちゃん……冬優ちゃんを気に入ってるの? 直護の勘違いじゃなく?」
「ハッ。わかりやすいとか言ってたくせに、実乃のことなんにもわかってねぇじゃねぇか」
「わあ、ビックリするくらいまっすぐなマウント。たしかに全然気づかなかったけどさ————実乃ちゃんがドエムだったなんて」
「違うよ!?」
危うく持っていた串焼きを落とすところだった。それくらいの衝撃だった。
そしてさらに衝撃だったのは、続けて直護くんが「えっ」とこぼしたことだ。なにその反応。なにその目をまん丸にした顔。
「時雨くんも直護くんもひどい! わたし、痛いこととか好きじゃないもん!」
「いや……うーん……あー……まあ、実乃がそう言うなら、それでいいが」
「歯切れ悪すぎ!」
婚約者がそんな言い方したら、まるで時雨くんの言葉を肯定してるみたいに聞こえるじゃんか……!
芽繰ちゃんも夕暮くんも、心なしか『へえ、コイツってそうなんだ……』みたいな目でわたしを見ている気がする。
でも、その冷ややかな目もちょっとドキドキして悪くない……!
そんな気持ちが表に出ないよう、顔面の筋肉に力を入れていると。祢宜田さんが「ま……待って!」と叫んだ。
「わたしを気に入ってるってなに……!? わたしはあなたのこと嫌いだってわかってる!?」
「う……そ、それはわかってるよ。嫌われてるのは悲しいけど……」
「頭おかしいんじゃないの!? 気持ち悪い!」
「はわ……!」
本気の蔑み。目つき、声色、わたしに向けられるものすべてが、わたしの心に突き刺さる。
——瞬間、手に持っていた串焼きを奪われ、ぐいっと後頭部を押される。わたしは下を向くことになった。
「その顔、見せんなっつってんだろ」
「わ、あわ……ふへへへ、直護くん、力強い……」
「…………痛かったか?」
「ううん、しゅきぃ」
やばい。下を向いていたら、よだれがこぼれそうだ。それくらい口元が緩んでしまっている。早く元に戻さなくては——なんて思っていると。
「な……なんで……なんでそんな人がいいの……!」
「ちょっと、冬優……」
祢宜田さんの震える声と、それを窘める芽繰ちゃんの声が聞こえてきた。
わたしはまだ後頭部を押さえられているので、祢宜田さんの表情を見ることはできない。
「薔薇のブルームだから? そんなのズルい……! わたっ、わたしの方が、ずっとずっと是橋くんのこと知ってる……! ずっとずっと好きだったのに……! うっ……く……」
か、完全に泣いてる……!
わたしが蔑まれたりするぶんには全然ウェルカムだけど、さすがに泣かれると目覚めが悪い。
「な、直護くん……!」
泣きやんでほしい、ちゃんと話したいから一回手を離して、の意味でわたしは直護くんの名前を呼んだ。
しかし、直護くんは別の意味で受け取ったらしい。わたしの頭を押さえつけたまま口を開いた。
「わりぃが、婚約したあとに改めて告白するくらいには、俺は実乃が好きだよ。そんでもって、俺がお前を許してんのは、実乃がお前を嫌ってないからだ。俺は実乃を嫌うお前のこと、好きじゃねぇ」
「ふふ、辛辣~」
からかうような時雨くんの声。そして、それに重なって嗚咽も聞こえてくる。
そりゃあ、いまので泣きやんでもらえるわけがない。悪手でしかないもん。
直護くんに任せていたら余計ひどいことになりかねないので、わたしは無理やり直護くんの手を振り払い、顔をあげる。
祢宜田さんは、いつもきれいに仕上がっているアイメイクがぐしゃぐしゃになるくらい泣いていた。
「あの……! べ、べつに、気に食わないなら気に食わないままでいいんだよ。いままでみたいに睨んだり舌打ちしたりして気持ちを発散してくれれば、わたしも嬉しいし……」
「ひ、ぅ……よっ……喜ばせてるってわかって続けるわけないでしょ……! 本当にどうかしてるんじゃないの……!?」
祢宜田さんはわたしを睨みつけ、走り去ってしまう。
結局は睨んでくれたけれど、泣きながら睨まれてもまったくドキドキしなかった。新発見である。ひたすらに気まずい思いが募るばかりだ。
そして、そんなわたしの心境なんてなんのその。「あー、おもしろい見世物だった!」と言い放った時雨くんを、夕暮くんが力いっぱい殴りつけていた。




