第8話: 少女は、見知らぬ男たちに誘拐される
明かりの届かない場所へ行きたかった。
声も響かず、空気だけがゆっくり沈んでいくような場所。
人の視線が触れず、時間のいびつな流れからも外れたような――そんな場所に。
「……人が、うざい」
つぶやいた声は小さく、ひどく脆かった。
誰にも聞かれたくない言葉を、夜気がそっと奪っていく。
足は、喧騒から逃げるように自然と街の西側へ向かっていく。
何かを探しているわけではないのに、探している。
息をひそめられる、たったそれだけの場所を。
「誰にも……会わないところに行きたい」
昼でも夜でも、この街には人が溢れている。
商人の呼び声。
子どもの笑い。
誰かの怒鳴り声。
人の気配は、影のようにどこにでも張りついていた。
街外れのさらに端まで来ると、ようやく人影が薄くなる。
石畳を踏む音が、小さく乾いて響く。
その控えめな音だけが、少女の存在をそっと肯定してくれているようで、ほっと息を落とす。
だが、安らぎはやはり長くは続かない。
「……てめぇ、どこ見て歩いてんだよ。あ?いてぇだろうが」
突然、肩に硬い衝撃が走った。
身体がわずかに揺れ、少女は立ち止まる。
見知らぬ男が、露骨な苛立ちをのせた目で少女を睨んでいた。
面倒ごとは避けたかった。
ただ目をそらして通り過ぎようとした――その意思は荒い手に遮られる。
「お前に言ってんだよ、ガキが」
壁に叩きつけられる音が、静かな路地に鈍く響いた。
呼吸がひゅっと潰れ、背中に痛みが走る。
「……無視すんなよ」
鳴らした拳の音が、少女の背筋を冷やす。
恐怖ではなかった。ただ、もう抵抗の意味が見出せなかった。
杖に縋りながら、少女は淡々と声を洩らす。
「……前、見てなかった……あんたも……悪い、でしょ」
言い訳でも挑発でもない。
ただ、事実を並べただけ。
それなのに、男の顔にはさらに刺々しい怒気が走った。
「あぁ?言い返してんじゃねぇ」
少女は後悔を覚える。
口を開くべきではなかった。
黙っていれば、まだ静かに離れられたかもしれないのに。
「……へぇ。見た目の割に、いい身体してんじゃねぇか。ちょっと遊んでやるよ。そしたら許してやる」
顎を掴まれ、無理矢理顔を近づけられる。
舌なめずりの湿った音が、耳の奥でいやに響いた。
嫌悪が内側で膨らむ。
でも、少女はふっと目を伏せた。
――抵抗しても、きっと痛みが増えるだけ。
そんな静かな諦めが胸に沈殿していく。
そのとき。
「……やめい、やめい。みっともない。わいが目をつけてた商品に手ぇ出してどないするん」
耳に触れた方言に、少女の意識がわずかに揺れる。
知っている声だった。
路地の奥から数人の男が歩いてくる。
薄闇の中、その目はひどく乾いて、冷えきっていた。
「そこのお嬢ちゃん……わいらのために、働いてもらおか」
その声は、柔らかいのに、逃げ場を与えない。
少女の思考は、そこで静かに止まりはじめた。
恐怖はなかった。
叫び出す力も、逃げる力も、喪失していった。
世界の色が、ひとつずつ剥がれてゆく。
音が遠ざかり、輪郭がほどけるようにぼやけていく。
最後に残ったのは、冷たい視線と――
どうしようもなく小さな、自分の無力さ。
そして、意識はふっと落ちた。
暗転。




