14.百合
「ごめん、直護くん……! 今日も調先輩とお茶会で……!」
わたしがこのセリフを吐くこと十回以上。
そのぶんだけ放課後の親睦会をキャンセルされた直護くんは、とうとう我慢の限界を迎えてしまったらしい。
「……断れないなら、俺から言ってやるよ」
「いやっ……そのぉ……なんていうか……! 一応わたしも行きたくて行ってると言いますか……!」
「…………へえ」
見るからに直護くんが不機嫌だ。
これっぽっちも口角があがらないし、視線が合わないし、声のトーンも低い。普段よりさらに威圧感マシマシでドキドキする————じゃなくって。
直護くんに不快な思いをさせるのは本意ではない。
なにせ、形式的な婚約者の枠を乗り越えちゃんとお付き合いを始めて、まだ一か月未満。長く付き合えば多少なりとも喧嘩をすることもあるだろうけれど、わたしたちがギスギスするのはあまりにも早すぎると思うのだ。
帰り支度をしているクラスメイトが、ちらちらとこちらを見ているのがわかる。
だれか助けて、フォローして、と願っても、みんな好奇の目を向けてくるばかりで、近づいてくる気配が一切ない。
どうやら、わたしひとりで不機嫌直護くんに挑まねばならないようだ。
「たぶんね、たぶんだけど、いまだけだと思うんだよ、呼ばれるの。こう……ええと……調先輩が飽きたらっていうか、満足したらっていうか、大丈夫になったらというか……」
「いまってのがなお悪い。事件あったばっかだぞ。昨日も帰り遅かっただろうが」
「え。でも帰りは、サロンの執事さんとかボディーガードさんが送ってくれるよ?」
「事が起こったときのための人員をあてにしすぎんな。まず事が起こりにくい状況を作れ。早く帰るに越したことねぇんだよ」
それを言われると、ぐうの音も出ない。
直護くんを納得させられるだけの言葉が見つからず、「でも……」のあとは口を閉じてしまった。
そうして、気まずい沈黙が落ちる。
その沈黙を破ったのは、わたしのスマホだった。表を向けて机に置いていたせいで、メッセージ着信を知らせる振動とともに、『調先輩』という発信者と『遅いので心配です。ホームルームが長引いているだけならばよいのですが』という文が表示されたのだ。
当然それは、直護くんの目にも入ったらしい。
画面を睨みつけたかと思うと、所有者のわたしより先に手を伸ばして、スマホを取り上げてしまった。
「俺も行く」
「えっ?」
自分の鞄もわたしの鞄も持って、直護くんが歩きだす。
「えっ、えっ。直護くん、待って、まさか——」
行先は、そのまさかだった。
◇
「よく、独占欲の強い男は嫌われると言いますよね」
「独占欲の強い女もな。お前、どんだけ時間奪ってるかわかってんのか?」
「親睦会なんてしなくても、一緒に暮らしているのでしょう? 放課後の数時間くらい、わたしに与えてくれてもいいと思いますけれど」
『百合の間』に着いたわたしたちを、調先輩は引きつった顔で迎え入れてくれた。
まず最初に、調先輩から「直護さんに話してしまったんですか」と問い詰められたが、わたしは「言ってないです……!」と全力で否定。
その後、直護くんがここに来た経緯を軽く話したところ、なにやら直護くんと調先輩の間で舌戦が勃発してしまった次第である。
「頻度を考えろっつってんだよ。茶道部の活動より多いっておかしいだろ。しかもお茶会かと思ってたってのに、この様子じゃ違うみてぇだしなあ? ほかの奴は呼んでねぇのか? 準備してんのがペットボトルのお茶に、個包装の菓子ってのは、随分斬新なティータイムだな?」
「まあ。もしや薔薇のお家は、ペットボトル飲料を受け付けない質なのでしょうか? 実乃さんはこちらの紅茶、甘くて好きだと仰っていましたのに。価値観の合わない方と生活をともにしなければならないなんて……実乃さん、お可哀想」
「あ?」
舌戦の最中にわたしの名前を出さないでほしい。わたしが悪いみたいじゃないか。
直護くんも不機嫌ついでに沸点が低くなっているのか、わりと本気で怒ってるし。その口の悪さをわたしに向けてくれるなら大歓迎なんだけど、先輩に向けているところを見るとさすがにひやひやする。
「お、おふたりともー……あんまりケンカしないでー……」
「……わりぃ。お前を怖がらせるつもりはないんだが」
「や、わたしのことはいいんだけど……。えーと、調先輩。今日はわたし、帰りましょうか……?」
「…………少し待ってちょうだい」
そう言った調先輩は、それまでの舌戦とは打って変わって、口をぴったりと閉ざしてしまう。
けれどそのぶん、表情が百面相のごとく動いた。
目をぎゅっと閉じた思案顔、眉根を寄せた葛藤顔、口角の下がった不安顔などなどだ。
「なにしてんだ、お前」
「だから、待ってと言っているでしょう。きちんと冷静になったうえで、いろいろと考えているのだから」
「冷静な顔には見えねーぞ」
「黙って待っていなさい」
めんどくせぇ、とでも言いたげに、直護くんはあからさまなため息をつく。
わたしはなんとなく、調先輩がなにを考えているのかがわかった。
だから、『黙って待っていなさい』と言われたけれど、口を開く。
「調先輩、直護くんにも事情を話そうかどうか悩んでます?」
「…………だって。今日を免れたとしても、また同じことの繰り返しになるでしょう……? わたしもさすがに、実乃さんたちの関係を壊してまで事を進めたいわけでは…………けれど、直護さんに伝えるの……? 本当に……? ううう……!」
とうとう調先輩は頭を抱えてしまう。
呻くほどに苦悶している調先輩の姿は、直護くんも初めて見たようだ。不機嫌な顔を困惑が上書きしている。
そして結局、時間をかけて出てきた調先輩の言葉は、
「直護さん。わたしに弱みを打ち明けてくださいますか?」
という、さらに直護くんの困惑を深めるものであった。
◇
『3位』
大きな壁かけモニター。
その左端で踊る数字を前にして、調先輩が胸を張った。
「まあ、ざっとこんなものです」
「3位でそんな顔されてもな……。実乃、1位だしよ」
わたしと調先輩が握るのは、ゲームのコントローラーだ。モニターに映っているのは、有名なレースゲームの新作。
ゲーム本体もコントローラーもモニターも、普段はすべて壁面収納キャビネットで隠されており、お茶会のときはだれの目にも付かなかったもの——つまり、これが調先輩の秘密なのである。
「わたしは慣れてるからね。お父さん、ゲーム好きだし。前のシリーズ、一緒によくやってたもん」
「そ、そうです。わたしは今年度から始めたのですから、十分な戦績でしょう。あなたはオンラインで現れる猛者たちをご存じないから、そのような言葉を口にしますけれどね」
「実乃。次、俺やっていいか?」
「うん、もちろん。操作方法わかる?」
「ん。やったことあるしな、これ」
「えっ」
目をまん丸にして驚いたのは、調先輩だ。
直護くんはその反応をスルーして、ゲーム画面も自動的に対戦開始のカウントダウンを始める。
「あっ、あっ、あっ、ちょっと待ちなさい、あっ、ちょっ」
衝撃がよほど強かったのか、調先輩はスタートダッシュをミスした。
最終結果は、直護くん1位で、調先輩7位。
「あなたはもっとアウトドア派ではないのですか!?」
「アウトドア派なんて言ったことあったか?」
「兄さんと遊ぶときだって、キャッチボールバスケサッカーばかりだったでしょう! わざわざ来校申請書を使って兄さんに会いに来たわたしを、運動音痴だからって仲間外れにしていたくせに!」
「いつの話してんだよ……。つーかそれは、お前がままごとだとか人形遊びばっか求めてきて、兄さんにウザがられたせいだろ。兄さんともクラスメイトとも、ゲームはよくする」
「に、兄さんもゲームをするのですか……!? あの兄さんが……!?」
「兄さんにどんなイメージ持ってんだ? いまの時代、一度もしたことないやつの方が珍しいと思うぞ」
…………わたしが入りにくい話で、ふたりが盛り上がっている。
よくよく考えてみれば、直護くんが女の子とこんなにも軽快に話しているのは、見たことがなかったかもしれない。
もちろん、調先輩は昔からの知り合いだし、調先輩自身にも婚約者がいるのだから、嫉妬するのはお門違いなのだろう。
けれど、ちょっぴりおもしろくないと感じている自分がいるのもたしかだ。
気持ちと手持ち無沙汰を誤魔化すために、ペットボトルを開けて紅茶を飲む。
グラスやカップを使わないのは、ゲームに白熱しすぎてうっかり倒しても、ゲーム機に飲み物がかからないようにするため。個包装のお菓子も、手を汚さないようにするため。
そういう細部にまで徹底しているところを見れば、調先輩がどの程度本気でゲームに向き合っているかがわかるというものだ。
「で? ゲームやってんのを知られたくないことも、相手させるために実乃を呼びつけてたのもわかったが、そもそもゲーム始めた理由はなんなんだ?」
直護くんが、わたしにコントローラーを渡しながら言った。
調先輩は、質問を無視するようにコースを選択していく。
そのまま対戦が始まり、結果はわたしが2位、調先輩が22位だった。
「調先輩……」
「い、いまのはたまたま! 少し運が悪かっただけ! 決して動揺しているからだなんて誤解をなさらないように!」
「いいからとっとと吐けよ。まどろっこしいな」
「あ……あなた方にはわからないことでしょうね……! 弱みが『意地悪されるのが好き』と『意地悪されてる実乃を見るのが好き』って……! たしかに明け透けに話すことではありませんけれど、ただの惚気同然ですもの! わ、わたしは、本当に悩んでいるというのに……!」
「調先輩。言う勇気が出ないなら、わたしから話しましょうか……? もう全部言っちゃった方が楽だと思いますよ」
「う……」
調先輩がコントローラーへ視線を落とした。
意味もなくAボタンとBボタンを交互に押し、ホーム画面とモード選択画面を行ったり来たりしている。
やがて出てきたのは、「お願いします……」という蚊の鳴くような声だった。
「えっと、じゃあね、まず調先輩の最終目的からなんだけど」
「ああ」
「調先輩、婚約者さんとラブラブになりたいんだって」
「そのような言い方はしておりません!」
「ふーん? 百合のガーデナー、あんま関わりねぇんだよな。見留……なんだったか」
「見留千賀士先輩だって。三年生の」
「あー、そんな名前だったな」
「くぅ……! わたしを無視するつもりですか……! 構わなくってよ、ひとりで遊んでいますから!」
その言葉通り、調先輩は『ひとりでインターネット対戦』を選んで遊び始めてしまった。
とはいえ、耳はこちらに傾けざるを得ないのだろうけど。
「それで、見留先輩の趣味がゲーム。とくに、こういうネット対戦できるやつらしいよ」
「へえ……なるほどな」
「うん、まあ、もうわかるよね。一緒にゲームしてラブラブしたいけど、誘う勇気がないし、ゲームと自分のイメージがかけ離れてるからビックリされて嫌われるかもってずっと悩んでたみたい」
「で、実乃にかけ橋にでもなってもらおうってか」
「そんな感じ。疑われないようにわたしと一緒に遊んだ実績をちゃんと作ったら、見留先輩に会いに行って、『友達に誘われて始めてみたら、とても楽しかったです。あなたとも一緒に遊びたいです』っていう流れに持っていきたいんだって」
「わ、わたし、そのような話し方はしませ————あっ、イタッ!? あああっ、ぶつからないでくださいっ!」
「……マジでめんどくせぇな。実乃を巻き込まずに、いまからでも誘いに行けよ」
ぼそっと、かなり小さな声で直護くんが言った瞬間である。
調先輩の目から、涙がこぼれた。
いつものように言い返してくるどころか、泣かれるなんて思いもしなかったのだろう。直護くんが「は……!?」と動揺の声をあげる。
「わたし……き、嫌われていますもの……」
モニターに映る調先輩の操作キャラが、徐々に速度を落としていく。
「顔を合わせても二言三言で別れてしまいますし、パーティーのパートナーも辞退されてしまい……。し、親睦会をしていただきたくて何度か教室までお迎えに行っても避けられ……とうとう最近は、学校にすら来ていただけなくなりました……」
「し、調先輩、ティッシュ、ほらティッシュですよ。使ってください。わたしのじゃないですけど」
「こ、このままでは、ブルームとしての務めを果たせません……」
「ゲームちょっとやめましょ。一旦中止で。ね? はい、拭いて拭いて~…………直護くん、わたし以外に意地悪しすぎるのは、めっ、だよ」
さすがに気まずいのか、直護くんは調先輩から目を逸らし、「……悪かった」と謝罪する。
「あー……まあ、なんつーか……そこまで悩んでんなら、実乃とのことにも口挟まねぇようにするよ」
目線で直護くんに『ありがとう』と伝えると、直護くんは『仕方がない』と言うように苦笑した。




