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花咲くわたしと意地悪な婚約者  作者: はねる朱色


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16/25

16.梅雨

 天気予報のお姉さんが、梅雨入りを告げた。

 朝っぱらから土砂降りになっていると、家のなかにいても湿気がすごくて髪が爆発してしまう。

 いつも下ろしている髪をひとまずひとつ結びにしてみても、やはりうねって毛先が暴れている。寝癖も相まって、ヘアアイロンですら太刀打ちできない頑固さだ。

 洗面台の前でうんうん唸ること二十分。忙しい朝の時間、そんなに洗面台を占領していれば、直護くんが声をかけてくるのも当然だろう。


「どうした? そろそろ出る時間だぞ」

「だって、髪がぁ……」


 それだけで、察してくれたらしい。


「触っていいか?」

「うん…………ん?」


 とりあえずで返事をしてしまったけれど——直護くん、湿気で狂った女の子の髪をどうにかできるの?

 そんな疑問を投げるより早く、直護くんの手はわたしの髪をひとつ結びから三つ編みへと変貌させてしまう。

 そして、できた三つ編みを少し緩めてからくるりとひねり、ピンで留める。


「で、たしかこのあたりの髪を軽く引き出す…………うし、完成」

「おぉ……!」


 あっという間に、ルーズなお団子ヘアの出来あがりだ。


「な、なんでこんなに手慣れてるの……!?」

「手慣れてたか? 前に動画で流れてきたやつ、いま初めて試したんだけどな」

「初めて!? う、うそだ……」


 わたしも、ヘアアレンジの動画は見たことがある。いまどき、その手の動画は大量にあるから、男の子の目に入ることもあるだろう。

 でも、見たからってできるとは限らないのだ。

『簡単』『お手軽』と銘打たれていても、いざ試そうとすると、なんだか不格好になる。何度もわたし自身が経験したことだ。

 あまりの女子力の負けっぷりに、絶望しそう。


「これもガーデナーの才能ってやつなの……? 恐ろしすぎる……!」

「ほら、もう行くぞー」

「あうっ」


 ぺすん、と頭をはたかれる。

 絶望感は、それだけで吹っ飛んだ。





 ◇





「おはようございます。ふふ、今日はお揃いですね」


 右隣の席に鞄を置いた四季音ちゃんが、自分の青い髪を指さした。

 わたしのルーズなそれとは少し形が異なるものの、四季音ちゃんはいつものお団子ヘアである。


「おはよー。えへへ、直護くんがやってくれたんだぁ」

「是橋さんが? 本当に器用なお方……」

「ねー。わたしもビックリしちゃった」


 逆隣の席の直護くんは、廊下に出て他クラスの男子と話している。部活の助っ人に関するお願いをされているのが漏れ聞こえてくるが、席に戻って来るにはいましばらく時間がかかりそうだ。

 わたしは引き続き、四季音ちゃんと話を続ける。

 お団子以外のヘアアレンジの話、来月のテストの話、毎回テスト二週間くらい前に用意されているらしいレクリエーションの話————ふいに、ガツンと机が揺れた。


「ああ、ごめん」


 おざなりな謝罪。

 わたしを見下ろしているのは、湿気の多い今日もメイクと髪型をバッチリ決めた祢宜田さんだった。どうやら、わたしの席の横を通過する際、彼女の鞄が机にぶつかったようだ。


「ううん、気にしないで」

「チッ」


 祢宜田さんはわたしから視線を逸らし、自分の席へと歩いていった。


「また随分と露骨な……。大丈夫ですか?」

「いまの、わざとだった?」

「わたくしの目には、そう映りました」

「ふーん……」


 祢宜田さんからの地味な嫌がらせは、ちょくちょく起こる。わたしがなんとも思っていないような反応をしても、めげずに何度もだ。

 ——まあ、なんとも思ってないわけはないから、わたしにも積み重なっていくものがあるんだけど。

 自分の席に着いた祢宜田さんを見つめても、もう目は合わない。


「あっ!」


 突然、四季音ちゃんが大きな声をあげる。

 なにごと、と祢宜田さんから四季音ちゃんへと視線を移すと。


「あぁっ!!」


 その四季音ちゃんの向こう側に、あやめちゃんが立っていた。


「オ……オハヨウゴザイマス……」


 わかりやすいくらい緊張しているあやめちゃんの姿を、頭の先からつま先まで観察する。

 強張っているけれど、顔色は悪くない。橙色の髪が少しボサついて見えるのは、湿気のせいだろう。そして、小さな金木犀の花は——綺麗な橙色をしていた。

 変色していない。枯れていない。それを理解した瞬間、泣きそうになる。


「よっ……よがっだぁ~~~~!」

「わわっ……!? あ……あつい……!」


 感極まった勢いであやめちゃんに抱きつけば、照れ隠しまじりの苦言を呈されてしまう。

 まあ実際、蒸し蒸ししているから、暑いのはその通りだ。

 けれど、さらにそこへ追撃が入った。


「あやめぇ~~!!」

「うぐっ……!」


 駆け寄ってきた手鞠ちゃんがめいっぱい手を伸ばし、わたしごとあやめちゃんを抱きしめる。

 それはもうぎゅうぎゅうと、苦しくて胸が高鳴ってにやけそうなほどに。


「は……恥ずかしいですよぉ……!」


 離れようともがくあやめちゃんを、わたしと手鞠ちゃんはしばらく拘束し続けた。





 ◇





「ケンカしたぁ?」


 わたしのフォークに巻きつけていたカルボナーラが、するりと皿に落ちる。

 あやめちゃんはハンバーグをフォークで刺しながら、頬を膨らませた。


「そ……そうです……! もちろん、最初はたくさん甘やかしてもらえましたし……いくらだらだらしても怒られないし……めんどくさい学校にも行かなくていいし……。あ……あの環境に大満足していて、一生引きこもってやるぞーって思っていたんですけど……!」

「そんなノリだったのかい? まあ、元気になってくれるんならそれはそれでいいんだけど、せめて返信がほしかったな」


 手鞠ちゃんが、膨らんだあやめちゃんの頬をつつく。

 あやめちゃんは少し気まずそうに視線を落とした。


「そ……それは……だって、婚約者の実家にいたんですもん……」

「学園の外と中のやりとりは、制限がかかってしまいますからね。わたくしたちのメッセージは、岸さんも学園に戻られてから閲覧可能になったのではないでしょうか」


 四季音ちゃんの言葉に、あやめちゃんがコクコクと頷く。


「あー、そういえば、そんな仕様だったっけ。恥ずかしながら外の友達とはもう縁が切れてるから、気にしてなかったな」


 手鞠ちゃんの言葉を聞いて、わたしも『そういえば』と思う。ブルームになってから濃密な日々を過ごしているせいか、中学時代の友達とまったく連絡をとっていない。

 卒業式の日に連絡先は交換したし、なかには幼稚園時代から一緒だった友達もいるのだが、久しぶりに顔を思い出しても連絡を取る気になれないのは、わたしが薄情だからなのだろうか。


「それで、岸さんは満足なさっていたのに、なぜ婚約者さんとケンカしてしまったのでしょうか?」

「そっ……そうなんです、聞いてください……! ひどいんですよ……!」


 再び、あやめちゃんの語気が強くなる。

 カルボナーラを咀嚼しながら、うんうんと相槌を打っていると。


「あ……あたしのこと好きって、大切だって言うくせに……同じ部屋で寝るくせに————いつまで経っても、手を出してくれないんです……!!」

「んぐっ……!?」


 思わず吹き出すかと思った。慌てて飲み込んで事なきを得たが、危なかった。

 四季音ちゃんは頬を赤く染めているし、手鞠ちゃんは変な咳ばらいをしている。

 そんなわたしたちの反応など構わず、あやめちゃんはさらに続けた。


「ベッドくっつけてるのに……手は繋いでくれるのに……キスもしてくれるのに……それ以上はダメってなんなんですか……!? 子どもを産むためのブルームなんですから、ダメってことないでしょ……! そ……そんなにあたし、魅力ないですか……!? お……男の人って、好きな子が隣で寝てたら、据え膳で襲うもんなんじゃないんですかぁっ……!?」

「あ、あああやめちゃん声が大きい……! 落ち着いて……!」


 ここは昼休みの食堂だ。

 わたしたち四人の周りにも、たくさんの生徒がいる。もちろん、男子もだ。

 気まずそうにこちらを見ている他クラスの男子と目が合って、申し訳なくなる。

 あやめちゃんの声は少し小さくなったものの、怒りはなかなか小さくならないらしい。


「だ……だから、家出してやりますって言って、学園に戻ってくることにしたんです……! しばらく寂しい思いでもしてればいいんですよ、あんな人……!」

「そ、そっかそっかぁー」


 なんと返せば正解なのやら。わたしは苦笑いすることしかできない。


「まあ……でも、あれじゃないかな。大事にされてる証だと思うよ、アタシは」

「わ、わたくしも同意見です。好きと仰っていただけていて、その……キスも……でしょう? わたくしたちの年齢であれば、十分のように思います」

「で……でも……! 四季音ちゃんはえっちなことしてるんでしょ……!?」

「岸さん! お願いですから、そのお話はやめましょう!」


 真っ赤になって叫ぶ四季音ちゃん。その声を聞きながら、わたしは『おや?』と思った。


「……ねえ、みんな。聞きたいことがあるんだけど」

「ん? この流れでかい?」


 首を傾げる手鞠ちゃんに、わたしは力強く頷く。


「みんなって初めてのキス、いつしたの?」

「えぇっ!? し、真剣な顔でなにかと思えば……!」


 手鞠ちゃんの顔も赤くなる。


「も、もしかして、手鞠ちゃんもう済ませたとか言わないよね……!?」

「してない! するわけない!」

「だ、だよね……! ビックリしたぁ……。——それで、ふたりは?」


 あやめちゃんは思い出を探るように、視線を宙に投げる。


「うーん……。お……お互いを恋愛対象だと思えるかの確認で、試しにしたのはばっちり覚えてるんですけど……。いつ……いつでしたっけ……? 三回目の親睦会だったような……四回目だったような……。な……夏休み前だったのは、たしかなんですけど……」

「あやめちゃん、6月生まれだったよね。じゃあ、婚約者になってから大体一か月くらいだとして……四季音ちゃんは?」

「う……」


 スッと四季音ちゃんが目を伏せる。微かに口が動いたような気がしたが、よく聞き取れなかった。


「ごめん、もう一回」


 わたしは四季音ちゃんに顔を近づける。

 あやめちゃんと手鞠ちゃんも興味があるのか、同様に顔を近づけた。


「…………ブルームになった日、です」

「はっや!?」


 ついツッコんでしまった。

 四季音ちゃんはブルームになる前から婚約者さんと知り合いだった——知り合いどころか、ご主人様とメイドという関係だったとは聞いていたけれど、それにしたって。


「あの……も、もしかしてですけど……実乃ちゃん、キスって……?」

「う……」


 あやめちゃんに問われ、今度はわたしが目を伏せる番だった。

 わたしは食堂のどこかにいる直護くんに聞こえないよう、極力声を潜めて答える。


「まだしてもらってない……! 一緒に住み始めて、もう一か月以上経ってるのに……!」


 あー……、と全員が微妙そうな反応をする。

 絶対、『遅い』って思われた。カルボナーラがしょっぱく感じた。





 ◇





 キスを求めるタイミングというのは、非常に難しい。

 ちゃんと歯磨きをして、ブレスケアまでして、それで『いざ!』と気合いを入れて誘おうとすること早五回。すべて日和って失敗した。

 ただ無駄に息が清涼感にあふれるだけの日々が過ぎていく。

 ここ最近はずっと直護くんの目ではなく、唇を見て話しているような気さえする。


「あ、あ、明日……! 千賀士さんとゲームをすることになりましたので、ぜひご一緒に……! 勝者はなんでもひとつお願いを叶えてもらえるというご褒美つきですよ……!」


 調先輩に呼び出され、階段の踊り場の隅で懇願されているいまでさえ、彼女の話はきちんと耳が拾っているものの、目は隣の直護くんの唇をちらちらと追ってしまっている。


「わざわざ一年の教室にまで来てなにかと思えば……。ひとりが心細いなら、兄さんと行けよ」

「お忙しい兄さんを呼べるわけないでしょう……!? ただでさえ、明日の場を設けていただくためにご迷惑をおかけしているのに……」

「俺たちも忙しいんだっつーの」

「まあ……またそんな言い方……! そもそも、直護さんはお呼びでなくってよ! わたしは実乃さんをお誘いして————お待ちなさい、あなた、スマホでなにを」

「兄さん、行けるってよ」

「なっ……なななんてことを……!」

「俺らはもうお役御免だろ。行こうぜ、実乃」


 軽快に動く直護くんの唇は、心なしか艶っぽく見える。

 一緒に暮らし始めてからも、リップクリームを塗っているところすら見たことがないのに。カサついてる様子すら微塵も感じられないのは、なぜなのだろう。

 湿気が多い季節だから? それとも、まさかこれもガーデナーの才能? 思えばニキビができているところも見たことがないから、才能かもしれない。なにそれ、羨ましすぎるんだけど。


「————実乃?」

「えあっ」


 突然、直護くんに手を握られ、思わず肩を震わせるほど驚いてしまった。


「なっ、なに?」

「だから、行くぞって。……最近、ぼーっとしてること多いよな。体調悪いか?」

「え……そうなのですか? ごめんなさい、わたしったらこんな場所で立ち話なんて——」

「ち、違う違う違います! 体調は全然ヘーキ! 元気が取り柄のわたしなので!」


 慌てて首を横に振るが、ふたりはまだ疑念の眼差しを向けてきている。


「じゃあ、なんだよ」

「それは……そのぅ…………ひ、ひみつ?」

「はあ?」


 険悪なお顔が、眼前に迫ってくる。

 そんなわたし好みな外見を駆使したって、わたしは絆されないし、口を滑らせたりもしないんだから……! だって、キスのことばっか考えてるなんて、恥ずかしくて言えないもん……!


「お前が俺に隠しごとねぇ? いつまで秘密にしてられるか見物だな。ぽろっと言っちまいそうだけど」

「いじわう~!」


 直護くんの指が、わたしの頬を引っ張る。

 ほとんど痛くないのは、痛くすると逆にご褒美になると思われているからだろうか。ちょっぴり残念。……もっと強くしてって言ってみてもいいかな?

 けれど、わたしのそんな心中を知るはずもない調先輩が、お堅い声で「直護さん」と言った。


「あなたね、大切な婚約者にそのような振る舞いはないでしょう。それに、あなたの口の悪さはいまに始まった話ではないですけれど、『お前』という乱暴な呼びかけもよろしくありません。実乃さんに愛想をつかさ——」

「やら! お前って呼んれくれなくなったら泣くよ!? ほっへももっと強くひて!」

「————え?」

「ふっ」


 調先輩の困惑に、直護くんの嘲笑が重なる。

 一瞬だけ、ぎゅうっと強く頬をつねられ、けれど指はすぐに離れていってしまった。


「俺たちの関係に他人が口出しすんな。同じように、そっちの関係にこっちが踏み込みすぎんのも違うだろ。お前とお前の婚約者の両方を知る兄さんが、ふたりきりで会わせても問題ないっつー判断で明日のセッティングしてんだ。まずは、お前の尊敬する兄さんの判断を信じて、ひとりで行ってこい」

「な、直護くん、直護くん。もう一回っ」

「お前は家に帰ってからな。その顔、教室に戻るまでにはなんとかしろよ」


 わたしは直護くんに手を引かれ、調先輩を置いて階段を下りていく。

 そして直護くんは、振り返らずに言い放った。


「ちなみに、明日兄さんが来るってのは嘘だ」


 これには、わたしもビックリだ。スマホを触っていたのは、連絡をとるフリをしていただけということか。

 階段を下りきってから振り返ると、調先輩はぱくぱくと口を動かしてはいたが、声は出ていなかった。

 嘘をつかれて怒っているのか、それともそれより前に言われたことに思うところでもあったのか。いずれにせよ、わたしは手を引かれているのでそれ以上うしろを見続けることはできず、小さく会釈だけしてその場を離れることになった。

 ——しかし。

 あと十歩も進めば教室にたどり着くというところで、直護くんが足を止める。


「で、秘密は?」

「えっ」


 手を握ったままの直護くんを見上げると、直護くんは無表情でこちらを見下ろしていた。

 ご機嫌ナナメなのかどうかは、判断がつかない。


「そ、その話、終わってなかったの?」

「勝手に終わらせんな。どうしても言いたくないってんなら……そうだな」


 にやっと直護くんの口角が意地悪くあがった。どうやら、ご機嫌ナナメになるほど重く捉えているわけではないようだ。


「さっき調が言ってたことに倣ってみるか」

「調先輩が言ってたこと……」

「勝負だよ、勝負。ゲームで勝ったヤツは、なんでもひとつ願いを叶えてもらえるって話だったろ? ゲーム以外でもいいが、俺たちもなんか勝負しようぜ」

「えぇっ、直護くんと!?」

「俺が勝ったらもちろん、秘密を教えてもらう。実乃が勝ったら、俺がなんでも言うことを聞く。どうだ?」


 にやにや顔の直護くんは、自分がめちゃくちゃ有利であることをわかっているのだろう。

 もちろん、わたしだってわかっている。直護くん相手に勝てる勝負なんて、まったく思いつかない。

 でも、この提案はチャンスだ。

 わたしが勝てば、キスをねだる。負ければ、秘密——キスしてほしいと思っていることを明かす。

 どちらに転んでも、結果は誤差。このままずるずるとキスのタイミングを探り続けるよりは、勝負に乗った方がスムーズに事が進む気がする。たぶん。

 ——しかし、とはいえ、わざと負けるのは悔しい。

 わたしはしばらく悩んでから答えた。


「勝負内容は、しばらく保留でもいい? 直護くんに勝てそうなやつ、考えてみる」

「へえ……。俺から言っといてなんだが、いいのか? 手を抜くつもりはないぞ」

「いいよ。わたし……直護くんに叶えてもらいたいお願いごと、あるから」

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