1.入学
「甘楽実乃です。福岡の公立中学に通ってました。よろしくお願いします」
小さく頭を下げて、席に座る。
——自己紹介、簡単すぎたかな。
うしろの席の人が立ちあがる音を聞きながら、わたしはそっと教室を見渡した。
金髪、赤髪、青髪、ピンク髪——あまりにも色とりどりな髪色がそろっている。
地元の中学では絶対に見なかった光景。だが、それだけではない。
肩に咲くチューリップ。耳の上に咲くひまわり。右隣の女の子の太ももには、朝顔が咲いている。
こんなの、ほかのどこでだって見られない光景だ。
花が咲いている子の数は、クラスメイトの半分にも満たない。そして、全員が女子である。
それ以外は、至って普通の見た目だ——表面上は。
「是橋直護。よろしく」
わたし以上に端的な自己紹介をした彼も、表面上は普通の——いやまあ、顔が整いすぎてて背が高くてガタイがいいという特徴はあるけれど——花なんて咲いていない、普通の男子生徒である。
しかし彼を含めた男子生徒の一部も、その実、普通ではないらしい。
わたしはまだ、その普通ではない『証』を見たことがないから、いまいちピンとは来ていないけど。
——そんなことを、ぼんやり考えていたせいだろうか。
ほかの人に自己紹介が移ったあとも無意識のうちに彼を見つめていたようで、目が合ってしまった。
思わず下を向いて目を逸らす。
その視界に入ったのは、大きな一輪の黒薔薇だ。
わたしの胸元。取り外したセーラー服の胸当て部分でちょうど咲き誇っているこの薔薇は、わたしの体内から花開いたものである。
彼——是橋直護くんの持つ『証』と、わたしの薔薇。
このふたつがあることで、わたしたちは普通だとはみなされない。
そして、このふたつがあることで、わたしたちは婚約者だとみなされている。
——自分のことながら、現実味のない話だ。
◇
『体から植物が生える病気があるんだって』
時折、そんな都市伝説を耳にした。
テレビで取り上げられることはなく、口頭やネットでひっそりと広まる、眉唾な噂。
3月29日。15歳の誕生日。自分の体にいきなり花が咲くまで、わたしもまったく信じていなかった噂である。
花絆学園。ここは、わたしと同じような女の子が全国各地から集められた場所なのだそうだ。
「それじゃ、もう出発だから。寂しくなったらいつでも電話して」
「うーん……やっぱり寂しくなるものなのかな?」
「まあ、直護くんがいれば寂しくなんてならないか」
「ちょちょ! そういうのは言わなくていいから!」
入学式の日程がすべて終わり、福岡からわざわざ東京までやってきた両親は、学園が手配した送迎車の窓から顔を出してニコニコ笑っている。
一時期はわたしに花が咲いたせいで憔悴していたくせに、喉元過ぎればなんとやらである。このあとは温泉にも寄っていく予定だそうだ。
わたしは隣に立っている直護くんを見上げる。
彼は本当に背が高い。
この学校の制服は、女子は白のセーラーか白のブレザーを選べるしアレンジも自由だけど、男子はスーツと見紛う黒ブレザーのワンパターンしかない。
だから体が大きいことも相まって、高校一年生だというのに直護くんはすごく大人びて見える。
お母さんの発言をとくに気にした様子もなく、直護くんは「もしなにかあれば、俺からも連絡します」と言った。
「いろいろと迷惑をかけるかもしれないけど、よろしくお願いしますね。本当にこの子、ちょっと……ううん、ちょっとじゃないわね、相当変わってるし、手のかかる子で。まだ短い付き合いだからボロは出してないはずなんだけど——」
「もう! だから、そういうの言わなくていいって! 運転手さん、出しちゃってください!」
「あらら、一丁前に恥ずかしがっちゃって。……じゃあ、とにかく元気でね」
「ハイハイ、そっちもね! お父さんも、またね」
「ああ。せっかくだから、めいっぱい楽しむんだぞ」
「うん!」
車が緩やかに発進する。
互いに手を振り合うなかで、最後の最後、一瞬だけお父さんの目尻が光った気がした。気がしただけだけど。
「……ふう。ごめんね、直護くん。付き合わせちゃって」
「いや。俺も挨拶くらいはしておきたかったしな」
今日、直護くんのご両親は来ていないらしい。エスカレーター式でほぼ生まれたときからずっとこの学園に所属しているそうだから、入学式と言われても今更なのかもしれない。
「もう寮に戻るか?」
「あ、えっと。ちょっとお散歩しようかなって。ここ広くって、まだ全然見回れてないから」
「昨日来たばっかだもんな」
そう言って、直護くんがこちらをじっと見下ろしてくる。
わたしは女子の平均身長より若干背が低い。その身長差のせいなのか、ちょっと威圧感があって…………なんというか、それが————、
「俺も一緒に行っていいか?」
「えっ?」
いけない。いま、思考が変な方向に飛びそうだった。
わたしは少しだけ直護くんから視線を逸らして答える。
「ほ、ホントにただの散歩だよ?」
「わかってる。それでも道案内くらいしてやれるからな」
「じゃあ……えと、よろしくお願いします」
◇
花絆学園は、幼等部、初等部、中等部、高等部、大学部があるエスカレーター方式の私立校だ。
すべて同じ敷地内に校舎が設けられているが、大学部の一部キャンパス以外は高い壁と保安検査所によって外部との接触を著しく制限されており、基本的に生徒は実家への帰省時以外で敷地外に出ることはできない規則になっている。
そのため、塀の内側には学校校舎以外にも、買い物や食事を楽しめるショッピングモールや、映画館などの娯楽施設まで併設されているそうなのだ。
あまりの規模感に、初めてパンフレットを読んだときはひっくり返るかと思った。でもそれと同時に、その非現実的にも思える学園に行くのが楽しみにもなったのだ。
だから散歩がてら、学園内のショッピングモールというものがどういうところなのか、なにを売っているのか確認しようと思った次第……だったのだが。
「こうしてふたりきりでちゃんと話すのは初めてだな」
「う、うん」
道案内は助かる。初めての場所だし、ひとり寂しく冷やかして回るよりは楽しいはず。
そう思っていたのに、いざこういう状況になると、自分の想像以上に心臓がドキドキしてしまっている。
今日より前に会ったのは、たった一回きりだ。そのときは、わたしの体から花が咲いた理由や、これからのことについての説明を親と一緒に聞くばかりで、雑談らしい雑談はできていない。
昨日も学園敷地内には夕方からいたが、女子寮の自室でハウスメイドさんと一緒に荷解きやらなんやらで忙しくしていたため、挨拶をする余裕すらなかった。
「なにか困ってることはないか? かなり特殊だろ、ここ」
「え……んーと……」
あまりまじまじと直護くんを見ることができず、道中のあちこちにある花壇にばかり目を向けてしまう。
「まだなにに困ってるかも、よくわかってなくて……」
「ま、そんなもんか。学校でも一応席は隣だし、なんかあったら気軽にいつでも言ってくれ」
「気軽に……。わたし、教室で直護くんとどう接したらいい? クラスのみんなは、わたしたちが婚約者同士って知ってる……んだよね?」
「そうだな。普通にしてりゃいいと思うが」
「ふ、普通……」
婚約者の普通ってなんだろう。
普通の恋人もできたことがないわたしには、些か難しい問題だ。
自分たちで決めた婚約ではないけれど、仲が悪いよりも仲がいいに越したことはないはず。
わたしとしては、いまのところ婚約自体に忌避感はない。だって直護くん、見た目がめちゃくちゃカッコいいから。
だから仲良くしていきたい気持ちはある。大いにある。
でも、いきなり降って湧いたも同然な婚約者で、しかも好みの見た目をしているとなれば、逆に不安にもなるというか、距離を測りかねるというか、そわそわするというか。
——ていうか、よく考えてみたら……わたしいま、もしかしてデートしてる? 婚約者とふたりきりでショッピングモールに行くって、デートで合ってる??
なんか初めてのデートって、もっとこう……洋服どうしようとか、メイクどうしようとか、楽しみすぎて眠れなくなるとか、それで寝坊して慌てて家を出て、『ごめん、待った?』『ううん、いま来たとこ』みたいな会話をするものなんじゃないっけ。全部、少女漫画の受け売りだけど。
……なにかお手本がほしい。婚約者とのイロハが載った教科書がほしい。
ほかの人たちは、どうしてるんだろう。
「わ……わたしたちみたいな婚約者同士っているの? クラスに」
「同士に限るとクラスにはいないな。単に婚約者持ちって話なら、少なくとも十人はいるが」
「そっか……」
今日は入学式と顔合わせだけの半日で学校が終わってしまったから、クラスメイトとはほとんど話せていない。
明日からは普通に授業も始まるし、積極に話しかけにいってみよう。それで、いきなりできた婚約者とはどう接しているのか、いろいろと聞けたら助かる。
とりあえずは隣の子——太ももに朝顔が咲いていた子と仲良くなるところから始めたい。
——なんて考えていると。
「……やっぱり、迷惑だったか?」
突然の問いかけ。
「え?」と直護くんを見上げると、彼はじっとわたしの顔を見つめていた。
もしかすると、わたしが花壇ばかり眺めて歩いている間も、直護くんはずっとわたしを観察していたのかもしれない。
「ついて来られんのが迷惑なら————って言われても、逆に困るか」
「いや、あの、迷惑なんてそんな」
「はっきり言ってくれていい。俺は初対面のやつを怖がらせやすいらしいから」
「うん、素敵だよね」
「……うん?」
「ハッ……!」
返答を間違えたかもしれない。
わたしは急いで首と両手を振る。
「えっとだからその、むしろカッコよすぎて緊張してるだけっていうか、本当に迷惑とかじゃなくって! 素敵っていうのもカッコいいって意味で! 怖いなんて全然まったく思ってないよ! お顔が整ってるからか真顔だと迫力あるし、身長差でずっと見下されてる気分になるし、力じゃ絶対敵わないんだろうなって思わされるくらい筋肉ありそうだし! 怖いだとか思うわけない!!」
「あ? ん? んんん?」
直護くんが眉を寄せて、怪訝そうな顔をする。
それが怒り顔のようにも見えて…………カッコいい。
「あー……要するに……筋肉はどうしようもないとして……。実乃を見るときの角度は気をつけるようにするし、表情作りも直すようにするよ」
「え!? なぜ!?」
「いや、見下されるとか嫌だろ……?」
「だからなぜ!? わたし、ドキドキしっぱなしなのに!?」
「……そのドキドキは大丈夫なやつか……?」
わたしに向けられる直護くんの眼差しが、少し変わっただろうか。
母や歴代の親友たちがわたしによく向けていた——なんでこの子はこうなんだろう? という残念そうな想いがにじみ出ている気がする。
直護くんは小さくため息をついたあとに、「念のために確認するが」と続けた。
「俺はこのままでいいってことなんだよな?」
「もちろん!」
「……俺、口わりぃし、所作が雑だとか言われることも少なくねぇんだけど」
「そうなの? いまのとこ、あんまり感じないけど。でも、それなら……口調とか気にしてるなら、その……」
わたしは両手を組んで、直護くんをまっすぐに見つめる。
——これを言うのは恥ずかしい。はしたないかもしれない。
けど、でも、どうにも我慢できなくて。
わたしは言葉がつかえつつも、必死に口を動かした。
「お、お前って呼んでみない? わたしのこと……!」
「————は?」
数秒、いやもしかすると十数秒、直護くんがフリーズする。
その間、どんな言葉が返ってくるかとそれだけで頭がいっぱいだったわたしは、彼を気遣う余裕もなかった。
やがて硬直が解かれた彼は苦笑をこぼす。
「お前、すっげー変わってんな」
そして、コツン、と。軽く頭頂部を小突かれた。
わたしは思わず頭を押さえて震える。
「もっと強めにお願いします!」




