10.勉強会
ゴールデンウィーク最終日。
遊園地デートに料理の特訓と充実した休みを過ごすことができたわたしだが、実はまだこのゴールデンウィーク中にやらなければならないことが残っていた。
それは、学生の宿命。休みの日数に応じて出される課題である。
「なあぁ~……わがんないぃ~……」
「み……実乃ちゃん、邪魔……。突っ伏さないでください……」
「だってぇ」
机に倒れ込んだわたしの腕を、あやめちゃんがツンツンつつく。
わたしの腕の下敷きになっている課題ノートも、あやめちゃんの課題ノートも、まだ半分近く空白だ。
一応これでも、サボっていたわけではない。日々少しずつコツコツと、自分なりに挑戦はしたのだ。
けれど如何せん、通っていた学校のレベルが違いすぎる。
花絆学園では、中等部卒業の時点ですでに、公立高校の勉強範囲を終えてしまっている。
高等部で行われる授業は、外部進学組とブルームへの配慮も兼ねた復習が二割、大学受験対策に特化したものが三割、大学で扱うような内容が五割だ。
わたしも勉強に苦手意識はなかったし、むしろ自信を持っていた方だが、さすがにここでの授業内容はチンプンカンプンなことが多い。当然、与えられる課題も、教科書から拾い上げられるような答えを書き込むだけで精いっぱいなのである。
「数学なのに英語かってくらいアルファベットが多いよう……! やっとサインコサインタンジェントに慣れてきたのに、リミットってもう……! 証明とか言われても無理……! わたしの知ってる数学じゃない……!」
「き……気持ちはわかりますけど……」
あやめちゃんのツンツンが、気持ち強くなる。
そしてさらに、ツンツンしてくる手が増えた。
丸テーブルの対面に座る手鞠ちゃんだ。
「アタシは英語の方が苦手だなぁ……。なんとか文法までは頭に詰め込めても、単語までカバーするにはまだまだ時間が……。長文読解なんて、目眩がしそうだよ……」
「わかる……。頭いっぱいいっぱいで疲労困憊~。ちょっとだけ休憩しよーよぉ」
わたしたち三人は、ひとりへと視線を集中させる。
ふう、と呆れ混じりのため息をついたのは、この部屋の主、三箇芽繰ちゃん。我らがクラスの副委員長。同学年女子のなかで、四季音ちゃんと一、二を争う才媛だ。
ちなみに四季音ちゃんは本日、婚約者さんとデートのため不在である。
「勉強教えてって人の部屋に押しかけておいて、図々しい人たちね、ホント。メイドを呼んであげるから、お菓子でも飲み物でも好きに頼んで、さっさとリフレッシュして、さっさと課題終わらせてくれる?」
「芽繰先生……!」
口調はキツイけれど、真面目で優しいのが彼女の美点だ。
芽繰ちゃんがスマホを数度タップすると、すぐさまハウスメイドさんが現れる。
一緒に部屋に持ってきたカートに乗っている『本日のお菓子』は無料——と言うには少し違うか。正しくは、寮費に含まれているサービスである。……まあ、強制入学・入寮させられるブルームとガーデナーは、寮費自体が無料なわけだが。
わたしと手鞠ちゃんはクッキーとリンゴジュース、あやめちゃんはポテチとサイダー、芽繰ちゃんはカフェオレだけを頼む。
ノートと教科書をどかしたテーブルにメイドさんが皿とお菓子、飲み物を置き、丁寧にお辞儀してから退室した——かと思えば、入れ違いでべつのメイドさんがやってきた。
「三箇さま、お客さまがお見えでございます」
「お客さま?」
「はい。お姉さまのガーデナーだと仰っておられました。ガゼボでお待ちいただくようお伝えしたのですが、門の外で大丈夫だと……」
「…………わかりました。すぐに行きます」
芽繰ちゃんは、「ちょっと行ってくるけど、部屋を荒らしたらもう勉強教えないからね。わたしが戻るまでにしっかり休憩してなさい」と言い残して、部屋を出て行った。
「千住くん……だよね、たしか」
「は……はい。あんまり教室で話しているところは見ませんけど……休日に会ったりしてるんですね……」
手鞠ちゃんとあやめちゃんの会話を聞いて、千住くん、と頭のなかで呟く。
同じクラスの男子の名前だ。その彼が、芽繰ちゃんのお姉さんの婚約者というわけか。相変わらずこの学園は、親戚関係者が多い。
しかしそれ以上、千住くんの話は広がらず、話題はダイエットへと移った。
ブルームは、この学園内では甘やかされる存在。おいしいものを気軽に、それも無料で提供されるものだから、女子の悩みはそこに帰結するのである。
「この前みんなで遊んだときに、やっぱりもう少し運動すべきだなって実感したよ」
「ふ……ふふ……実乃ちゃんも気をつけた方がいいですよ……。ここに長くいればいるほど、どんどんまぁるくなっていくんですから……」
あやめちゃんはそう言いながら、自嘲気味に自分のお腹を摘まんだ。
手鞠ちゃんは、「アタシは太ももが……」と己の脚に目を向けている。
「ふたりとも、全然細く見えるけどなー」
「ゆ……油断大敵、です! 見た目にさほど変化がなくとも、スカートのアジャスターは現実をつきつけてきます……!」
「四季音のスタイルとか、かなり理想的だよね。ショートパンツがあんなに似合うなんて」
「あー、四季音ちゃんはたしかにスラッとしてる。顔もちゃっちゃいし、モデルさんみたいだもん。食べてる量、わたしたちとあんま変わんない気がするんだけどなー」
「し……四季音ちゃんは、動くことに抵抗がないタイプですからね……」
「実乃は知ってるかい? 四季音は元メイドなんだよ」
「えっ!? メイドさん!?」
それは初耳だ。
お堅い口調をなかなか崩さないし、この喋り方が慣れていると言われたときは、変わってるな、と思ったものだが。なるほど、メイドの名残だったというわけか。
メイドさん……メイド姿の四季音ちゃん……。うん、想像するだけでも素敵というか、テンションがあがるというか。いつかメイド四季音ちゃんを見てみたいものだ。
「む……昔から仕えているご主人様が、朝顔のガーデナーで婚約者だそうなんです……。ロマン……運命を感じますよね……!」
「ただ、婚約者に収まってからも、落ち着かないとか、逆にストレスが溜まるからとか理由をつけて、ちょこちょこ仕事をもらってるって話だよ。一回、働きすぎだとご主人様から怒られてしまったって相談を受けたことがある」
「あー……そ、そんなこともありましたね……。し……四季音ちゃん、仕事を取り上げられちゃったせいか、一時期お花がしおしおになってたことあるんですよ……」
「ええっ、そうなの!? だってこれ、この花ってめちゃくちゃ大事なんだよね? 大丈夫だったの?」
「もちろん大丈夫じゃないから、適度に仕事をもらえることになったんじゃなかったかな。アタシなら、仕事を与えられる方が萎れちゃいそうだけど」
「ど……同感です……。でも、きっと四季音ちゃんは今日、久しぶりにいっぱいご主人様のお世話できて、ツヤツヤになってるんでしょうね……」
「そういえば前、期末テストでいい点をとったらご主人様の宝飾品の手入れを任せてもらえるって言って張り切ってたな」
「…………えっ? ま……待ってください。四季音ちゃんがもらったご褒美は、えっちなやつじゃ——」
ガシャーン! ドタン! バン!
話に夢中になっていたわたしたちは、突然の騒音に三人そろって飛びあがった。
「な、なになに!?」
「ガラス……窓が割れたような音に聞こえたけど——」
ジリリリリリン!
手鞠ちゃんの声に被さるように、今度はけたたましいベルの音が鳴り響く。
あやめちゃんはビックリしすぎてなのか、猫みたいな動きで部屋の隅っこに収まって縮こまる。
「こ、これ、火事のときの音じゃない……?」
こわくなって手鞠ちゃんの側に寄ると、手鞠ちゃんがわたしの手を握ってくれた。
部屋の外からは悲鳴らしき声も聞こえてきて、非常ベルの誤作動でもなく、正真正銘の非常事態だと察せられる。
「だとしたら、早く避難しないと。実乃、とりあえずスマホだけ持って。あやめも動けるかい? 行こう。念のため、口は服か何かで覆って」
そうして、手鞠ちゃんがドアを押し開けた瞬間である。
ガン、と音がして、ドアがなにかに当たった。
「え——」
半開きになったドアから、少しだけ廊下の光景が見える。
わたしはとっさに、手鞠ちゃんの手の上からドアレバーを握り、力いっぱいドアを引いた。
「おぉい!! イテェだろーが!!」
男の人の怒鳴り声。それと同時に、向こう側からドアが引っ張られる。
「手鞠ちゃん、引いて! あやめちゃんも!」
「くっ……!」
「えっ、えっ……!?」
手鞠ちゃんはすぐに、あやめちゃんは手間取りつつも加勢してくれた。
しかし、ちらりと見えた向こうは体格のいい男性。ドアが完全に閉まり切る一歩手前のところで拮抗状態に入ってしまう。
——どうして、なんで男の人が。
必死にドアを引っ張りつつも考える。
ここは女子寮。ガーデナーの出産を望まれているブルームも寝泊まりしている場所だ。
当然のことながら、セキュリティレベルはかなり高い。婚約者という関係性であれば男子寮は異性を招くこともできるが、女子寮は婚約者でも家族でも異性立ち入り禁止となっている。
警備員ですら、男性は表と裏の出入り口前の警備まで。建物内部の警備は女性警備員の担当だ。
どうやったって、正規ルートで男性がここに入るのは無理なはずなのに。
「チッ。んだコラ見てんじゃねーぞ、殴られてぇのか!!」
ふいに向こう側の力が緩んだ。
完全にドアが閉まりきり、カチャという小さな音を立ててオートロックがかかる。
外からは悲鳴。ターゲットがよそに移ったことで、わたしたちは助かったというわけだ。
いま狙われている人は大丈夫だろうか、とも思う。けれど、ドアを再度開ける勇気はない。助けることも、確かめることもできない。
男の人の声が遠退いていっても、しばらくわたしはなにもできずにドアを眺め続けた。
「う……うぅ…………!」
はっと我に返ったのは、押し殺すような嗚咽が聞こえてきたときだ。
振り返ると、へたり込んだあやめちゃんがボロボロと泣いていた。
つられてか、手鞠ちゃんも涙をこぼし始める。
「ごめん……! アタシがよく確かめもせずに開けたからだ……!」
膝をついた手鞠ちゃんに、あやめちゃんはただただ首を横に振る。
ふたりと目線が合うように、わたしも膝をつく。
「手鞠ちゃんが悪いわけじゃないよ。火事だったら、すぐに逃げることが大事だもん。むしろ、率先して動いてくれて頼もしかった」
「そんな……! そんなふうに言わないでくれ……。アタシが……アタシのせいで……」
「大丈夫だよ……大丈夫。わたしたち、三人とも無事だもん。ね、大丈夫だから、あやめちゃんもほら、ゆっくり息吐いて」
あやめちゃんの呼吸が、かなりはやい。もしかすると過呼吸なのかもしれない。
それに手鞠ちゃんも気づいたようで、ふたりであやめちゃんの背を何度も撫でた。
「大丈夫。あやめちゃんも、一緒に引っ張ってくれてありがとうね。おかげで、もう大丈夫だよ」
そうしてわたしたち三人は、ハウスメイドさんと女性警備員さんの呼びかけがあるまで、玄関で団子状態になって過ごした。
侵入者は捕まり、軽症者はいるものの重傷者や死者はいない。不幸中の幸いである。
——ひとつ気がかりなのは、あやめちゃんの中指、金木犀の花の先端が、少しだけ茶色がかって見えたことだろうか。




